第7話 忍び寄る禁忌
迷宮都市グランビーツに、傾きだした西日が差し込む時間帯。
冒険者ギルドの喧騒は朝のピークを過ぎて、昼の時間帯も過ぎ、ようやく落ち着きを見せていた。
荒々しい男たちの怒号や、真新しいプレートを受け取る若者たちの歓声が去った後のホールには、埃が光の粒となって舞い、冷めた安酒と古い羊皮紙の匂いが微かに漂っている。
ギルドのカウンター裏、関係者以外立ち入り禁止の休憩室。
そこでは、ギルド受付嬢のヴァネッサが、タイトな制服のボタンを一つ外し、深く椅子に身を預けていた。
彼女の傍らには、淹れたてとは言い難い冷めたハーブティーが置かれている。
「……ふぅ。相変わらず冒険者志望は多いわね……」
ヴァネッサが細い指先でこめかみを揉んでいると、重厚な足音が床を鳴らして近づいてきた。
部屋に入ってきたのは、訓練場の責任者であり、筋骨隆々の巨躯を誇るボルグだ。
先ほどムクロウの職業適性判定を行っていた男だ。
彼は鋼のような筋肉を揺らしながら、ヴァネッサの向かいに腰を下ろした。
「なんだヴァネッサ。珍しく疲れた顔をしてるじゃねえか」
ボルグの声はその体躯に違わず低く、地響きのように響く。
ヴァネッサは片目を開け、皮肉げな笑みを浮かべた。
「別に……。ただ、ちょっと気になる新人がいてね。ボルグ、貴方もさっき会ったでしょう? 今日『戦士』で登録した、あのおじさん」
ボルグの眉が、ピクリと動いた。
「……ああ。ムクロウとかいう、あの男か」
「そう。アイツ、本当に『戦士』の適性だけだったの? 私の勘だと、あの雰囲気はただの新人には見えないんだけど。石版の反応も変だったし……貴方、何か気付かなかった?」
ヴァネッサの探るような視線がボルグを射抜く。
彼女は、数多の冒険者を見てきたベテランだ。見た目や雰囲気だけで相手の力量を見抜く眼力に長けている。
ボルグは視線を泳がせ、喉を鳴らした。
「……何のことだ? 石版の調子が悪かったのは確かだが、本人が戦士を希望したんだ。俺たちに口を出す権利はねえよ」
ボルグの答えは、半分は真実だった。
ムクロウが全職業適性などという、あり得ない結果を出したことは、誰にも言わないとムクロウと約束している。
だがヴァネッサは、ムクロウの持つ違和感に、敏感に勘付いていたようだ。
「ふーん……。まあ、いいわ。彼にも何か事情があるんでしょうね」
ヴァネッサがハーブティーを一口含んだその時、休憩室の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、年若い別の受付嬢だった。彼女の顔は青ざめ、手には数枚の報告書が握られている。
「ヴァネッサさん、ボルグ教官! 休憩中にすみません!」
「どうしたの、ペスカ。騒々しいわね。何かトラブル?」
ヴァネッサが背筋を伸ばすと、ペスカと呼ばれた受付嬢は、声を潜めて切り出した。
「最近、若い冒険者たちの間で、良からぬ連中が接触してきているっていう噂……。ヴァネッサさんは、どこまで聞いてますか?」
ヴァネッサの表情が仕事用の鋭い顔つきに変わる。
「その良からぬ連中と繋がっているのか分からないけど、一部の若手冒険者たちが、急激にレベルに見合わない魔物を倒しているっていう報告は受けているわ。それと関係のある事かしら?」
ボルグも腕を組み、険しい顔で問いかける。
「良からぬ連中だぁ? どんな噂だ?」
報告書を差し出しながら、ペスカは震える声で答えた。
「それが……若手冒険者を狙って、一時的に能力を大幅に向上させる魔道具を売りつけている闇商人がいるみたいなんです」
「能力向上……強化系の魔道具か。珍しくもねえが、モノによっては若手が手を出すには高級品だろう」
ボルグの指摘に、ペスカは激しく首を振った。
「そうなんです。最初は無料体験と称して配っているみたいで……。一度使えば、今まで手も足も出なかった魔物を簡単に狩れるようになる。それで若者たちが、今度は借金をしてまでその魔道具を買い求め、さらに奥層へ……」
「それじゃ薬物と同じね。で、その魔道具に何か問題があるの?」
ヴァネッサの問いに、部屋の空気が一気に凍りついた。
ペスカは、報告書を持つ手をさらに強く握りしめる。
「その魔道具には副作用……いえ、後遺症が残ります。それも、取り返しのつかない……」
「そいつぁ、面倒だな。見込みのある連中が、一時の欲で後遺症を負って潰されるのは、ギルドにとっても損失だ」
ボルグが吐き捨てるように言った。
迷宮探索の未来を担うべき若者が、違法な魔道具に頼って再起不能になる……。教官として、看過できない事態だった。
だが、ヴァネッサはより深い懸念を抱いていた。
「……後遺症って、具体的にはどんなものなの?」
ペスカは、ヴァネッサの瞳を直視できず、床に視線を落とした。
「……突然死、です」
「は……?何だと」
ボルグの口から、呆然とした声が漏れる。
「その魔道具を使用していた冒険者が、探索中に突然心臓が止まって突然死した例が数件、報告されました。治癒院からはその魔道具が原因と断定する、と……」
「……続けなさい」
ペスカは一旦、呼吸を整えると、報告書を見ながら続ける。
「その突然死した冒険者たちは、皆運良く仲間が街まで帰還し、教会で蘇生を受けて全員生き返ったんですが……。目覚めた時には、記憶の大部分が欠落していたらしいんです」
休憩室に、沈黙が降りた。
冒険者にとって、死は常に隣り合わせだ。
だが、蘇生という救いがあるからこそ、彼らは絶望を乗り越えて戦うことができる。
しかし、その対価として記憶を失うということは――自分という人間そのものが消えてしまうに等しい。
「記憶障害……? 蘇生後の後遺症で、そんな話は聞いたことがないわ」
ヴァネッサの指先が、わずかに震えていた。
記憶の消失。
それは、名前も、家族も、共に戦った仲間の顔も、自分が何のために剣を取ったのかさえも忘れてしまう、生ける屍になるということだ。
「……蘇生しても、『俺』が『俺』じゃなくなるのか」
ボルグが絞り出すように言った。
彼の頭の中に、何人もの若手冒険者の顔が浮かぶ。その中にはアルヴィンたち四人も含まれていた。彼らのような前途ある若者がこの影に飲み込まれたら……。
「ええ。上が注意喚起を出しているけれど、成果に焦る若者たちには、耳を貸さない子達もいるでしょうね。……この街に、何か嫌な風が吹き始めているわね」
ヴァネッサは窓の外に広がる、午後の陽光に照らされたグランビーツの街並みを見つめた。
賑やかな大通りの喧騒、歴史ある美しい街並み、そして不気味にそびえ立つ迷宮の入り口。
その美しさの裏側で、確実に何かが蠢いている。
「後遺症が、突然死に記憶障害か……。ふん、そんな恐ろしい魔道具、誰が持ち込んでやがる」
ボルグは拳を固く握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。




