第19話 甘い誘惑
冒険者ギルドのカウンター。
俺はギルドのレストランの片隅に座る男ガストンが、アルヴィンたちに接触した件が気になりすぎて、仕事中のヴァネッサに食い下がっていた。
「……なぁ、ヴァネッサ。お願いだ。さっきあのガストンがアルヴィンに何を話しかけたのか、どうにかして探ってくれ。これ、囮捜査の進展に関わる重大事案だと思うんだ」
俺の必死の形相に対し、ヴァネッサは溜まった書類を整理しながら、これ以上ないほど呆れた声を出す。
「……あのねぇ。そんなに気になるなら、自分でアルヴィンくんに聞けばいいじゃない。まだ近くにいるんでしょ? だったらちょっと肩を叩いて『さっきの男、誰?』って聞くだけでしょ? 五秒で済むわよ」
「――馬鹿を言うな! それができないから、こうして頭を下げてるんだ!」
俺はカウンターを拳で(軽く)叩いて熱弁した。
「いいか、ヴァネッサ。俺にとってアルヴィンたちは、雲の上の存在、すなわち『推し』なんだ。俺が街角で見かけたからといって、プライベートの買い出し中に話しかける……。それはファンとしての一線を越えた、最も卑劣な行為、いわゆる凸りだ。俺は彼らの冒険を遠くから見守る権利はあっても、彼らの時間を奪う権利はないんだよ。分かるか?」
「……何それ? 全く分からないし、心底どうでもいいわ、その理屈」
ヴァネッサはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「分かった、分かったわよ。そんなに血走った目でこっちを見ないで。本当に面倒くさい男ね……」
彼女は渋々、近くを通った後輩の受付嬢を呼び止め、何やら耳打ちをした。
「あの子に状況確認という名目で、アルヴィンくんたちに声をかけさせてくるわ。とりあえず貴方はここで、あの男を見張っててちょうだい」
その後輩がギルドの扉を開けて走り出すのを見送ったのとほぼ同時だった。
食堂の隅、影を潜めるように座っていたガストンが、音もなく席を立った。
「――動いたな。ヴァネッサ、調査報告は後で聞く。俺たちはあいつを追う」
「ええ、街中で騒ぎを起こさないでよ? ただでさえ貴方、体が大きくて目立つんだから」
◇◇◇
俺とパニは、ギルドを出たガストンの後を追った。
迷宮の中であれば、俺はスキル『神速』を応用し、背景に溶け込むように気配を消して移動できるが、ここは人通りのある迷宮都市の街中だ。
しかもパニを連れているから、尾行がバレないよう十分な距離を空けて、ガストンの後を追う。
狭い路地の曲がり角。そこを曲がった直後、俺たちは足を止めざるを得なかった。
ガストンが壁に背を預けて、こちらを待ち構えていたのだ。その鋭い視線が俺とパニに向く。
「……おい。さっきからチョロチョロと……何だ? お前ら。俺に何か用か?」
完全にバレている。俺は内心で舌打ちしながらも、表情には出さずに苦しい言い訳を捻り出した。
「……あ、いや。別に用ってわけじゃない。たまたま、こっちも宿への通り道だっただけだ。お前、ギルドにいただろ?」
「通り道ねぇ……」
ガストンは疑いの視線を隠そうともせず俺と、そして俺の袖を掴んでフラフラしているパニを見定めた。
「お前ら、新入りの冒険者か? 見るからにヘロヘロ、第一層で精一杯って顔だな」
「まあ……否定はしない。俺たちは、見ての通りの落ちこぼれだ」
俺が自虐的に言うと、ガストンの瞳の奥に、怪しい光が灯った。
「……ふぅん。いいか、この迷宮はな、実力のない奴には地獄だ。だが世の中には近道ってのがあるんだよ。手っ取り早く強くなれて、スライムどころか三層の魔物も一撃で葬れる面白い魔道具があるんだが……興味ないか?」
(……キタ!!)
俺の心の中で特大のガッツポーズが炸裂した。囮作戦四日目にして、ついに本丸が食いついたのだ。
だがそのあまりの待ち望んでいた感が、わずかに顔に出てしまったらしい。
俺の口角がピクリと動いたのを見て、ガストンが不審げに眉をひそめる。
「……? 何だその顔は。まさか、ギルドの……」
「あぁぁー! 欲しいです! ワタシ、その魔道具欲しいですぅ!」
ガストンの警戒心を、パニの絶叫が粉砕した。
彼女は涙目になりながらガストンの腕を掴み、文字通り縋り付いた。
「もう嫌なんです! スライムにベトベトにされるのも、毎日筋肉痛で動けなくなるのも! お願いです、それください! 何でもしますから!」
その迫真の演技に、ガストンは完全に毒気を抜かれたようで、一歩後ずさった。
「お、おう……分かった、分かったから離せ。食いつきが良すぎて引くわ……」
ガストンは乱れた服を整え、声を落とした。
「……いいか。明日だ。第一層の北西エリアに来い。そこで渡してやるよ」
ガストンはそのまま雑踏の中へと消えていった。
「……どうするんですか、ムクロウさん?」
「とりあえずヴァネッサに報告だな」
俺たちは再びギルドへと戻り、待ち構えていたヴァネッサに一部始終を報告した。
ヴァネッサは頷き、それから俺が最も気にしていた件について答えた。
「こっちもアルヴィンくんたちから話が聞けたわよ」
「おお! それで、あいつは何て言ってたんだ!?」
ヴァネッサは少し肩透かしを食ったような顔で答えた。
「ええ。単に『迷宮探索に役立つ魔道具に興味はないか?』って聞かれただけだって。アルヴィンくんたちは断ったらしいわよ」
「……流石だな、アルヴィンとカイト」
俺は一人、深く感心した。
得体の知れない誘惑に乗らず、自身の正道を貫くその姿勢。やはり俺の推したちは、そんな誘惑には乗らない。
持っていた書類をデスクに置いたヴァネッサが俺に目を向ける。
「さて。当然明日、貴方がガストンに会いに行くのよね?」
ヴァネッサが当然のように問いかけてくる。だが俺は心底嫌そうな顔で首を振った。
「は? 何で俺だよ。俺の仕事は『囮』であって、怪しい奴が接触してくるまでだろ。現場を押さえるのはギルドの役目だ。誰か他の奴を行かせろよ」
「貴方ねぇ……! 貴方が行かないと、ガストンが例の魔道具を出さないかもしれないでしょ!」
「契約内容を確認しろ。俺の貴重な時間をこれ以上奪うな」
ヴァネッサが絶句し、俺と押し問答を始めようとした、その時だった。
「――やあ、賑やかだね。どうやら、例の件に進展があったようだ」
「レバルク室長!」
ヴァネッサが振り返り、声を上げた。
奥の重厚な扉が開き、白髪に口髭。いかにも厳格そうな壮年の紳士が現れた。
この紳士がこの冒険者ギルドのギルド長、レバルクらしい。
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