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第八十七話

その場で、三人の人影が空を見上げていた。


中央にいるのはセラフィーヌ。その両側にはチェリストとオルガニストが立っている。三人とも、誰一人として視線を逸らそうとはしなかった。


空の上では、雲海が動き始めていた。


厚く垂れ込めていた灰色の雲が、ゆっくりと左右へ裂けていく。その隙間から、空とアストラヴェルの間に広大な空間が姿を現した。


それまで弦の上で動いていたチェリストの指が、ようやく止まる。


オルガニストはわずかに顎を上げた。


雲の向こうから、白い光が滲み出し始める。


そして次の瞬間、その雲の層を突き破るように、巨大な構造物が姿を現した。


最初に現れたのは、一つの浮遊領域だった。


続いて、その反対側から二つ目の領域が姿を見せる。


そしてその二つの間から、さらに巨大な複合施設がゆっくりと姿を現していった。それは、アストラヴェルの上空に浮かぶすべての領域の中心として、そこに存在していた。


浮遊する大地には壮麗な建造物が立ち並び、その間には高い塔がそびえ立っている。領域の端まで伸びる防衛施設も、その一部を成していた。


やがて、オルガニストが口を開く。


「ハイ・サンクタム」


その声は平坦だった。まるで、その名など最初から知っていたかのように。


チェリストは目を細め、雲の向こうから姿を現し続ける複合施設を見つめた。


「ついに姿を見せたか」


「ただ姿を見せたわけじゃない」


オルガニストの視線が、複合施設の中央へと向けられる。そこでは、いくつもの巨大な塔が一つの主要建造物を取り囲んでいた。


「ルーメン・ハイム」


その声音を変えることなく、彼は続ける。


「ハイ・サンクタム最大の魔法学院だ」


視線は中央の建物を越え、その周囲に広がる構造物へと移った。


「同時に、この領域を守る防衛の中枢でもある」


残っていた霧が、ゆっくりと晴れていく。


広大なプラットフォーム、監視塔。そして学院というよりも軍事施設を思わせる形状の設備が、遠くに次々と姿を現し始めた。


セラフィーヌは、そこでようやく薄く微笑んだ。


「そして今、彼らはその力を動かした」


アストラヴェルの上空で、ハイ・サンクタムはついに雲海の向こうから完全な姿を現した。


その遥か下では、アインがまだ同じ場所に立っていた。


雲の間に最初の裂け目が生まれたときから、その目は浮遊領域の動きを追い続けている。


赤く染まった空の光が、白い髪と機械化された顎の側面を淡く照らしていた。風が通りを吹き抜け、衣服の裾を揺らしていく。


それでも、アインの表情は穏やかなままだった。


驚きはない。


不安の色も見せない。


むしろその眼差しは、すでに予想していたものを、ようやく目にした者のようだった。


しばらくして、彼は空から視線を外した。


「ついに動いたか」


その視線が、再びラインマーへと向けられる。


男は今も彼の前に立っていた。一度だけアインの視線を追うように空を見上げたものの、すぐにその目を彼の顔へと戻している。


アインは短く息を吐いた。


「どうやら……招かれざる客が大勢来そうだね」


口元がわずかに吊り上がる。


「別に、そんなものを望んでいたわけじゃないんだけど」


ラインマーは腕を胸の前で組んだ。


「私も、アウレリアがここまで早く決断するとは思っていなかった」


その声は不満というより、率直な認識を口にしているように聞こえた。


「ここまでしてハイ・サンクタムを開いたということは……」


彼の視線が、一瞬だけ頭上の浮遊領域へと向けられる。


「……あそこで何かを準備しているということだ」


そして再び、アインを見た。


「降ろされたレゾナンスの数も、少なくないことが私にも感じ取れる」


アインはわずかに頭を傾けた。


「アア。あのハイ・チャンセラーか」


薄い笑みが消える。


「もう、こんなことをする必要はないと思っていたんだけどね」


視線は再び、ハイ・サンクタムへと向けられた。


「彼女が見た未来は、どうやらあちらの状況を変えるほどのものだったらしい」


ラインマーは鋭い眼差しでアインを見返す。


「アウレリアは、あらゆる可能性を考慮せずに、あれほど大きな決断を下すことはない」


一度言葉を切り、それから続けた。


「もし彼女が上位ランクの生徒を全員動員したのなら、それだけで、ここの状況はもはや遠くから対処できるものではないと判断したということだ」


アインは小さく笑った。


その手のひらを持ち上げ、顔の一部を覆う。まるで、その決断があまりにも皮肉で、とても真面目に受け止める気にはなれないと言わんばかりに。


