第二話
不意に、小さな笑い声がこぼれた。
静かで、どこか堪えるような笑いだった。
まるで、本当は隠しておきたかったものが少しだけ漏れてしまったかのように。
アキラは手の甲で口元を覆い、肩をわずかに震わせる。
「はは……才能ない、か」
短く息を吐きながら、彼は細く目を眇めた。
まるで、本当に馬鹿らしい昔話を思い出したみたいに。
「ちゃんとスキル使いながら射撃を合わせる練習してた頃を思い出すよ。全然うまくいかなかったな」
蓮司は少しだけ首を傾け、口元をわずかに緩めた。
「ターゲットの置き方とスキルのタイミング……あれは慣れるまで難しいよな」
「そう、それそれ」
アキラはゆっくり頷く。
隣では、佐々木もどこかぎこちなく小さく笑った。
「あー、それ俺もわかります……」
後頭部を掻きながら浮かべた笑みは、少し硬い。
「めちゃくちゃ大変でした。みんながいなかったら……たぶん、今でもずっと失敗してたと思います。このゲーム始めた頃から」
最後のほうになるにつれ、声が少しだけ弱くなる。
視線が一瞬だけ下へ落ちた。
まるで、自分で口にしたその言葉を本気で信じているみたいに。
すると鈴木が小さく舌打ちし、腕を組む。
「ったく……負けるの怖いからって、今さら弱気になんなよ」
半歩前に出た彼は、少し顎を上げた。
その目には、真っ直ぐな熱が宿っている。
「俺たちは勝ちに来たんだ。だったら勝つ。それだけだろ」
「その通り!」
平田がすぐに声を上げる。
屈託のない笑顔を浮かべたまま、大きく頷いた。
「難しく考えすぎなんだって!」
蓮司は、一人ずつその顔を見つめた。
さっきまで胸の奥に張りついていた重苦しさが、少しずつほどけていく。
ゆっくりと息を吸い込み――
「……そうか」
低い声。
けれど今度は、もう揺れていなかった。
「ありがとう、みんな」
少しだけ顔を上げる。
迷いを滲ませていた瞳には、もう確かな意志が宿っていた。
「俺、みんなのために全力を尽くすよ」
その瞬間――
バシッ、と強い衝撃が肩に落ちる。
一回。
二回。
三回。
「そうこなくっちゃな!」
鈴木が満足そうに目を細め、大きく笑った。
「それでこそ俺の友達だ」
彼の手はまだ蓮司の肩に置かれたまま、少し強く握られている。
「変なこと一人で抱え込むな。俺たちはただのチームじゃない」
そこで一度、言葉を切った。
そして少しだけ声を和らげる。
「仲間だ。同じ目標を目指してる」
視線は、その先にそびえる巨大な建物へ向けられていた。
「あのトロフィーを掲げるんだよ」
一瞬、静寂が落ちる。
朝の風が静かに吹き抜け、周囲を行き交う人々の足音を運んでいった。
アキラが一歩近づく。
穏やかな表情は変わらない。
けれど、その眼差しだけははっきりとしていた。
「その通りだ」
彼もまた、同じ方向を見る。
「俺じゃない。お前でもない」
そして、ゆっくりと――
「俺たち全員で、だ」
決して大きな声ではなかった。
なのに、不思議なくらい重みがあった。
「大きな大会だ。みんな見てる」
短く息を吐く。
「そして、一番上に立つのは俺たちだ」
すると平田が勢いよく両手を叩いた。
顔いっぱいにやる気を滲ませながら。
「よーし! じゃあ円陣組もうぜ!」
返事を待つことなく、鈴木と佐々木の肩を抱いて引き寄せる。
「チャンピオンの気合い、見せてやろう!」
鈴木は小さく笑い、拳を握った。
「おう! ボコボコにしてやる!」
「お、俺も頑張ります!」
佐々木も続く。
まだ少し緊張は残っていたが、その声はさっきよりずっと力強かった。
「もう置いていかれたくないです!」
「全員、本気出していこうぜ!」
平田が目を輝かせながら言う。
「仲間を信じれば、勝利はついてくる!」
今度の佐々木の声には、もう迷いがなかった。
