第三十一話
ガァァン――ッ!!
重い金属音が狭い山道を揺るがし、その反響が荒れた岩壁の間を何度も跳ね返った。
山風が激しく渦を巻き、砂埃と小石を巻き上げる。隊商の前方数十メートル先では、アストラ・ヴォレアの淡い緑の閃光が空気を切り裂いていた。続く斬撃音はほとんど間を置かずに響き、通常の武器同士の衝突とは比べものにならないほど鋭い。
ドガァッ――!!
誰かの叫び声が上がった。
直後、身体が岩場へ叩きつけられる重い音が前方から響いてくる。
ケイルは反射的に前方へ視線を向け、わずかに息を呑んだ。馬車の隙間から見えるのは、舞い上がる砂塵の中で時折走る緑色の光と、カエラを取り囲みながら動き続ける盗賊たちの影だけだ。
そしてなぜだろうか。
はっきり見えないからこそ、かえって緊張感が増しているように感じられた。
だが、その戦いへ意識が引き寄せられるより早く――
「集中しろ!」
隊商の後方から荒々しい怒声が空気を裂いた。
ケイルは弾かれたように振り返る。
そしてその瞬間、ラインマーの戦いもついに本格的に幕を開けた。
先頭を切ったのは剣を持つ盗賊だった。
汚れた靴が乾いた地面を蹴り上げる。巨体が右から半歩踏み込みながら捻られ、手にした錆びた長剣がラインマーの頭部へ向けて荒々しく突き出された。
ラインマーは首を左へ傾ける。
剣先がこめかみの脇を紙一重で掠めた。
だが、刃が完全に引き戻されるより早く、反対側から二撃目が迫る。
今度はさらに速い。
さらに近い。
ラインマーは首を右へ捻りながら後ろ肩を引いた。
冷たい刃が髪を揺らすほど間近を通り過ぎる。
盗賊は止まらない。
そのまま手首を返し、突きを横薙ぎへと変化させた。
長剣が首の高さを薙ぎ払う。
ラインマーは鋭く身を沈めた。
頭部が左から低く右下へ流れるように動く。その動きは、一瞬だけ身体から骨が消えたかのようだった。
一撃目がうなじのすぐ上を通過する。
だが、続けざまに二撃目が襲いかかる。
錆びた剣が今度は反対側から、さらに重い勢いを乗せて振るわれた。
ラインマーはまだ完全に身を起こしていない。
それでも首は再び同じ軌道を描く。
右から回り込み、左下へ。
刃が生み出す荒い風が背中を撫でた。
そして身体が左側へ流れ切ったその瞬間――
足が前へ踏み込んだ。
一歩。
素早く相手の懐へ潜り込む。
ドッ。
ラインマーの右足が、剣を持つ盗賊の肩甲骨の下を正確に蹴り抜いた。
盗賊の身体が大きく前方へ押し出される。
足元が浮き、体勢を失ったまま自らの突進方向へ倒れ込みかけた。
だが、ラインマーにはその隙を利用する余裕すらなかった。
先に反応したのは本能だった。
背後で何かが動く。
空気が変わる。
速い足音。
近い。
ラインマーは即座に身体を捻った。
短刀の閃きと同時に、背中を狙った凶悪な突きが放たれる。
身体を攻撃線から外す。
刃先は胸元の前を紙一重で通り過ぎ、そのまま盗賊の身体が横を駆け抜けた。
だが相手も勢いを失わない。
突きを外した右手は乱暴に引き戻され、そのまま再び一直線にラインマーの頭部を狙って放たれる。
二度目の突きはさらに速かった。
ラインマーは顔を横へ逸らす。
刃がこめかみの脇を掠めて通過した。
その直後、盗賊の右腕が不意に引かれる。
同時に左拳が大きく弧を描き、顎を砕かんと襲いかかった。
