第六十五話
通路を包み込んでいた静寂は、やがてカイデンの声によって破られた。
「さて、先へ進もう」
その視線は、前方へと長く続く通路へ向けられる。ひび割れた岩肌には青い炎が焼き尽くした痕跡がなお残り、カニバルの肉片が瓦礫の間に散乱したまま、ゆっくりと舞い落ちる埃に埋もれ始めていた。
「このエリアは事前にレゾナンス・スキャンを済ませてある」
声色は変わらず淡々としている。
「現時点で注視すべき異常は確認されていない。あるのは通路構造の損傷と……すでに脅威ではなくなったモンスターだけだ」
一拍置いてから、続ける。
「では、このまま前方へ進み、調査を続行する」
エレナは静かに頷いた。
「私も、さっき少し気になるものを感じたわ」
視線の先にあるのは、壁の結晶の光すらまだ届いていない暗い通路だった。
「まだ本当に微かなものだけど」
「ただのレゾナンスの乱れかもしれない」
少しだけ言葉を切る。
「……あるいは、そうじゃないのかも」
エレナは別の方向へと視線を向けた。
「何であれ、自分たちの目で確かめるしかないわ」
一方、ヴィナとロッキーもようやく立ち上がり、服についた埃を払い落としてから顔を見合わせた。
ロッキーは気まずそうに頬をかく。
「ま……まだこの先にもモンスターがいるのか?」
その声は普段よりずっと小さい。
ヴィナはごくりと唾を飲み込んだ。
「もし本当にいるなら……」
「……さっきよりもっと数が多かったり?」
「それとも、もっと大きなモンスターとか?」
エレナはすぐには答えなかった。
見えない何かを探るように、再び前方の通路へ目を向ける。
「……私が気になっているのは、むしろそこじゃないの」
二人の冒険者はぴたりと固まった。
「え?」
「でも、あくまで私の勘よ」
「まだ何も断定はできないわ」
エレナは軽く肩をすくめる。
「だから憶測を重ねるより……」
「……自分たちで確かめましょう」
カイデンが右手を掲げた。
すると、青く透き通る光のキューブが何十個も周囲に現れ、淡いレゾナンスの唸りを響かせながらゆっくりと回転し始める。
キューブは次々と結びつき、
骨組みを組み上げ、
車体を形作っていく。
幾重にも層が重なり合い、やがて地面から数センチ浮かぶ一台の乗り物が完成した。
その姿はタイヤを持たない未来的な車両に似ていたが、屋根のないオープンキャビン構造となっている。車体下部には淡い青い光が流れ、動力源となるその輝きによって、岩肌の上をほとんど音もなく滑るように浮遊していた。
カイデンは迷うことなくドアを開け、そのまま運転席へ腰を下ろす。
「乗れ」
エレナも何も言わずに後へ続く。その様子は、この乗り物を見慣れているかのように自然だった。
対照的に、その場で固まっている二人。
「……」
「……」
ロッキーは何度も瞬きを繰り返す。
「えっ……」
ヴィナはわずかに震える指で車両を指差した。
「き、君……」
「……乗り物まで作れるの!?」
ロッキーも勢いよく振り向く。
「そんなことできるなら……」
「……なんで今まで歩いてたんだよ!?」
カイデンは無表情のまま二人を見る。
「その時点では、このエリアの状況を把握していなかったからだ」
「調査は、速度だけを優先して可能性を切り捨てるものではない」
「どれほど小さな手掛かりでも見落とせば……」
「……結果は変わる」
ロッキーは口を閉ざした。
「……あ」
ヴィナも頭をかく。
「……なるほど」
カイデンは両手を操縦装置へ置く。
「もういい」
「無駄話はそこまでだ」
二人をちらりと見やる。
「それとも……」
「……ここに置いていかれたいのか?」
ヴィナとロッキーの顔色が一瞬で青ざめた。
「イヤだ!!」
「乗ります!!」
一秒たりともためらうことなく、二人は我先にと車内へ飛び込む。
ドアが閉まった直後、低いエンジン音がキャビンに響いた。
次の瞬間――
車両はアゼンティナム・レルムの通路を一気に駆け抜け、彼らをなお深く、いまだ謎の痕跡が残るダンジョンの奥へと運んでいった。
それから、およそ二十分。
車両はアゼンティナム・レルムの通路を安定した速度で滑るように進み続けていた。
耳に届くのはエンジンの低い駆動音だけ。屋根のない車体の上を、壁面の結晶が放つ光が時折流れるように照らし、そのたびに景色は再び変わり映えのしない石造りの通路へと戻っていく。
静かだった。
いや、静かすぎるほどに。
カニバルの姿は一体も見当たらない。
唸り声も聞こえない。
モンスターが動いた気配すらない。
まるで先ほどまで相手にしていた群れは、この先へ進もうとする者を阻むためだけに、一か所へ集められていたかのようだった。
ロッキーは長く息を吐く。
「なんか……拍子抜けするくらい何もないな」
ヴィナは小さく頷いた。
「さっきはあれだけモンスターがいたのに」
「そう考えると……」
「……最初から全部あそこに集まってたのかもしれないね」