アキラがゆっくりと振り返る。
その視線は、真っ直ぐ蓮司へ向けられた。
「蓮司」
静かな声だった。
けれど、その一言だけで他の全員も自然と口を閉ざす。
「準備はできてるか?」
蓮司は一瞬だけ固まった。
四人の視線が自分へ向けられている。
圧をかけるでもない。
無理に背中を押すでもない。
ただ――信じてくれていた。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ゆっくりと、彼は頷いた。
「……ああ」
短い返事。
だがその声に、もう迷いは欠片もなかった。
アキラが静かに手を差し出した。
「それじゃあ……みんな、手を」
一人、また一人と――
最初に鈴木がその上へ手を重ねる。
自信に満ちた笑みを浮かべながら。
「俺は勝てるって信じてる。遠距離支援は任せろ」
続いて佐々木も手を伸ばした。
その手のひらは、少しだけ震えている。
「お、俺は……できるだけ罠を張ります」
「じゃあ俺は囮役だな!」
平田が迷いなく二人の手を叩くように重ねた。
「思いっきり追いかけさせてやる!」
アキラの表情は変わらない。
「俺が全体を組み立てる」
そして再び、蓮司を見る。
「お前は……全部を動かせ」
鈴木がニヤリと笑った。
「それができるの、お前だけだからな」
佐々木も慌てたように頷く。
「頼りにしてます」
平田は楽しそうに笑った。
「さすが、マスターの中のマスターだな?」
蓮司は黙ったまま、彼らを見つめる。
ゆっくりと手を持ち上げ――
その上に、自分の手を重ねた。
温かかった。
確かに、そこにあった。
「みんな……」
一瞬だけ目を閉じる。
深く息を吸い込み――
再び目を開いた。
今度は、もう迷わない。
「……よし、証明しよう」
低い声。
けれど、はっきりとした響きがあった。
「俺たちが、本当に頂点に立つべきチームだって」
「おおっ!!」
全員の声が同時に重なる。
合図なんてなかった。
それでも彼らは、揃って手を高く掲げた。
「俺たちが勝つ!!」
重なった声が、そのまま空へ突き抜けていく。
まるで、勝利以外の未来など最初から存在しないと信じているみたいに。
しばらくして、彼らは再び歩き出した。
建物の入口へ続く階段を、肩を並べて上がっていく。
空気はまた少し和らぎ、小さな笑い声も戻ってくる。
――だが。
「……あれ」
不意に、蓮司が足を止めた。
階段の途中で動きを止めた彼に、佐々木が振り返る。
「どうしたんですか?」
蓮司はわずかに眉を寄せた。
無意識に、手が胸元へ触れる。
「俺……」
言い淀む。
「急に、嫌な感じがして……」
短い沈黙。
アキラが静かに彼を見つめた。
その目はいつも通り落ち着いている。
「自分を信じろ」
平坦な声。
けれど、不思議と揺るがなかった。
蓮司は小さく息を吐く。
「いや……うん。でも、そういう意味じゃ――」
言い終える前に、突然腕が首へ回された。
「おいおい! だから変なこと考えんなって!」
鈴木がそのまま蓮司を引き寄せ、乱暴に髪をかき回す。
「考えすぎると弱くなるぞー?」
「っ、ちょ……! 離せ! 痛っ……!」
蓮司が顔をしかめながら抵抗する。
その締めつけは、冗談にしては妙に本気だった。
「このままだと死ぬって……!」
「はははっ!」
また笑い声が弾ける。
そして彼らは気づかないまま、前へ進み続けていた。
この日を境に――
もう二度と、同じではいられなくなるとも知らずに。
「――だから離せって! 痛いんだってば! 本当に死ぬ!」
笑い声にかき消されそうになりながら、蓮司が抗議する。
首に回された鈴木の腕を引き剥がそうとするが、その力は妙に強い。
冗談にしては、少し強すぎるくらいに。
ただの悪ふざけのはずなのに――
なぜか、喉の奥に嫌な圧迫感が残っていた。
