第36話 積み上がる後悔、ついに決壊Ⅰ
国民のおよそ五割が魔法の力に覚醒し、魔道具と杖によって新たな文明が誕生した国、ディロアマ。
魔法学校の一年生、イリーナとミシェル、そしてクリスは、学校を去った謎の魔法使い、シルビア・エンゲルスの居場所を突き止め、接触を図る。
危害を加える素振りは見せず、しかし真意を語ろうともしないシルビア。代わりに彼女が三人に差し出したのは、魔法使いの撲滅を目論む、呪術師のアジトだった。
「要は、ジョンを殺さない限りは終わらないし、ジョンを殺せば呪術師は滅ぶってことよ」
シルビアの追跡か、呪術師の追跡か。次第に大きくなっていく街の被害を食い止めるため、彼女らは迷うまでもなく後者を選ぶ。
クリスの奇策により、アジトを突き止めることに成功した一行。仕掛けた水晶によりジョンの姿を視認できたが、彼女がアジトに侵入したことも知られてしまう。
「ジョン・オウタムからの、挑戦状っ!?」
絶体絶命の危機。呪術師との戦いの最中、イリーナはシルビアに自身の位置を敢えて知らせることにより、乱戦に持ち込んでいく。
各々の心は一つにならずとも、目的を同じくした四人の魔法使いは、呪術師を着実に追い詰めていく。
しかし、遂に現れたジョン・オウタムの力は、彼女らの想像を遥かに上回っていた。
「ありえ、ない、そんな……どうして?」
「まだ、その域には達していないのですね」
最後の一手として放った合体魔法も不発に終わり、万策が尽きてしまった四人に、ジョンは謎の術、アフター・レインを発動する。
黒くなっていく空に、狭まっていく視界。それでも光に向かって手を伸ばそうとするイリーナ。
しかし次に目を開けた時、その眼前に映ったのは何故か、寮の自室だった。
「……あれ、そういえば何だったっけ?」
呪術師のアジトに侵入し、ジョンと戦った時の記憶は、跡形もなく失われてしまっていた。
「お待たせいたしました。間もなく、到着です」
断続的に聞こえる馬車の音。やがて故郷が近付いてくると、背を伸ばして座席から立ち上がる。
やがて速度が緩み、完全に止まると、ミシェルは静かに御者へ頭を下げた。
「お疲れ様でした」
「……はい。ありがとうございます」
音が聞こえない。村が寂しくなったのか、ワズランドの営みを浴びた自分が、変わってしまったのか。
風を受けた前髪が乱れる。どこか疎外感を覚えながら、見覚えのある風景を進んでいく。
停留所からは、多く見積もっても五分もかからなかった。
「ただいま、ミシェルだよ」
自宅の戸をノックする。事前に手紙は送っていたはずだが、カーテンは全て閉まっていた。
そして耳を澄ませても、足音も全く聞こえてこない。
「お母さん?」
ほんの少しノックを強くする。深呼吸をし、一歩前に出て持ち手を掴む。
「あれ……?」
まさか、と焦りが増していく。予想に反し、それは開いた。
倒れ込んでくる身体。数秒固まった後に凝視すると、それは母だった。
「え、っ……!?」
光の抜け落ちた瞳に、青白くなった肌。そして腹部を貫かれ、服に纏わり付いた血の跡。
持っていた鞄を投げ捨て、力の抜けた肩に縋り付く。
最後の希望が潰えるかのように、感じたのは氷を思わせる冷たさだった。
もう取り返しがつかない。頭では分かっていても、心は理解することを拒み続けた。
「お母さん……お母さんっ!!」
瞼一つ動かさない。呼吸も、完全に止まっている。
どうして、今まで気付かなかったのだろう。どこかぼやけていた景色は、不意に輪郭を取り戻していく。
道端に転がる村人の手足。窓の外からこちらを恨めしそうに見つめながら、血を流して果てる死骸。
腰が抜け、後ろに倒れた。全身の震えが止まらないのに、その場から動くことさえできない。
「……いやあああっ!!」
頭が真っ白になる。晴れやかな心持ちで目にしたのが、母の変わり果てた姿だなんて。
呼吸も絶え絶えになった自分に、聞き覚えのある声が投げかけられる。
「ミシェル、私……信じてたのに」
「イリー、ナ?」
