第15話 甘い誘惑
迷宮都市の中心部。
堅牢な石造りの外観を誇る、冒険者ギルドの中にはギルド職員しか立ち入れないギルド長室が存在する。
その室内には香草の微かな香りと、積み上げられた古い羊皮紙の匂いが漂っていた。
「……以上が、直近の冒険者に関する報告です、レバルク室長」
窓の外を眺めていた男が、ゆっくりと振り返った。ギルド長、レバルク。
完璧に整えられた白髪と、知性を湛えた口髭が特徴的なその男は、冒険者の元締めというよりは、一国の全権を預かる貴族のような威厳を放っている。
「この一ヶ月で七人か。魔導石版がステータス表示を拒絶したのか……」
レバルクはヴァネッサが提出した報告書に目を通し、眼鏡の奥の鋭い瞳を細めた。
「ここ数ヶ月でかなり増えているな。石版自体の魔力枯渇か、あるいは技術的な欠陥か……。どちらにせよ、魔道具の技術担当に問い合わせておく。ところで、ヴァネッサ」
レバルクが声を低くすると、ヴァネッサの背筋が軽く伸びる。
「新人冒険者を狙った、あの『突然死の魔道具』の件。何か進展はあったかね?」
「騎士団に調査を依頼しておりますが……芳しくありません。件の闇商人は実に狡猾でして。未だその売り渡し方法も絞れていないとの事です」
「そうだろうな。使った人間が死に、仮に生き返っても記憶がないのだからな……。そこで騎士団側とも協議したのだが、ギルドでも何とか連中をあぶり出すしかないという結論に達した。闇商人が接触してきそうな新人冒険者を囮としてピックアップしてほしい。出来ればギルドとしては、人間的に信用出来る者にやってもらいたいのだが」
ヴァネッサの脳裏には、即座にあの二人の顔が浮かんだ。得体の知れない力を持つ二十代半ばのおじさんと、上位職を冠する記憶喪失の少女。
「……心当たりが、二名ほどおりますわ。少々癖は強いですが、人間的には信用出来るかと……」
◇◇◇
その日の夕方。
『踊る子羊亭』の酒場で、俺とパニは少し豪華な夕食を囲んでいた。
「ムクロウさん! この厚切りカツレツ、噛むと肉汁が凄いです!」
「おう、しっかり食え。明日は『推し活』準備の為に、その新しい杖の扱い方を練習するんだからな」
パニが頬をリスのように膨らませて喜んでいると、背後から足音が近づいてきた。
「お楽しみのところ失礼。パニエッタちゃん、美味しそうに食べるわね」
振り返ると、そこにはギルドの制服を脱ぎ、シックな私服(でも胸元は広めに開いてる、痴女かよ)に身を包んだヴァネッサが立っていた。
俺は反射的にフォークを置き、警戒の目を向ける。
「……ヴァネッサ。何の用だ。ここは非番のギルド職員が一人で来るような場所じゃないだろ。悪いが、今はパニと大事な打ち合わせの最中なんだ」
「あら、ごめんなさい。でも、私もただの飲み歩きじゃないのよ。貴方たちに、少しばかり手伝ってほしい仕事ができたの」
「仕事? 断る。言っただろ、俺たちは今大事な打ち合わせの真っ最中(嘘)なんだ。ちなみに明日からも忙しい(嘘)。仕事とか無理だから」
俺がにべもなく撥ねつけると、ヴァネッサは不敵な笑みを浮かべ、俺の隣に断りもなく腰を下ろした。
彼女から微かに漂う香水の匂いが、酒場の喧騒の中で妙に際立つ。
「そう言わずに聞きなさいよ。悪い話じゃないわ。実はね、新人冒険者をカモにしている質の悪い闇商人を捕まえたいの。貴方たちには、その獲物のフリをしてほしいのよ」
「囮捜査か。ますます御免だ。わざわざ危険に飛び込んで、俺の貴重な時間を潰すメリットがない」
「冷たいわね。でも、報酬の話をまだしていないわよ?」
ヴァネッサは俺の耳元に顔を近づけ、周囲に聞こえないような小さな声で囁いた。
「……もし協力してくれたら。これからアルヴィンくんたちがギルドに出す『探索状況の報告』や、彼らの『次回の探索予定日とルート』。これらを特別に、内密に貴方に流してあげてもいいわよ?」
「ッ……!!」
ジョッキを持つ俺の手が、震えた。
それは反則だ。探索予定の事前把握。
それは『推し活』において、先回りして対応し、彼らを絶対に死なせないための最優先重要機密。
いわば、推しのスケジュール帳を合法的に共有できるようなものだ。
「……ムクロウさん? なんだか顔が凄くニヤけていて、昨日のパフェの時と同じくらいキモくなってますよ」
「パニ、黙ってろ。今、俺は重大な決断を迫られているんだ」
俺は大きく深呼吸をし、溜息と共にジョッキをテーブルに置いた。
ここでギルドに恩を売っておけば、今後の隠密活動もしやすくなるだろう。何より、ヴァネッサの提示した条件は、俺にとって喉から手が出るほど欲しいものだった。
「……分かった、乗ってやる。ただし、俺の時間は優先させてもらうぞ。それから、その報酬の情報は正確かつ最速で頼むぞ」
「交渉成立ね。やっぱり貴方、その子たちのことになると話が早くて助かるわ」
パニがチョロすぎませんか? という目で見ているが、無視する。
ヴァネッサは満足げにウィンクをして立ち上がった。
思いもしない方向に加速し始めているな。
全ては、愛すべき推したちの未来のためだ。
俺の次の『推し活』は、どうやら囮としての初仕事になりそうだった。
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