第8話 招かれざるもの
迷宮グランビーツの入り口。
昨日発行されたばかりの冒険者証を衛兵に提示すると、驚くほどあっさりと槍が引かれた。
「よし、通っていいぞ。……死ぬなよ、新人」
「ああ、気をつけるよ」
背後で重厚な門が閉まる音を聞きながら、俺は安堵の溜息を吐いた。
これでようやく、大手を振って「推し活」の準備ができる。
俺は迷宮の薄暗い通路を、慣れた足取りで進んでいく。
道中、レベルに見合わない獰猛なモンスターが襲いかかってくるが、手にした漆黒の長槍を一振りするだけで、それらは霧のように霧散していく。
「おっ、これは……」
倒したモンスターの残骸から、キラリと光る小さな結晶が転がり落ちた。
手に取ってみると、微かな魔力を宿した「魔石」だ。
「なるほど、これを換金してお金にするんだな。昨日は倒してすぐ移動しちゃったから気づかなかったけど……ゲームみたいにモンスターが直接チャリンとお金を落とすってわけじゃないんだな」
現実的な仕様に納得しながら、俺は魔石を腰のポーチへ放り込む。
やがて、第五層の最奥――守護者の玄室へと辿り着いた。
「……あ。そっか、俺、まだここの『守護者の紋章』持ってないわ」
本来、この世界の冒険者は各層の守護者を倒し、その証となる紋章を得ることで、魔法陣を通じたショートカットや下層への立ち入りが可能になる。
俺は昨日、上の階層で目覚めてアルヴィンたちの戦闘の後、脱出しただけなので、まだここの守護者のニードルドラゴンを倒していないし、第六層にも足を踏み入れていない。
扉を開けると、そこにいたのは巨大な全身棘だらけの竜、【ニードルドラゴン】。
昨日アルヴィンたちが倒した第五層の守護者だが、もうすっかり復活して、元気に俺を威嚇してきていた。
『ダンガン』プレイヤーの約三分の一を絶望の底に突き落とし、退場させた最初の壁だ。
「悪いな、急いでるんだ」
シュッ、と空気を裂く音が一度だけ響く。
ニードルドラゴンは何が起きたのか理解する間もなく、その巨体を真っ二つにされ、紋章の光へと変わった。
瞬殺。レベル99の『魔槍皇』にとって、序盤のボスなど動かない的も同然だった。
◇◇◇
そして俺は、本来の目的地である第六層へと足を踏み入れた。
一歩踏み込んだ瞬間、空気の温度が数度下がるのを感じる。
「……ここからだぞ。地獄の第六層」
視界が一切効かなくなる漆黒の領域【ダークゾーン】。
踏んだ瞬間に方向感覚を狂わせる【回転床】。
そして、一発でパーティーを半壊させる【不可視の落とし穴】。
俺は中学生の頃、方眼紙がボロボロになるまで書き込んだマップを脳内で展開する。
「……ここを右に三歩、そこから回転床を避けて左へ……。よし、記憶通りだ」
曖昧な箇所は、持参したメモ帳に詳細に書き込んでいく。改めて見ると、製作者の悪意しか感じないよな、この階層は。
アルヴィンたちがここに来た時、不運な事故で命を落とすことがないよう、俺が事前にすべての罠を「点検」し、必要なら細工を施しておく必要がある。
そして調査の途中、通路の隅に白骨化した冒険者の亡骸がいくつか転がっているのを目にした。
「……アレは、完全に消滅してるだろうな……可哀想に」
『ダンガン』のシビアな現実を突きつけられ、胸が痛む。
放置された遺体は、すぐに回収されて蘇生を施せば生き返る可能性がある。ただ時間が経過すると、ゲームシステム上はその死体は腐り、蘇生出来なくなる。すなわち消滅だ。
ゲームシステムで知っていたとはいえ、こうやって現実に見せられるとキツいものがあるな。
第六層のマッピングも終盤に差し掛かった頃。
奥のダークゾーンが途切れる通路の角で、俺は「それ」を見つけた。
「……ん? 誰か倒れてるのか?」
近寄ってみると、それは一人の少女だった。
年齢は十代半ばといったところか。冒険者にしてはかなり若いな。
魔術師らしいローブを纏っているが、装備はボロボロで、杖も折れ、他の持ち物は何一つ残っていない。
俺は慎重に彼女の首筋に触れた。
……鼓動はない。
「死んでる……。けど、体はまだ腐ってないな。ダークゾーンの中で行き倒れて、たまたま魔物の徘徊ルートから外れてたか?」
辺りを見回すが、この女以外の他の亡骸は見当たらない。パーティーからはぐれたのか?
冷たくなった彼女の肌に軽く触れてみる。冷たいが、まだ張りもあるし、顔などはまるで寝ているように穏やかだ。
今すぐ教会へ連れて行けば、まだ蘇生が間に合うかもしれない。
だが、俺は一度その場を立ち去ろうと背を向けた。
「いや……ダメだ。俺の目的はあくまでアルヴィンたちのサポートだろ。関係ない冒険者に深入りして、目立つわけにはいかない」
そうだ。彼女を背負って街に戻れば、門番やギルドで事情を聞かれる可能性がある。それは俺の「隠密推し活」にとって、大きなリスクになるかもしれない。
…………だが。
……数歩歩いて、俺は足を止めた。
「……くそっ。あんな若い子が、あんな冷たい場所で独りきりで消滅していいはずがないだろ」
俺は自分の甘さを自嘲するように吐き捨て、踵を返した。
「……勘違いするなよ。別に変な下心があるわけじゃないからな。ただの善意だ、善意」
自分に言い訳をしながら、俺はその少女を、折れた杖ごとそっと抱き上げた。
驚くほど軽い。
俺は彼女を背負い、気配を断ち切った。
誰にも見つかることなく、この「死体」を迷宮の外まで送り届けるために。
夕闇のグランビーツを目指し、俺は迷宮の出口へと、静かに、そして迅速に歩き出した。