顔を上げる。物陰から現れたその姿は、やはり愛する友で間違いない。
けれど彼女の周囲に纏わり付く、どこか敵意にも感じられる冷ややかな気配。
地面に何かが落ちたように見えた。歩く度に零れる、透明な結晶にもよく似た……涙。
「ミシェルと一緒に、立派な魔法使いになる。大切な人を守って、恩返しをして、支えていけるような……なのに、どうして?」
その通りだった。今もなお変わらず持ち続ける、二人の志。
「何を、言って」
だからこそ……何か糸が切れて、後戻りができなくなったような、後悔の表情が突き刺さる。
「どうして、村のみんなを殺したの……?」
その瞬間、今までぼやけていた辺りの景色が不意に晴れる。
道に転がる残骸。窓から血を流し、恨めしそうにこちらを見つめる首だけの存在。
思わず目を逸らした瞬間に見つけたのは、返り血に塗れた自身の両手。
「う、そ……」
信じられない。けれど、彼女の視線が全てを物語っていた。
自分は村の皆を手にかけた。どこか、怒りか、気の迷いのようなものに駆られ、大切な母でさえも……
「違う、違うの。これは、何かの間違いで……」
「これ以上、みんなを傷付けるわけにはいかないの」
杖を構えたイリーナは、息を吸い込んでこちらに迫る。
何が嘘なのか分からない。逃げることも向き合うこともできず、腰が引けたまま後退っていく。
「もう戻れないなら、私が止めるしかない。大切な友達として、私が……ミシェルを」
魔力の集まりを肌で感じる。決して……脅しではない。
「お願いっ! 私を信じてよ、イリーナ!」
赤く染まった手を広げ、掠れた声で訴えかける。自分にはもう何もできないと、どこかで諦めかけながら。
それが放たれる寸前、イリーナの口か何度か開いた。
何を言った、何を伝えようとした。意識が向く間もなく、眼前に迫り来る氷柱。
「待、っ……」
痛みが来る。そう思った瞬間、自分はベッドから飛ぶように起き上がった。
「あっ、う……あ」
まだ光が入らないカーテンに、部屋の隅に置かれた鞄。
頭を抱えた。カルミラに帰る予定は、まだ立てていなかったことをようやく思い出す。
「ダメ、だなあ、わたし」
あんなことを、するはずがないのに。自分も、彼女も・
目頭が熱い、閉じられない。足音を立てないように起き上がり、外の空気を吸いに行こうとする。
すると静かな部屋の中で、少し荒い寝息が耳に入ってきた。
「わあ、たくさんの、ごはんっ……」
「……イリーナ」
零れている笑顔。先程自分に杖を向けた彼女とは、まるで別人のようだった。
息が苦しい。頭に焼きついた悪夢を振り払うべく、その顔にゆっくりと手を伸ばす。
「う、っ……」
しかし、届く寸前で無意識に手が止まってしまう。
独りよがりな想いをぶつけた、迷惑だってかけた。返り血で汚れ切った、自身の手を思い浮かべる。
村にいたあの頃は、すぐ近くにいたはずなのに。
「私は、どう、すれば?」
涙を拭う。寝言を呟くイリーナに背を向け、虚ろな心持ちで部屋を後にする。
誰よりも弱く、何もできない自分が、心の底から情けなかった。
「超級魔法は……属性魔法の中でも、特に高い練度と意志の強さが求められる術式、と」
翌日。休日に拘らず、どうも肩の力が抜けない昼下がり。
僅かに瞼の重い自分をよそに、教本を眺めるイリーナは机で唸り声を上げていた。
「んー、これで大丈夫なのかな?」
「ちゃんと覚えてたら問題ないよ、ただの筆記だもん」
「それはそうだけど、やっぱり不安なんだよね……」
試験はおよそ三週間後。多くの生徒は二週間前から勉強を始めるため、時間には余裕がある……自分たち以外は。
「属性科は基準が高いからね。油断したらあっさり落ちちゃうかも」
「やめてよ。そんなこと言うのー」
中間試験は間一髪だった。任務と並行して取り組み、目に隈を作ってまで没頭したことを思い出す。
「……色々あったけど、やっぱり私は戦いたい。戦って、大切な人を守らなくちゃ」
凛とした顔でペンを走らせる彼女に、自然と目が細くなる。