ラインマーは下がらない。
右腕が内側から動く。
バシッ。
前腕が相手の手首を打ち払い、拳が十分な威力を乗せる前に軌道を逸らした。
しかし、短刀使いの攻勢は止まらない。
右手の短刀が即座に下から跳ね上がる。
動きは小さい。
だが、恐ろしく速い。
一直線に腹部へ向かって突き上げられた。
ラインマーの左手が即座に開く。
突き上げてきた相手の手首を横から掴み、そのまま刃が潜り込むのを阻止した。
腕の筋肉が硬く張り詰める。
鋭い突きを力ずくで押し留めるためだ。
だが、拘束された状態にもかかわらず、その盗賊は攻撃の手を緩めなかった。
左腕が奇妙な軌道を描いて後方へ回る。
肘を外へ開きながら上体を反時計回りに捻り、その勢いのまま裏拳がラインマーの側頭部へ襲いかかった。
ラインマーは反射的に左肘を高く上げる。
腕を密着させ、耳とこめかみを守った。
ドッ。
重い衝撃が肘の側面を叩く。
だが終わりではない。
短刀使いはその回転の勢いを途切れさせず、そのまま細身の身体を浮かせるようにして左脚を横から振り上げた。
バシィッ。
一発目の蹴りがラインマーの防御を打つ。
身体が半歩ほど右へ流された。
しかし足場を立て直すより早く、今度は右脚が空中から襲いかかる。
二撃目はさらに高い軌道。
狙いは頭部だった。
ドガッ。
再び左肘へ重い衝撃が叩き込まれる。
今度は肩ごと押し下げられた。
靴底が乾いた地面を荒く擦る。
連続する圧力に押され、ラインマーの身体は一歩後退した。
歯の隙間から重い息が漏れる。
そして左手が元の位置へ戻った、その瞬間――
剣を持つ盗賊が再び飛び込んできた。
乱暴な踏み込みと共に、錆びた長剣が左側から一直線に胸を狙う。
速い。
近すぎる。
完全には避けられない。
ラインマーの身体が反射的に後方へしなる。
胸が引かれ、背骨全体が一瞬だけ弓のように反った。
剣先が衣服を掠める寸前を通り過ぎる。
さらに頭を深く下げ、上半身を攻撃線から逃がした。
しかし盗賊は即座に次の動きへ移る。
手首が強く返された。
剣身が身体の脇から右上へ向かって斜めに跳ね上がる。
ヒュッ――
鋭い斬り上げが顔面へ迫った。
ラインマーは首を右へ傾ける。
剣先が鼻先を紙一重で掠めて通過した。
その直後、再び空気を裂く金属音。
盗賊は腰を捻り、そのまま横薙ぎを放つ。
刃が左方向へ大きく振り抜かれた。
ラインマーは鋭く身を沈める。
頭が右から左下へ滑り込むように動き、長剣は髪のすぐ上を薙ぎ払った。
そしてその一撃が身体を通り過ぎた瞬間――
ラインマーの手が盗賊の手首を掴む。
強烈な引き。
突然の力により相手の勢いが断ち切られた。
剣士の身体が半歩前へ引き寄せられる。
その隙を逃さず、ラインマーは懐へ踏み込んだ。
右膝が容赦なく跳ね上がる。
ドスッ。
一撃目がみぞおちへ突き刺さった。
盗賊の身体がくの字に折れる。
だが、ラインマーは掴んだ腕を離さない。
引き寄せたまま、二発目の膝を深く叩き込む。
盗賊が激しく息を詰まらせた。
さらに身体が後退するより先に――
三発目。
右膝が腹の中央へ容赦なくめり込む。
ドゴッ。
盗賊の口から荒い息が吐き出された。
顔色が一瞬で青ざめる。
そのまま吐き戻してもおかしくないほどの一撃だった。
それでもなお、生存本能は失われていない。