「まったく、ひどい話だ」


その笑い声が、ゆっくりと消えていく。


「そして一番滑稽なのは……」


指先が顔から離れた。


「……これだけの力を投入すれば、まだすべてを解決できると思っていることだ」


ラインマーは答えなかった。


アインの視線は、雲の切れ間から今なお姿を覗かせているハイ・サンクタムへと戻る。


「たとえ、あいつらが持てる力のすべてを送り込んだとしても」


そのまま続ける。


「結果は変わらない」


ラインマーは眉をひそめた。


「ずいぶん自信があるな」


「自信の問題じゃない」


アインの顔には、まだ薄い笑みが残っていた。


「向こうを見てみなよ」


その視線が遠くへと向けられる。


「メルモラの母は、もう目覚めている」


ラインマーはすぐには答えなかった。


「それなのに、あいつらは自分たちが本当は何と対峙しているのかすら理解していない」


アインは再び小さく笑う。


「肉体を壊すことはできる。何度でも引き裂くことだってできる」


その声が、ゆっくりと低くなった。


「けれど、それを支えている何かが残っている限り……」


そこで一度、言葉を途切れさせる。


「……すべては戻ってくる」


ラインマーの表情が、さらに険しくなった。


「では、お前たちは本当は何を望んでいる?」


アインから笑みが消えた。


「僕たちはアストラヴェルを滅ぼすために来たわけじゃない」


再び風がプロムナードを吹き抜けていく。


「奪いに来たんだ」


ラインマーは何も答えなかった。


「この街だけじゃない」


アインの視線は赤い空を越え、ハイ・サンクタムの影の下にある各地へと向けられる。


「この王国も。この大地も。そこに築かれたすべての営みも」


その声は、変わらず穏やかだった。


「いずれ、すべては僕たちのものになる」


そのとき初めて、ラインマーは理解した。


今起きていることの、本当の規模を。


アストラヴェルは最終目的ではない。


この街は、彼らの世界をゆっくりと取り戻し始めている、遥かに巨大な何かの最初の一部に過ぎなかった。


アインは視線を落とす。


(まだだ)


ハイ・サンクタムは、その姿を現した。


雲の向こうに隠されていた力も、動き始めている。


それでも、セラフィーヌから合図はない。


(あとどれくらい待つつもりだろう)


アインはいつでも動けた。実際、彼を止められる者などいない。


だが、セラフィーヌが合図を出さない限り、コンダクターを差し置いて自分から動く理由もなかった。


(きっと、何かを待っている)


セラフィーヌは、理由もなく演目を先延ばしにするような女ではない。


それでも彼女が沈黙を選んでいるのなら、何かを見極めているのだ。


誰を送り込んでくるのか。


どれほどの力を投入するつもりなのか。


そして、アストラヴェルを守るために、どこまで自分たちを危険にさらす覚悟があるのか。


アインの口元に、再び薄い笑みが浮かぶ。


(あるいは、最後の穴を探しているのかもしれない)


たとえハイ・サンクタムの力では、いずれカオスを止められないと分かっていたとしても、セラフィーヌは可能性を一つたりとも見逃すことはない。


まだ、彼らが見落としているものがあるのかもしれない。


この演目の行く末を変え得る何かが。


そして、その可能性が残されている限り――


(――セラフィーヌは必ず見つけ出す)


アインには、その考え方が理解できた。


勝つために、より大きな力など必要ない。


必要なのは、相手が本来より長く持ちこたえることを可能にする穴を、一つ残らず潰すことだけだ。


だからこそ、もう少し待つことに異論はなかった。


(いいよ、セラフィーヌ)


笑みがわずかに薄くなる。


(あそこで何を隠しているのか、見せてもらおう)


(その後で、残りを片づければいい)


今はただ、待てばいい。


遠くでは、ハイ・サンクタムが今なお雲海の間にその姿を晒していた。


その巨大な構造物の反対側では、オルガニストが静寂の中、吊るされたブランコに腰掛けたままでいる。


ブランコは、ほとんど揺れていなかった。


両側に伸びる細い鎖だけが、風に煽られるたび、ときおり小さな音を立てていた。


その正面で、不意に空間が歪む。


空中に細い裂け目が開いた。その幅は、扉の隙間ほどしかない。


オルガニストは片手を持ち上げた。


指先が、その裂け目の向こうへと入り込む。


その先に壁はなかった。


何もない空間でもない。


そこにあったのは、無数の紙片、記号、記録、そして情報の断片だった。それらは果てしなく積み重なり、棚も境界も存在しない巨大なアーカイブを思わせる光景を形作っている。