戦った先に、自分は隣にいられるのだろうか。それとも、戦う相手の中に……
正しいはずのその言葉に、肯定も拒絶もできなかった。
「そうだ、図書館はどう? 休日でも開いてるし、意外と穴場かもよ」
「そうなんだ。行ってみようかな」
手早く教本を鞄に詰める。授業ではないので、最低限の物しか詰め込まない。
息を吐く。本当のことを言えばと思う弱い心を、自分は精一杯の力で振り払った。
普段より遥かに穏やかな廊下を潜り抜け、少し寂しくも感じる図書館の戸を開ける。
がらんとした椅子たち。日向の席を選ぼうと足を進めると。受付に座っている司書に呼び止められた。
「……あっ。貴方たち、属性科の一年?」
「えっ……はい。そうですが」
「ちょうど良かった。こっちに来てくれない?」
首を傾げながらただ後を追う。緊張から歩幅が小さくなるイリーナに、大丈夫だよと小さく呟く。
「今朝からずっとあの調子なの。声をかけても何の反応もないし」
足を止めた。図書館の奥で異彩を放つ、本が幾重にも重なった机。
ペンを走らせる音が断続的に響く。隙間から見える少女の頭が、疲れからか何度も揺れる。
しかし……覗き込むと、どこかで見たような顔だった。
「うっ……ううん、これもダメか」
三人が歩み寄るとようやく、その真っ直ぐな視線を本からこちらに向ける。
「クリスっ……!?」
「……ああ、君たちか。奇遇だね」
イリーナが目を見開き、顔を寄せる。彼女がここまで疲れ果てた表情を目にするのは、初めてかもしれない。
どうして。そう思い、机上にある本を手に取った自身の思考が一瞬停止する。
「ねえ、大丈夫?」
「この本、って……」
「もう昼か。すまないね、没頭してしまっ……」
言い終わる間もなく、倒れ込んだクリスの身体がイリーナにもたれかかる。
沈黙。思わず身を乗り出すと、遅れて絶叫が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと、クリス!?」
何度か肩を叩くも、反応は鈍い。司書が彼女の額に手をかざし、小さく頷いた。
「熱は無さそうね」
「どうしよう……取り敢えず、寝かさなきゃ」
幸い、クリスの部屋からはさほど離れていなかった。
辺りを見回したイリーナは、考えるよりも先に彼女を抱え上げ、動き出す。
自分も。彼女を助けるために、足を進めかけた瞬間……
何だか、彼女の背中が果てしなく遠く感じた。
「……あっ」
もう、イリーナは自分だけの存在ではない。誰よりも優しい彼女のことを愛しているはずなのに、苦しい。
自分がそばにいられなくなっても、クリスが……代わりの誰かが、その隣に立つのかもしれない。
ぐらりと強い目眩がする。頭を抑えると、彼女はこちらに振り向いていた。
「ミシェル! ごめん、手伝ってくれない?」
「う、うん」
時間にして数秒。けれど、尾を引いた想いは決して消えることなく残り続けた。
「寝不足だね」
「どうやら、そうらしいな……」
横になるクリスに、イリーナがゆっくりと布団をかける。
床に転がる魔石や魔道具を机上に寄せた。あまり物を置かない自室と比べると、やはり同じ間取りには見えない。
「試験前に自己管理もできないとは、己が恥ずかしいよ」
「まあまあ……私も勉強できてないし」
「いや、勉強はもう終わらせたぞ?」
「……へっ?」
乾いた笑い声が響く。切り出すべきか迷ったが、自身の胸に手を当て、ゆっくりと息を吸い込む。
「どうして、三種の魔神器についての本を?」
目を丸くしたクリスは、息を吐きながらそっぽを向いた。
首を傾げた刹那……その視線が、がもう一つのベッドがあった場所へ向けられていることに気付く。
「シルビアに言われてから、ずっと調べてたのさ。恐らくそれに、彼女や呪術師についての何かがある、と思ってな」
「……そういえば、三種の魔神器って何なの?」
「この世界に眠るとされる三つの秘宝だよ。魔法使いですら扱うのが難しい代物らしいけど、詳細は何も分からない」
額に汗を滲ませながら、イリーナに語りかける。嘘を重ねる程に、背中は徐々に重くなっていく。