まるで、本当に締めつけられているみたいに。
まるで――捕まった犯罪者みたいだった。
「はははっ!」
だが鈴木はさらに大きく笑うだけで、離す気配はまるでない。
「やめろ、鈴木」
前を歩いていたアキラの平坦な声が割って入る。
歩調は一切緩まない。
「そいつが死んだら……俺たちも終わる」
落ち着いた声だった。
淡々としている。
なのに、不思議なくらい鋭かった。
鈴木がぴたりと動きを止める。
「はぁ? 死ぬってなんだよ」
少しむっとしたように眉を上げるが、アキラはもう先へ歩いていた。
振り返りもしない。
まるで、その程度のやり取りに意味なんてないと言わんばかりに。
隣を歩いていた佐々木が、気楽そうに肩をすくめる。
「アキラの言う通りですよ」
その声は軽かった。
軽すぎるくらいに。
「そんな感じだと、将来性ゼロですし」
今度こそ鈴木の足が止まった。
信じられないものを見るような顔で振り返る。
「――お前まで言うのかよ!?」
後ろでは平田が呑気に口笛を吹いていた。
「ひゅーひゅ〜♪」
間の抜けたその音が空気に溶けて、さっきまでのやり取りを全部どうでもよくしてしまう。
彼らの足は、そのまま奥へ進んでいく。
アリーナへ。
舞台へ。
そして――
もう二度と、取り戻せない場所へ。
◇ ◇ ◇
――三時間後。
アリーナの天井は遥か高くまで広がり、無数の照明フレームとデジタルパネルが鮮やかな光を放っていた。
ゆっくりと動くスポットライトが、左右を埋め尽くす観客席をなぞっていく。
そこにあるのは、ただの観客席ではない。
果ての見えない、人の海。
響き渡る歓声は、もはや“賑やか”なんて言葉では足りなかった。
轟音。
絶え間なくぶつかり合う波のように、アリーナ全体を震わせている。
中央には巨大なステージ。
その右側から一本の入場通路がまっすぐ伸びていた。
まるで、壁の奥に隠された暗い通路から、この舞台へ導くための道のように。
そこから選手たちは現れる。
光の中心へ。
すべてを賭ける場所へ。
そして、その瞬間――
会場の照明がふっと落ちた。
さっきまで荒れ狂っていた歓声が、期待を押し殺すようなざわめきへ変わっていく。
『LADIES AND GENTLEMEN!!』
轟くアナウンスが会場全体を揺らし、観客の何人かは思わず立ち上がった。
『WELCOME TO THE GRAND FINAL――FRACTURED CONTROL SEASON ONE!!』
『WOOOOOOOOOH!!』
重低音のSEが鳴り響き、閃光のようなライトがステージを駆け抜ける。
『ついにこの時がやってきた! 最高峰の二チーム――頂点を決める最終決戦だ!!』
スポットライトがゆっくりと右側の通路へ向けられる。
『そして今――ご紹介しよう! シーズンを通して圧倒的な存在感を見せつけてきたチームを!!』
その瞬間。
観客の熱が一気に高まった。
最初はざわめき程度だったものが、みるみるうちに膨れ上がっていく。
『ほとんど敗北を知らない絶対王者!!』
通路の奥から、足音が響き始める。
一歩。
二歩。
闇の中から、五つの影が姿を現した。
『揺るがぬ勝利の象徴!!』
正面からライトが弾ける。
『THE RISING STARRRRR!!!』
『WOOOOOOOOOOOOOOHHHHHH!!!』
歓声が爆発した。
もう誰にも止められない。
『NONAME!! NONAME!! NONAME!!』
その名が響き渡る。
何度も。
何度も。
拍手、口笛、絶叫。
あらゆる声が混ざり合い、会場全体を埋め尽くしていた。
最前列では、立ち上がって小さなボードを掲げる観客たちの姿も見える。
『NONAME』
その周囲には、他の名前も並んでいた。
『ZENITH』
『TRACE』
『SPARK』