オルガニストの手が、その情報の中を動く。


しばらくして、二枚の記録が引き抜かれた。


裂け目は再び閉じる。


オルガニストは二枚の紙を膝の上に整え、それからセラフィーヌとチェリストへ顔を向けた。


「二つのチームが、すでに動き始めている」


少し離れた場所に立つチェリストが、ヴァイオリンの位置をわずかに変える。


「誰だ?」


「ハザードとファルコンだ」


オルガニストは一枚目の記録を持ち上げた。


「ハザードは直接戦闘に適している。複雑な陣形への依存は低いが、四人それぞれの専門性が互いを補完している」


指先が、記録のいくつかの箇所で止まる。


「レイン・ヴァルキュール。アサシン。高い機動力を持ち、迅速な排除を得意とする」


その指が次の項目へと移った。


「次に、ミラ・ヴォルカ。モバイル・キャノン」


オルガニストは一瞬、その記録に目を落とす。


「その体格からは想像できないほどの破壊力を持つ」


チェリストは紙へと視線を向けた。


「あんな大きなキャノンを持った子供か?」


「そうだ」


オルガニストの声は変わらず平坦だった。


「見た目に騙されるな」


記録をわずかにずらす。


「レオン・アグレストは獣人だ。高い機動力を活かした近接戦闘を得意とする。そしてサイラス・コヴンが、彼らのフィールド・タクティシャンを務めている」


セラフィーヌは口を挟まなかった。


オルガニストは二枚目の記録を持ち上げる。


「ファルコンは違う」


「より速い?」


「より自由度が高い」


そう言って、オルガニストはその記録を示した。


「ニア・ソレンヌは、エーテル・プロパルション・パックによる機動力と、エアリアル・アーティラリーを兼ね備えている。キラ・ヴァスペラは速度と近接攻撃に特化し、エリス・ヴァレンシアは機動防御システムによってチームを維持する」