両手が乱暴にラインマーの胸を押し叩いた。
ドンッ。
ラインマーの身体が半歩後ろへ押し戻される。
その拍子に手首への拘束が解けた。
距離が開いた瞬間、剣を持つ盗賊が再び動く。
長剣が全力で横薙ぎに振り抜かれた。
左から右へ。
空気を裂く勢いで迫る。
ラインマーは上体を後ろへ逸らした。
錆びた刃が顔の前を紙一重で通過する。
だが、その斬撃が振り切られるよりも早く――
ラインマーの足はすでに前へ出ていた。
右拳が肩の後ろから一直線に走る。
ドガッ。
重い拳が剣士の側頭部を捉えた。
首が大きく弾かれ、身体がよろめく。
二歩。
完全に体勢を崩して後退した。
しかし、ラインマーに息を整える暇はない。
短刀使いがすでに横から飛び込んできていた。
右手の突きが肩を狙って走る。
ラインマーは左腕を内側から回した。
パシッ。
相手の手首を弾き、刃先を軌道から逸らす。
短刀が刺さることはなかった。
だが、今度は左拳が続く。
一直線に鼻を狙った正拳突き。
ラインマーは顔をわずかに逸らしながら、右手のひらでそれを払い落とした。
衝撃が手首へ響く。
だが相手は止まらない。
細身の身体が突如として反時計回りに回転した。
左肩が持ち上がる。
そして左肘が勢いよく側頭部へ叩き込まれた。
ラインマーは反射的に右腕を持ち上げる。
ドッ。
肘打ちが防御を強打した。
肩が押し下げられるほどの重さだ。
しかし短刀使いは着地を待たない。
足が地面に触れる前に再び回転へ移る。
今度は時計回り。
腰が鋭く捻られ、右肘が凶悪な勢いで頭部へ迫った。
ゴッ。
ラインマーは辛うじて防御を間に合わせる。
それでも衝撃は完全には殺せない。
頭の側面が鈍く震えた。
重い圧迫感が首筋まで走る。
短刀使いはすぐに攻撃の調子を変えた。
左脚が低く振り抜かれる。
狙いは腰。
バシィッ。
蹴りがラインマーの脇腹へ直撃した。
肘を下ろすには遅すぎた。
呼吸が乱れる。
鈍い痛みが腰へ広がり、身体が半歩ほど流された。
そして足場を立て直そうとした、その瞬間――
次の蹴りがすでに迫っていた。
今度は右脚。
より高い軌道で肋骨を狙う。
ラインマーは間に合わない。
腕を下ろして衝撃の一部は受けたものの、その威力までは殺し切れなかった。
蹴りが脇腹を打ち抜く。
肩が斜めに押し流された。
靴底が砂混じりの地面を荒く擦る。
まだ終わらない。
短刀使いが突然跳び上がった。
身体が空中で回転する。
そして――
回転の勢いそのままに、左脚が一直線に突き出された。
狙いは胸。
ラインマーの目が見開かれる。
反射的に両腕を胸の前で交差させた。
直後。
ドォンッ!!
まるで大槌で殴りつけられたかのような衝撃。
蹴りが防御ごと身体を押し飛ばした。
ラインマーは数歩後退する。
靴が荒れた地面を削り、乾いた砂塵が後方へ舞い上がった。
胸が苦しい。
左腕は何度も衝撃を受け続けたせいで感覚が鈍くなり始めている。
そして戦闘開始以来初めて――
ラインマーの荒い呼吸がはっきりと聞こえた。
胸が大きく上下する。
吸い込む乾いた空気と共に、薄い砂埃まで肺へ流れ込んでくる。
だが二人の盗賊は時間を与えなかった。
先に動いたのは剣士だ。
金属の唸りが空気を裂く。
長剣が真上から振り下ろされた。
狙いは頭部。
ラインマーは左足を後ろへ引きながら肩を捻る。
ガキィンッ!