エレナは背もたれに身を預けた。
「かもしれないわ」
「大きな群れには、たいてい一定の行動パターンがあるものよ」
「侵入者を足止めすることが目的だったなら……」
「……その先が空になっていても不思議じゃないわ」
再び会話が途切れる。
ロッキーは車両を操縦し続けるカイデンの背中をちらりと見てから、少しだけエレナのほうへ身を寄せた。
「そういえばさ……」
「聞いてもいいか?」
「……カイデンの能力って、実際はどんなものなんだ?」
ヴィナもすぐに頷く。
「うん」
「最初はタレットを二基呼び出して」
「次はあの巨大な砲台」
「今度は乗り物まで出してきたし」
首を傾げる。
「レゾナンスで何でも作れるってこと?」
エレナはくすりと笑った。
「そんな単純だったら楽なんだけどね」
「でも、そういう仕組みじゃないの」
二人は一斉に興味深そうな表情を浮かべた。
「カイデンは何でも好き勝手に作り出せるわけじゃないの」
「実体化できるのは、すでに**ブループリント**が存在しているものだけ」
「ブループリント?」
「簡単に言えば、一つの物体に関するあらゆる情報を保存したデータね」
「形状」
「構造」
「そして、その物体がどう機能するかまで」
「そのデータが保存されていて……」
「……なおかつ十分なエネルギーがあれば」
「……システムがそれを現実の物質として再構築できるの」
ヴィナは何度か瞬きをした。
「じゃあ……」
「……さっきの乗り物も、そのデータから?」
エレナは頷く。
「タレットもそう」
「ほかの武装も全部ね」
ロッキーは眉を上げた。
「ってことは、欲しいものを思い浮かべれば出せるってわけじゃないのか?」
「そんな能力なら誰だって欲しがるだろ」
エレナは薄く微笑む。
「残念だけど、そんなに都合よくはいかないわ」
「ブループリントが存在しなければ……」
「……実体化することはできない」
「それにエネルギーが足りなければ……」
「……生成そのものが失敗することもあるわ」
ロッキーはしばらく黙り込んだ。
「えっ……」
「じゃあ、あいつの凄さって出せる数じゃなくて……」
「……どれだけ多くのデータを持ってるかってことなのか?」
そのとき初めて、カイデンも会話に加わった。
「大体その認識で合っている」
短い返答だった。
「ただ、成長するのは能力そのものじゃない」
視線は前方から一切逸らさない。
「増えていくのはデータベースの中身だ」
ロッキーとヴィナは顔を見合わせた。
「ってことは……」
「……まだ能力は伸びるのか?」
「もちろんだ」
車内は再び静寂に包まれた。
ロッキーは背もたれに体を預け、小さく息を吐く。
「……なんだろうな」
「……説明を聞けば聞くほど、逆に現実味がなくなってくる」
エレナはかすかに笑う。
「私はむしろ、とても理にかなっていると思うけど」
ヴィナは驚いたように振り向く。
「えっ?」
ロッキーは肩をすくめた。
「でもさ……今なら分かるよ」
「恐ろしいのは能力そのものじゃなくて……」
「……あいつが今までどれだけ妙なものをデータベースに溜め込んできたかなんだな」
エレナは思わず吹き出した。
「だったら、データベースがあまり急速に増えないことを祈るしかないわね」
ロッキーは反射的にごくりと唾を飲み込む。
「……聞かなきゃよかったかも」
再び、車両の駆動音だけが通路に響いていた。
前方の景色はほとんど変わらない。
ひび割れた石壁がどこまでも続き、その合間には破壊の痕跡だけが点々と残されている。
新たなモンスターの姿は一体として現れない。
その静けさは、かえって異様だった。
だが、その最中――
ドォォンッ!!
突如、凄まじい爆発音が通路を揺るがした。
衝撃は地面を伝い、車体の床まで震わせる。
カイデンは即座に視線を操作パネルから上げた。
「……前方だ」
エレナもすぐに同じ方向へ目を向ける。
「私も感じたわ」
ロッキーは反射的に身を起こした。
「あれって……まさか」
ヴィナは何も答えない。
次の瞬間、車両はさらに速度を上げ、爆発の発生源へ向かって一直線に駆け出した。
立ち込める黒煙がゆっくりと晴れていく。
炎に焼かれた痕跡が残る通路の中央から、一人の長身の男が傷ひとつない姿で歩み出てきた。
黒いローブが静かに揺れる。
濃い色のマスクが口元を覆い、その奥から覗く赤く鈍い双眸だけが、まっすぐ前を見据えていた。
その手には、一振りの長剣が力みなく握られている。
「その程度の火球では――」
男の声は冷え切っていた。
「……俺を傷つけることなどできない」
数メートル先では、一人の女性冒険者が悔しげに歯を食いしばる。
後ろで束ねた淡い茶色の髪は乱れ、先端の一部は、たった今放った爆発の熱で焦げていた。
彼女は一言も発することなく、再び男へと突撃する。
「はああああっ!!」
剣が風を切る。
キィン!!
