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第四十六話

ヴォルタリス・トラムは、そのままポラリス中心地区へ向かって走り続けていた。


奥へ進むにつれ、周囲には大きな建物が次々と姿を現していく。白い大理石で造られた行政庁舎が大通り沿いに整然と並び、昼の光を受けた水晶のドームは眩しく輝いていた。その間では街の旗が穏やかな風にはためき、いくつもの塔のあいだを静かに彩っている。


だが、ケイルの視線は次第に別のものへ引き寄せられていった。


前方ではない。


トラムの線路、その右手側だった。


建物が密集する一角に、ときおり狭い隙間が現れる。その向こうには、すぐ近くを並行して伸びるもう一本の大きな通りが見えていた。


「……ん?」


窓際に座っていたシルヴィアが、真っ先に首を傾げる。何かを見つけたように、わずかに眉を上げた。


「あれ、何ですの?」


ケイルもその視線を追った。


最初は、ただ人通りが多いだけだと思った。


だが、トラムが交差点や建物の切れ間を通るたび、同じ光景が何度も目に飛び込んでくる。


大通りの両側には、大勢の人々が集まっていた。


市場や大道芸のように一か所へ群がっているわけではない。


通りに沿って長く並び、果てしなく続く人の列を作っている。その列は遠く彼方まで伸び、やがて視界の奥へと消えていた。


今いる位置からでは、通りの中央はほとんど見えない。


両脇に隙間なく並ぶ人々の頭や肩が、その景色をすっかり覆い隠していた。


シルヴィアは何度か瞬きをすると、さらに窓へ身を乗り出した。


「どうしてあんなに人が集まっているんですの?」


「俺にもまだ分からないな」


ケイルは目を細め、走り続けるトラムの窓越しに、少しでも多くの情報を拾おうとする。


向こうで何かが起きていることだけは間違いない。


ただ、まだ距離がありすぎて判別できなかった。


隣に座るカエラも外へ視線を向ける。


その表情がわずかに変わった。


「……私も、あの辺りがここまで賑わっているのは見たことがありません」


「じゃあ、普段はこんな感じじゃないんだ?」


「はい」


シルヴィアはすぐに振り向き、目を輝かせた。


「でしたら、きっと大きな催しがありますわよね?」


「その可能性はあります」


「お祭りですの?」


「かもしれません」


「街のお祝い?」


「それもあり得ます」


「王国のパレード?」


「十分考えられます」


「魔物の侵攻?」


カエラは無表情のまま彼女を見た。


「どうしてそこで急に話が飛ぶんですか」


「だって、人があんなにたくさんいますもの」


「それは理由になっていません」


シルヴィアは数秒ほど真剣な顔で考え込む。


「でしたら、ドラゴンですわ」


「どうしてまたドラゴンなんですか」


「普通の魔物より、そのほうが面白いじゃありませんか」


「論理というものがまるで働いていません」


ケイルは頬杖をついた。


「なんとなく、シルヴィアの思考パターンが分かってきた気がする」


「それは喜ぶべきことではないような気がしますが……」


「まだ誰も言っていない可能性を挙げただけですわ」


「それは可能性ではありません」


「夢です」


「もし本当にドラゴンが現れたら?」


「そのときは正式に謝罪いたします」


シルヴィアは満足そうな笑みを浮かべ、すぐさまカエラを指差した。


「ほら! やっぱり可能性はありますわ!」


「私の発言から、そんな結論は導き出せません」


こめかみを軽く押さえるカエラとは対照的に、シルヴィアは自分の理屈に満足したようにくすくすと笑う。


そんな他愛ないやり取りの最中も、ヴォルタリス・トラムは鉄路を滑るように進み続けていた。


だが、そのしばらく後――


チリン――


チリン――


車両前方からベルの音が鳴り響き、車内に漂っていた穏やかな空気をやわらかく断ち切る。


それに合わせるように、トラムはゆっくりと速度を落とし始めた。


金属の車輪がレールをきしませるかすかな音が床下から伝わり、窓の外を流れる景色も、それまでよりゆっくりとした速度へ変わっていく。


外を眺め続けていたシルヴィアは、ぱっと姿勢を正した。


「止まりますわ!」


「停留所だからな」


「でも、まだどこにも着いていませんわ」


「そもそも俺たちは目的地すら決めてないだろ」


シルヴィアはぱちりと瞬きをする。


「お出かけじゃありませんの?」


「それじゃ漠然としすぎて目的とは言えない」


「でしたら、目的は目的を探すことですわ」


「今思いつきで言っただろ」


「気づいてくださって光栄ですわ」


ケイルはしばらく彼女を見つめ、それから小さく首を振った。


その間にも、ヴォルタリス・トラムはポラリスの大通り沿いにある停留所へとゆっくり滑り込んでいく。


完全に停車すると、車内の乗客たちは次々と席を立ち始めた。


興味深いことに、その多くが無意識のうちに同じ方向へ視線を向けている。