『RECKLESS』
蓮司はチームメイトたちと共に、光の中へ足を踏み出した。
彼が身に纏う白いジャケットが、歩みに合わせて静かに揺れる。
袖に走る金のラインはステージライトを受けて淡く輝き、左肩に刻まれた星のエンブレムが、スポットライトの下ではっきりと浮かび上がっていた。
胸元と背中にはいくつものスポンサーロゴ。
『ZenthraCore』
『Virex Systems』
そして、布の皺に半分隠れたもう一つのロゴ。
だが――
そんなものを見ている者は、ほとんどいなかった。
観客の視線は、ただ一人へ向けられている。
蓮司。
――NONAME。
彼の歩みは変わらず静かだった。
けれど、その瞬間。
わずかに眉が動く。
歓声が――
大きすぎた。
多すぎた。
まるでアリーナ中の全員が、同時に自分の名を呼んでいるみたいだった。
隣では、鈴木が満面の笑みを浮かべながら高く手を振っている。
「おいおい! 落ち着けって、お前ら!」
叫んではいるものの、その声さえ歓声に飲み込まれていた。
佐々木は少し身体を強張らせている。
肩には力が入り、視線も落ち着かない。
これほど大勢から注目されることに、まだ慣れていないのが見て取れた。
一方で平田は、むしろ楽しそうだった。
目を輝かせながら、小さく笑っている。
この熱狂のすべてを、心から楽しんでいるように。
そしてアキラは――
ただ真っ直ぐ前を見て歩いていた。
落ち着き払ったまま。
まるで、この程度の舞台はもっと大きな何かへの通過点にすぎないと言わんばかりに。
『見てください!!』
実況の声が再びアリーナへ響き渡る。
さっきよりも速く、さらに熱を帯びて。
『あれが――NONAME!! 現在、世界ランキング第一位のプレイヤーだ!!』
カメラが一斉に蓮司の顔を捉えた。
アリーナ中央に吊るされた巨大スクリーンが眩しく光る。
左側には、『The Rising Star』の大きなロゴ。
鋭い光のエフェクトと共にゆっくり回転し、その下へチームメンバーの名前が順番に表示されていく。
だが、その中でもひときわ強い光を当てられていた名前がある。
――NONAME。
『圧倒的な実力、常識外れの反射神経、そして誰にも読めない戦略!! まさにこのチームの中心だ!!』
再び歓声が爆発する。
『そして今日もまた!! 彼はチームを完全勝利へ導くのか――!?』
蓮司はわずかに顔を伏せた。
押し潰されそうだったわけじゃない。
ただ――
どう反応すればいいのか、わからなかった。
ジャケットのポケットの中で、指先が小さく握られる。
熱かった。
妙に。
説明できない感覚が胸の奥に広がっていく。
彼らはそのまま右側の通路を進み、ステージ中央へ向かう。
前方には数段の階段。
入場通路とメインステージを隔てる境界線のように、左右へ分かれたエリアが広がっていた。
左。
そして右。
向かい合うように配置された二つの長いデスク。
その上にはVR機器が整然と並び、下を通るケーブル類も綺麗にまとめられている。
小さなインジケーターライトが静かに点滅していた。
まるで、選手たちを待っているかのように。
頭上には二枚の巨大スクリーン。
ステージの映像や、各チームのステータス情報が映し出されている。
すべてのライトは、中央へ集中していた。
視線も。
熱狂も。
この舞台のすべてが、そこへ集まっていく。
蓮司は階段の前で、一瞬だけ足を止めた。
ほんの刹那。
そして――踏み出す。
一段。
二段。
その足がステージ中央へ届いた瞬間。
歓声が、再び跳ね上がった。
さらに大きく。
さらに激しく。
まるでこの場にいる全員へ、叩きつけるように。
今日――
この舞台の中心に立つのは、彼なのだと。
そして、その存在を疑える者など、もう誰一人いないのだと。