「……概ね同じ結論だ。ただ、そいつを三つ集めると、生態系を操る力が手に入るらしい情報は掴んだ」
追いかければいつか、その一つがすぐ近くにあることを気付かれる。
それでも、口は鉛のように重かった。彼女を守るために掴んだ力を、今手放すことはできない。
強くならなければ……自分が、ここにいる意味を。
「シルビアが、それを全て集めようとしてるってこと?」
「正確には先回りだろう。本当に狙っているのは、恐らく呪術師だ」
二人に背を向け、僅かにカーテンを閉める。話を逸らそうとした寸前、机上に置かれている水晶が光った。
「……お、誰だ?」
「お休みなのにね。私、代わりに出るよ」
「ああ、助かる。ありがとう」
何かあったのだろうか、と別の不安が頭をよぎる。
息を吐いて全身の力を抜くクリスを横目に、水晶へ向かうイリーナを追いかける。
魔力を込めた瞬間、見覚えのある顔が大きく映った。
「お困りのようですね、クリス」
微笑みながら話しかけるその相手は、学園長のメルアチア・ラルド。
思わず一歩後ろに退いたイリーナと、僅かに身体がぶつかってしまう。
「ふえっ!?」
「おや、イリーナさんでしたか。クリスはどちらに?」
「ちょ、ちょっと体調不良で……」
背後から起きあがろうとするクリスを、彼女は首を横に振って制した。
「では、イリーナさんとミシェルさんでも構いません。今から、学園長室にお越しいただけますか?」
「えっ……私もですか?」
前触れもなく名を呼ばれ、思わず水晶の側へ駆け寄る。
一抹の不安。しかしそれに反し、メルアチアの顔は幾分か優しさを含んでいるような気がした。
「三種の魔神器について、お話ししたいことがあります」
「クリスが魔神器について調べているという話を聞きましてね。どうにか、力になれないかと」
最初は緊張の面持ちで入っていた学園長室も、今はほんの少し足が軽くなっていることに気付いた。
司書から噂を聞いたらしいメルアチアは、やはり穏やかな表情で自分たち二人を招き入れる。
椅子にかけて淹れられたのは、湯気から香ばしい匂い負が漂う紅茶だった。
「どうぞ、少し熱いですよ」
「すみません。ありがとうございます」
「……それで、呪術師が魔神器を狙っているというのは、本当なんですか?」
息を吹きかけながら啜る。しかし口を付けるよりも先に、イリーナはすかさず切り出していく。
「その通りです。あれは全て揃えると生態系を操る力があり、呪術師はそれを利用して魔法使いを絶滅、呪術が中心となるような世界を創ろうとしています」
「そうか、だから……」
メルアチアの視線がこちらの杖に向いたように思え、慌てて顔を逸らしてしまう。
そうだ。この人も、どこまで知っているのかは分からない。
爆薬を抱えたような心持ちになりながら、一歩引いて二人の会話を見守る。
「それで、魔神器は今どこに?」
「ちょっとイリーナ、いきなり色々聞くのは……」
「構いませんよ。気になるのは当然のことでしょう」
周りに聞こえない大きさの、ため息が漏れ出てしまった。
「明確には私も分かりません。しかし、その行方を知っていそうな人物に心当たりがあります」
窓を差すメルアチア。視線の先にあったのは、ワズランドの西部だった。
活気のある中心街、穏やかなゴオツ境界とも違う、踏み入れたことにない未開の地。
「十年前、魔神器の一つが街で暴走しましてね。それを一人で止めた勇敢な魔法使いが、今もワズランドにいます。その名を、バアル・ラモン」
「っ!?」
「バアルさん……そうか、その人なら」
「今は引退されていますが、その実力と見識は確かなものでした。情報を得る以外にも、学べることは多いでしょう」
何度か相槌を打つイリーナ。二つ返事で答えようとした彼女に、メルアチアは不意に待ったをかける。
「ただ、確証はありません。それに魔神器に近付くということは、今まで以上に命の危機に晒されます。詳細な文献が残っていないのも、それが理由でしょう」