先ほどから人で埋め尽くされていた、あの通りだ。


まるで街中の関心が、一か所へ吸い寄せられているかのようだった。


それに最初に気づいたのはシルヴィアだった。


「ねえ」


すぐに窓の外を指差す。


「あの人たちも、あっちへ向かうみたいですわ」


「そうみたいだな」


「ますます怪しいですわね」


「その好奇心、普通の基準で動いてるとは思えないな」


「褒め言葉ですの?」


「違う」


「でしたら褒め言葉として受け取っておきますわ」


同じように外の様子を見ていたカエラは、少し考え込むように口を開く。


「これだけ多くの人が同じ方向へ向かっているのでしたら、何か大きな出来事がある可能性は高いですね」


「ほら!」


シルヴィアは目を輝かせて振り返った。


「カエラお姉様もそうおっしゃっていますわ」


「カエラと呼んでいただければ十分です」


「分かりました、カエラお姉様」


「……」


カエラはそれ以上何も言わず、静かに諦めた。


満足そうに微笑んだシルヴィアは、再び外を指差す。


「でしたら、見に行きましょう」


「行かなきゃいけないわけじゃない」


「でも、行きますわ」


「それは別の話だ」


「好奇心旺盛な人にとっては、大差ありませんもの」


車両の扉が完全に開くよりも早く、シルヴィアは勢いよく席を立っていた。


その瞳には、隠そうともしない期待がきらきらと宿っている。


今の彼女は、道の先に面白そうなものを見つけた子どもそのものだった。


「今見に行かなかったら、一日中気になってしまいますわ」


「それはシルヴィアの問題だろ」


「一日中気になったら、そのことばかり話してしまいますわ」


「……」


「……」


ケイルは無言で彼女を見つめる。


そしてゆっくりとカエラへ顔を向けた。


「今の、脅しに聞こえたか?」


「とてもはっきり聞こえました、若様」


「俺の立場が分かっただろ」


「少しだけですが」


やがて車両の扉が開き切る。


街の匂いを運ぶ昼の風が、そのまま車内へと流れ込んできた。


ホームを行き交う人々の足音や話し声も、先ほどまでよりずっと近くに聞こえる。


そして誰かが何か言うよりも早く――


シルヴィアは真っ先に飛び降りていた。


「早くですわ!」


「向こうで何があるのか、まだ分かってないぞ」


「だからこそですわ」


「説得力のある理由じゃないな」


「私には十分ですわ」


ケイルは長いため息をつきながら席を立つ。


その諦めきった表情は、議論が始まる前から結末を知っていた者のようだった。


隣では、カエラがメイド服のスカートの皺を軽く整え、それから静かに立ち上がる。


「これは全員一致の決定ということにしておきます」


「それ、全員一致じゃないだろ」


「もう手遅れです、若様」


「今、俺の拒否権が奪われた気がするんだけど」


「実際に奪いましたので」


「隠す気すらないんだな」


カエラの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


ほどなくして、三人は停留所の外へ出る。


昼下がりの暖かな風がポラリスの大通りを静かに吹き抜け、膨らみ続ける人混みの話し声や足音を運んできた。


数歩先を歩いていたシルヴィアが、不意に片手を上げる。


「あちらですわ」


その指が示した先には、大通りの両脇を埋め尽くす人の波が、遥か彼方まで続いていた。


「行きましょう」


ケイルはもう反論する気にもなれなかった。


そもそも最初から引き返すという選択肢など、誰の頭にもなかったのだから。


三人は、それまで通ってきた道よりもはるかに幅の広い大通りを歩いていく。


歩道には街路樹が整然と並び、その両側には白い石造りの壮麗な建物が立ち並んでいた。開放的なバルコニーには花々が咲き誇り、街の旗が風に揺れている。


普段であれば、その景色だけでも初めて訪れた者の目を奪うには十分だっただろう。


だが今日、それに目を向ける者はほとんどいない。


誰もが、同じ方向を見つめていた。


そして近づけば近づくほど、この人だかりが意図的に大通りの両側へ集まっていることがはっきりと分かる。


屋台はない。


舞台もない。


祭りらしい催しも見当たらない。


人々はただ列を成して立ち、ときおり、まだここからは見えない大通りの先へ首を伸ばいているだけだった。


「……ふむ」


ケイルは小さなコートのポケットへ両手を入れる。


「普通の祭りなら――」


「食べ物を売る屋台くらいはありますよね」


カエラは小さく頷いた。


「私もそう思います」


「やっぱり変だよな?」


「少しですが」


数歩先を歩いていたシルヴィアが、くるりと振り返る。


「でしたら、なおさら見に行かなければなりませんわ」


「今の話からそんな結論にはならないだろ」


「私の中ではなりますもの」


「そこが一番心配なんだけどな」


歩みを進めるほどに、


視界は狭くなっていく。