二振りの刃が激しくぶつかり合った。
女はなおも間髪入れずに斬撃を繰り出し続ける。
左へ。
右へ。
そして、そのまま胸元めがけて鋭く突きを放つ。
だが、そのすべてがあっさりと受け流された。
ストーカーは両足をほとんど動かそうともしない。
「弱い」
キィン!!
「醜い」
キィン!!
「そして、動きが読みやすすぎる」
次の激突の瞬間――
女の剣は弾き飛ばされ、手から離れた。
目を見開く。
反応する間もなく――
ザシュッ!!
敵の剣先が肩口から脇腹へと鋭く薙ぎ払う。
鮮血が宙へ舞った。
「っ……!」
身体が大きくよろめく。
その直後、強烈な蹴りが腹部へ叩き込まれた。
「がはっ!」
女の身体は数メートル吹き飛ばされ、そのまま通路の壁へ激突する。
背後の岩壁には無数の亀裂が走った。
彼女は膝をつき、傷口を押さえながら荒い息を繰り返す。
視界は徐々に霞み始めていた。
それでも、意識が途切れる寸前――
その目は別の人影を捉える。
「……ロナン……」
かすれた声が漏れた。
少し離れた場所では、全身傷だらけの若い男が、黒いフードを被った女の肩にもたれかかるように力なく吊り下げられている。
両腕はだらりと垂れ下がり、
指先からは今なお血が滴っていた。
女性冒険者は震える身体に鞭を打ち、再び立ち上がろうとする。
「……だめ……」
「……その人を、連れていかないで……」
長身のストーカーは喉の奥で小さく笑った。
「哀れだな」
「ランクA冒険者と聞いていたが」
「自分一人すら救えないとは」
剣先をゆっくりと持ち上げ、その切っ先を女へ向ける。
「期待外れだ。貴様の実力は、この程度か」
仮面の奥にある赤い瞳が細められた。
「その程度で仲間を取り戻せると、本気で思っていたのか?」
「貴様には、私の前に立つ資格すらない」
女性冒険者は石畳を握り締める。
爪が割れそうになるほど力を込めても、
もはや身体は言うことを聞かなかった。
そのとき――
通路の上方から、機械の駆動音が響いてきた。
その場にいた全員が一斉に顔を上げる。
下り坂になった通路の先。
一台の浮遊車両がゆっくりと姿を現した。
下から見上げる彼らには、その機体が通路を満たす光の中から現れたように映る。
車両の先頭には――
一人の青年がまっすぐ立っていた。
カイデン・アークライト。
運転席に座ったままではなく、車体の上に立ち、黒いハンドガンを彼らへ向けて構えている。
その後ろでは、ヴィナとロッキーが顔を見合わせた。
二人の眉が同時に跳ね上がる。
(ちょっと待て……)
(あいつ、何をする気だ!?)
エレナだけは小さく鼻を鳴らした。
まるで、この後の展開をすでに予想していたかのように。
カイデンが引き金を引く。
ピシュッ!
ピシュッ!
ピシュッ!
ピシュッ!
四筋の青い光が一直線に通路を駆け抜けた。
しかし、ストーカーは微動だにしない。
剣だけが鋭く閃く。
キィン!!
キィン!!
キィン!!
キィン!!
四発のエネルギー弾は、まるで剣身に弾かれたかのように軌道を変え、通路の壁へ激突して小さな爆発を散らした。
一瞬、通路を静寂が支配する。
カイデンはゆっくりと眉をひそめた。
「……弾いただと?」
初めて、その声に戸惑いが混じる。
「そんなことは……」
「……あり得ないはずだ」
エネルギー弾は、本来なら通常の物理攻撃のように弾き返せるものではない。
長身のストーカーは鋭く目を細めた。
「ハイペリアルか……」
その赤い瞳がカイデンへ向けられる。
「……予想より早かったな」
隣にいた女が静かに頷く。
「ええ」
「このセクターへ入る前に、ランが警告していたわ」
男はなおもカイデンから目を離さない。
「ならば、あの報告は事実だったということか」
女は周囲を警戒しながら、小さく息を吐く。
「どうやら……」
「……ついに私たちを見つけたみたいね」