行かせてはいけないと叫び出しそうな口を、金縛りにあった身体が繋ぎ止めた。
俯いたイリーナは、しばらく何も言わずに考え込む。
宙ぶらりんになった天秤をこちら側に傾けようと、できる限りの力を込める。
「……正直に申し上げると、大丈夫だとは言い切れませんよ」
「そうだよ、イリーナ。気持ちは分かるけど、今は関わらない方がいいと思う」
彼女の手を軽く握る。きっと、改めて考え直せば。
しかし、返されたのは小さな頷きと、どこか覚悟が込められた鋭い瞳だった。
「でも、いつか向き合わなくちゃいけないことだよ。呪術師を止めるためには、魔神器を見つけ出さなくちゃ」
心配そうな面持ちでこちらを見つめるメルアチアに、イリーナはゆっくりと告げる。
「教えてください。バアルさんの居場所を」
「分かりました。連絡が付くかは分かりませんが……どうにか、掛け合ってみましょう」
何も言うことができず、誤魔化すようにカップを手に取る。
あの時、自分だけがワズランドに行っていれば良かった。そうすれば、彼女が変わることも……
水面に映る自分は、他の誰よりも情けなく、弱い顔だった。
「どうしてなの……イリーナ?」
その日の夕暮れ。長い夜に向けて店が準備を始める、ボストレンの路地を通り抜ける。
呪術師の少年グレオは、リューズの経営するバー・ミルキーを訪ねた。
「いらっしゃい。まあ好きなトコに座りなよ」
「……良かったなァ、ちゃーんと元通りになって」
突然の訪問とはいえ、彼の表情はどこか穏やかで明るい。
まだ店は開いておらず、少し広くも感じる中のカウンターに腰を下ろす。
しばらく頬杖を突いて待っていると、水が一杯置かれた。
「そうだな。ジョン様の術が無ければ、今回ばかりは危なかっただろう」
全て無かったことになるのは、時間を巻き戻すことにも近しい不思議な感覚だった。
ここで戦いが起きたことは、ボストレンの住民も含めて誰も覚えていない……不自然なほどに。
わざと大きな音を立てて啜った。全身に行き渡る冷たさに、不意に頭が平静を取り戻す。
「しかしよ、兄貴は一体何モンなんだ?」
「と……いうと?」
「記憶飛ばしの術なんざ、呪術でも魔法でも聞いたことねェ。ぶっちゃけ、胡散臭くなってきたつーか」
本当にあの人は、自分たちの望む世界を与えてくれるのだろうか。
疑いもしていなかったそれは、人智を超えた力を目の当たりにして以降、ずっと心を蝕んでいる。
グラスを握った拳が震える。大事なことは、何一つとして教えてくれないのに。
「気持ちは分かる。だが今は、恩人を疑う時ではないはずだ」
首を横に振ったリューズが静かに遮る。何か言い返そうとした刹那、眼前に一枚の手紙が置かれた。
「あん……?」
「指示があった。あの魔法使いたちがワズランドの西部に向かうので、その行方を追ってほしいとのことだ」
「ほう、いちいち人を振り回すのが得意なこった」
ワズランドに、三種の魔神器の行方を知る魔法使い、バアル・ラモンあり。イリーナ・マーヴェリら三名の動きを偵察し、状況次第で殺害を命ずる。
理由も分からず、顔も合わせてくれず。それでも命令があれば、従って戦うしかない。
弱いから。得体の知れないあの人と違い、負け続けてきた自分は……
「結局は力がモノを言うのかよ。ったく……」
断ることもできないまま、舌打ちの後に水を飲み干す。
「彼女らも強くなっていることだろう。ジョン様が何と言うか分からないが、難しいなら手を貸してやろうか?」
「冗談じゃねェ。そこまで落ちぶれるモンかよ」
わざとらしく手を差し伸べる彼に、口角を上げて鼻で笑う。
却って、自信が湧き上がってきた。一人で戦い結果を上げれば、誰も自分に逆らえない。
「行ってやるよ、行けばいいんだろォ?」
「行ってらっしゃい。応援しているよ」
呪術教典を抱え、手を振るリューズに背を向ける。
負けるわけにはいかない。リューズやメラトを超え、ジョンに見下されない呪術師になってみせる。
店を後にする自分の足取りには、想像していた以上の怒りが滲み出ていた。
続く