前方を埋める人の列はますます密集し、まるで生きた壁のように行く手を塞いでいた。


背伸びをしている大人もいれば、


親の肩車をしてもらっている子どももいる。


中には折りたたみ椅子を持ち込んで、少しでも遠くを見ようとしている者までいた。


シルヴィアは足を止めた。


そして見上げる。


さらに見上げる。


それから、振り返った。


「……何も見えませんわ」


「ようこそ、普通の身長の世界へ」


「私、背は低くありませんわ」


「俺より低いけどな」


「ケイル様も十分低いですわ」


「それ、反論になってないぞ」


シルヴィアは唇を尖らせる。


そして視線を人混みの中へ走らせた。


左へ。


右へ。


やがて、すっと目を細める。


見覚えのある表情だった。


嫌な予感しかしない、何かを思いついたときの顔。


「嫌な予感がする」


ケイルは即座に察した。


「隙間がありますわ」


「ない」


「あります」


「シルヴィア」


「あそこなら通れますわ」


「シルヴィア」


「行けますわ」


「シルヴィア」


「もう遅いですわ」


案の定だった。


シルヴィアはそのまま勢いよく動き出す。


「失礼します!」


ケイルがため息をつき終えるより早く、シルヴィアは寄り添って立っていた二人の市民の間を、するりとすり抜けていった。


「えっ?」


「少し失礼しますわ!」


「あの子、どこから入ってきたんだ?」


「シルヴィア!」


「道がありますわ!」


「それは道じゃない!」


「私には十分道ですわ!」


シルヴィアが人混みの中へ完全に消えてしまう前に、ケイルも慌てて後を追わざるを得なかった。


その後ろで、カエラは一度だけ静かに目を閉じる。


ほんの一秒ほどのことだった。


それから歩き出す。


「申し訳ありません」


「失礼いたします」


「少々、お通しください」


口調は最後まで丁寧なまま。


だが、その進み方はシルヴィアよりもはるかに効率的だった。


メイド服姿を目にした人々が、自然と道を譲っていくのである。


その頃には、シルヴィアはすでに数メートル先まで進んでいた。


「こちらですわ!」


「一回止まれ!」


「止まったら隙間がなくなってしまいますわ!」


「そういうゲームじゃないんだ!」


「私の中ではそうですわ!」


シルヴィアにぶつかりそうになった中年の男性が、思わず眉をひそめる。


「お、おい! 押すんじゃない!」


「ごめんなさい!」


謝る声だけは元気よく返ってくる。


もちろん、足は止まらない。


「だったらなんでそのまま行くんだ!?」


「気になるんですもの!」


「理由としては分かるけど、それでも駄目なものは駄目だ!」


そのやり取りに、ケイルは思わず小さく吹き出しそうになった。


不思議なことに、


最初こそ迷惑そうな顔をしていた人々も、相手がシルヴィアだと分かると、本気で怒る様子はなかった。


あまりにも正直すぎるからなのか。


それとも、感情がそのまま顔に出るほど分かりやすいからなのか。


ともあれ、三人は少しずつ前へ進んでいく。


一列。


二列。


三列。


突破できそうになかった人の壁が、少しずつ開けていった。


そして、ついに――


真っ先に抜け出したシルヴィアが、小さく声を漏らす。


「わあ……」


その声色が、すっと変わった。


数秒遅れて人混みを抜けたケイルも、ゆっくりと顔を上げる。


もう視界を遮る人波はない。


三人は最前列までたどり着いていた。


目の前には、遥か彼方までまっすぐ伸びる石畳の大通り。


その縁を挟むように、両側には何百人もの市民が整然と並び、まだ姿を見せぬ何かを静かに待っている。


対照的に、大通りの中央だけはぽっかりと空けられていた。


何もない。


ただひたすらに、きれいに。


まるで、この街全体が、これから現れる誰かのために道を譲っているかのようだった。


「へぇ……」


シルヴィアは何度か瞬きをする。


「思ったより簡単でしたわ」


「その台詞は二度と言うな」


ケイルは即座に返した。


「少なくとも、今さっき突き抜けてきた人たちの前ではな」


「どうしてですの?」


「ポラリスの人たちに追いかけ回されずに帰りたいからだ」


少し遅れてカエラもようやく追いつき、小さく息をつく。


あれだけ人混みを抜けてきたというのに、不思議なほど髪は乱れていなかった。


「私は……」


カエラは遥か先にある大通りの果てへ目を向ける。


「……私も気になってきました」


トラムを降りてから初めて、


三人の誰も口を開かなかった。


視線は揃って、ただ一つの方向へ向けられる。


待ちながら。


このポラリスの大通りに、街中の人々を足止めし、これほどまでに集めた人物が――いったい誰なのかを、その目で確かめるために。

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