長剣が硬い地面へ叩きつけられた。
刃は靴先のすぐ前に突き刺さり、砕けた土と小石が周囲へ弾け飛ぶ。
だが、その攻撃はまだ終わっていなかった。
剣を持つ盗賊は即座に剣を引き戻し、今度は腰の高さを狙って横薙ぎを放つ。
ラインマーは短く後方へ跳んだ。
だが、先ほど受けた蹴りの影響で腰に鋭い痛みが走る。
着地した両足がまだ安定しきらないうちに、短刀使いが右側から踏み込んできた。
鋭い突きが一直線に胸を狙う。
ラインマーは相手の手首を払い、軌道を逸らした。
しかし直後には短い斬撃が顔面へ走る。
刹那、首を傾ける。
短刀の切っ先がフードの脇を掠め、そのまま頬の近くの布地を裂いた。
息を整える暇もない。
左拳が鼻先へ向かって真っ直ぐ飛んでくる。
ドッ。
ラインマーは前腕を上げて受け止めた。
それでも衝撃は骨の奥まで響く。
短刀使いの攻勢は止まらない。
右膝が素早く腹部へ突き上がる。
ラインマーは半身になって身体を捻った。
直撃は避けた。
だが完全には外せない。
膝は腰を強く打ち、呼吸を乱した。
そして、そのわずかな隙を剣士は見逃さない。
右上から斜めに振り下ろされる斬撃。
ラインマーは慌てて身を沈めながら左肩を前へ出した。
それでも錆びた刃先は背中のマントを掠める。
布が裂けた。
左肩の後ろに熱を帯びた痛みが走る。
まだ終わらない。
剣士はそのまま剣筋を返した。
今度は下からの斬り上げ。
ラインマーは身体を横へ投げ出すように避ける。
そのまま真っ二つにされるのを避けるためだった。
靴底が乾いた地面を激しく擦る。
危うく足を取られそうになる。
だが、体勢を崩しかけたその瞬間ですら――
短刀使いは迫っていた。
左拳のフックが至近距離から飛ぶ。
ラインマーは首を右へ振る。
続いて突きが脇腹へ伸びる。
左手でそれを払う。
だが、ほぼ同時に低い足払いが走った。
間に合わない。
バシィッ!!
脛を払われ、身体が大きく揺らぐ。
そこへ剣士が再び飛び込む。
全力の横薙ぎ。
狙いは首。
ラインマーの身体が反射的に深く沈んだ。
膝が地面につきそうになるほど低く。
斬撃の風がうなじのすぐ上を通り過ぎる。
そして短刀使いの右肘が横から叩き込まれた。
ドッ。
衝撃が肩を打つ。
右腕の感覚が一瞬だけ消えた。
呼吸が崩れる。
短く。
重く。
乾いた砂埃と鉄臭さが口の中へ広がった。
それでも二人の盗賊は止まらない。
左からは剣。
右からは短刀。
ほぼ同時に襲いかかる。
ラインマーは左手で短刀を払いながら身体を傾けて長剣を避けた。
だが完全には避けきれない。
短刀の切っ先が腕の脇を浅く裂いた。
焼けるような痛み。
細い血が流れ出し、衣服を濡らしていく。
だが、その直後には次の攻撃が迫っていた。
横薙ぎ。
短い突き。
真っ直ぐな拳。
途切れることなく連なってくる。
まるで終わりのない圧力で押し潰そうとしているかのようだった。
ラインマーは完全に防戦へ追い込まれていく。
一撃を捌いた直後には次の斬撃を避けるために身体を捻らなければならない。
腕を上げて衝撃を受け止めたかと思えば、今度は距離を保つために半歩下がる。
だが、その距離すら二人の盗賊は容赦なく詰めてくる。
身体が重い。
右肩は熱を持っている。
腰は絶えず鈍く痛む。
そして呼吸のリズムも少しずつ乱れ始めていた。
対する二人の盗賊は、なおも隙なく攻め続ける。
先に動いたのは短刀使いだった。
脇腹を狙った鋭い突き。
ラインマーは手首を払って軌道を逸らす。
だが同時に、剣士が長剣を高々と振り上げていた。
次の瞬間。
渾身の力を込めた縦斬りが真っ直ぐ振り下ろされる。
ラインマーの目が見開かれた。
近すぎる。
受けられない。
防御を選ぶ余地すらなかった。
身体が反射的に横へ飛ぶ。
ドガァンッ!!
長剣が硬い地面へ叩きつけられた。
ほんの一瞬前まで頭があった場所へ。
ラインマーはそのまま勢いを利用し、砂埃と小石の上を転がる。
距離を取るように何度か転がった後、数メートル離れた場所でようやく止まった。
すぐに半身を起こす。
腰を落としたまま立ち上がる。
呼吸は荒い。
胸が焼けるように熱い。
両腕は衝撃の蓄積でわずかに震えていた。
そして――
戦闘が始まってから初めて。
ラインマーは呼吸を整えるためだけに、本当に距離を取らされていた。