指先が最後の項目へと移る。


「キャシアン・エアウィンは空中戦を担うランサーだ」


チェリストはヴァイオリンを肩に預けた。


「つまり、一方は正面から受け止め、もう一方は空間を支配するってわけか」


「概ねそうだ」


オルガニストは記録を下ろした。


「ハザードの方が、より現実的だ。混戦の中でも戦闘を維持でき、前線の状況が変化しても有効に機能する」


「ファルコンは機動力を重視している」


「その通りだ」


そこで、セラフィーヌがようやく口を開いた。


オルガニストは頷く。


「通常の部隊では到達しにくい地形でも行動できる。空中、地上、建物の間にある隙間でさえ、彼らにとって大きな制約にはならない」


二枚の記録を折りたたむ。


「しかも、全員まだルーメン・ハイムの二年生だ」


チェリストの眉がわずかに上がった。


「二年生?」


「進級したばかりだ」


その短い答えに、チェリストはしばらくオルガニストを見つめた。


「それでも、両チームの全メンバーがコンバットランクS、総合能力Aを持っている」


今度はチェリストも、すぐには答えなかった。


オルガニストは変わらぬ穏やかな声で続ける。


「だからこそ、呼ばれた」


風が浮遊構造物の間を吹き抜け、オルガニストの髪を数本揺らしてから、再び元の位置へと落ち着かせた。


「彼らは単なる増援ではない。ハイ・チャンセラーは、戦況そのものに影響を与えられるだけの戦力を投入した」


彼は記録の別の箇所に触れる。


「それだけじゃない」


「A+の生徒も大勢、すでに投入されている」


セラフィーヌは薄く微笑んだ。


「ずいぶん大胆ね」


オルガニストは彼女へ視線を上げる。


「驚かないのか?」


「驚く必要がないもの」


セラフィーヌは、今なお雲の向こうに姿を見せているハイ・サンクタムを見つめた。


「A+の生徒まで動員したということは、アストラヴェルが予備戦力を置いておけるほど安全な場所ではなくなったと、彼女も理解したということよ」


チェリストは首を傾け、オルガニストの方を見た。


「どうして、そこまで分かる?」


オルガニストはすぐには答えなかった。


ただ、手にした記録の一枚を持ち上げる。


「すべての存在は、必ず痕跡を残すからだ」


「痕跡?」


「ああ」


視線が紙へと落ちる。


「だが、それだけじゃない。私のアーカイブは、すでにどこにも記録されていない事柄でさえ、知り、記録することができる」


一度、言葉を切った。


「記憶、過去、現象、存在……それが届く範囲にある限りな」


指先が紙の表面に触れる。


「ただし、今回のものは普通の検索結果ではない」


チェリストは、先ほど空間の裂け目が消えた場所へ目を向けた。


オルガニストは穏やかな声で続ける。


「彼らの名前を事前に知る必要はない。それでも見つけ出せる」


わずかに首を傾けた。


「出所さえ指定すればいい」


セラフィーヌが彼の方を向く。


「ルーメン・ハイム」


「その通りだ」


「つまり、場所を指定するだけでいいの?」


「場所ではない」


オルガニストはゆっくりと首を横に振った。


「対象だ」


その視線が、再び二枚の記録へと落ちる。


「ルーメン・ハイムを対象として指定すれば、その内部に存在する識別情報を引き出すことができる」


「生徒、ランク、能力、任務……その情報がアーカイブの届く現実の中に存在する限り、私はそれを記録できる」


チェリストはすぐには答えなかった。


しばらくしてから、ようやく問いかける。


「リビング・アーカイブとは違うのか?」


「まったく違う」


オルガニストは手にしていた紙を下ろした。


「リビング・アーカイブは、誰か、あるいは何かがすでに持っている情報を取得する」


その視線が、すでに消え去った裂け目へと向けられる。


「だが、私のアーカイブは、まず誰かがその情報を保存している必要がない」


セラフィーヌは何も言わず、オルガニストを見つめていた。


やがてオルガニストは、膝の上にある二枚の記録へと目を落とす。


「このアーカイブは、本来なら私の手元にあるはずのないものを引き出す」


セラフィーヌが薄く微笑んだ。


「だから、その持ち主に許可を求める必要もないのね」


オルガニストは否定しなかった。


「概ねそうだ」


しばらくの間、三人は再び言葉を交わさず、その間を吹き抜ける風の音だけに身を任せていた。


やがてセラフィーヌが、ハイ・サンクタムから視線を外す。


「つまり、彼女は私たちの期待どおりに動いたということね」


「彼らを送り出した」


オルガニストが答える。


「ただ送り出しただけじゃないわ」


セラフィーヌの笑みが、わずかに深くなる。


「集めたのよ」


チェリストはすぐに、その意味を理解した。


「俺たちが、あいつらを動かしたからか」


「ええ」


セラフィーヌは片手を自らの胸元へと添えた。


「ハイペリアルは、すでに下にいる」


その視線が、ゆっくりとアストラヴェルを見渡していく。


「今度はハザードとファルコンが地上へ降りる」


そこで一度、言葉を置いた。


「そして、彼ら全員が街を守るために動き始めれば……」


その眼差しが鋭くなる。


「……私たちが本当にやりたいことを邪魔できる者は、ますます少なくなる」


チェリストは彼女を見つめた。


「じゃあ、最初から……」


「私たちは、彼ら全員を倒す必要なんてない」


セラフィーヌは穏やかに、その言葉を遮った。


「ただ、誰が正しい場所にいるべきかを決めればいい」


再び、笑みが浮かぶ。


「そして、誰がそうではないのかも」


その瞬間、巨大な振動が大地を駆け抜けた。


オルガニストの手が止まる。


セラフィーヌもまた、顔を上げた。


音がしたからではない。


もっと深い場所から、何かが合図を送ってきたからだ。


アストラヴェルの地下。


ダンジョンの遥か深く。


オルガニストはゆっくりと視線を下へ向ける。


「どうやら……」


その言葉は、そこで途切れた。


セラフィーヌには、すでに答えが分かっていた。


そこには、何かが待っていた。


彼らが、まさにこの瞬間のために準備してきた何かが。


「いいわ」


セラフィーヌの視線が、再びアストラヴェルへと落ちる。


「これで、残るのはあと一つ」


その声に焦りはなかった。


あるのは、確信だけだった。


「彼らが罠にかかった後は……」


その言葉が、宙に残る。


遥か下で、巨大な何かが、ついに動き出した。

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