第10話 空腹の雛鳥
冒険者ギルドのカウンター前。
俺の右腕には、記憶喪失の美少女が強力な接着剤でも塗ったかのような勢いでしがみついている。
そして正面には、これ以上ないほど「ゴミを見るような目」をしたヴァネッサが立っていた。
「……で? どうするのよ、この子。まさか『そこらへんに捨ててきます』なんて言わないわよね、善意の塊さん?」
「そ、そんなわけないだろ! けど、俺はこれから本格的な……その、自主トレとかが忙しくて……」
俺が必死に弁明していると、隣のパニエッタの腹が「ぐぅぅぅ〜〜〜……るるるぅ」と、迷宮の魔物の咆哮かと思うほど盛大に鳴り響いた。
パニエッタは顔を赤らめることもなく、真顔で俺を見上げた。
「ムクロウ……ワタシ、中身が空っぽです」
「いや、記憶だけじゃなくて胃袋もかよ!」
ヴァネッサが呆れたように溜息を吐き、身を乗り出してくる。
「ムクロウ。あんた、お金はあるの? その子の蘇生費用、かなりの額だったでしょう? 今日の宿代くらいならギルドで貸してあげてもいいけど?」
「金なら問題ない! 大丈夫!」
俺は腰のポーチを軽く叩いた。
この中には、ゲームプレイヤー時代に使い道がなくて溜まりに溜まった「99,999,999ゴールド」……つまりカンストした所持金がそのまま入っている。
ゲームの後半はドロップ装備だけで事足りていたし、回復アイテムもほとんど使わなかったしね。
ドロップレアアイテムを見つける為にモンスター倒しまくって、知らない間に溜まってた金なんだよね。
ヴァネッサは、俺のポーチから微かに漏れ出る、大量の金貨の輝きを凝視し、引きつった笑いを浮かべた。
「……あんた、それ……。まあいいわ。ともかくちゃんとした所に泊めてあげなさいよ」
「分かってるよ! パニエッタ、行くぞ」
「はい、ムクロウ! ワタシ、どこまでも付いていきます!」
◇◇◇
場所を移して、宿屋『踊る子羊亭』の酒場。
テーブルの上には、山盛りの肉料理とスープ、そして焼きたてのパンが並んでいる。
パニエッタはそれを、まるで親の仇を討つかのような凄まじい勢いで口に運んでいた。
「……なあ、パニエッタ。本当に、何一つ思い出せないのか?」
「(もぐもぐ)……はい(ごくん)。ワタシはパニエッタだ、ということ以外は。あ、でもこのお肉が美味しいことは本能が覚えていました!」
「そりゃ良かったな……」
俺は溜息をつき、ジョッキのエールを喉に流し込む。しかしどうしたものか……。明日からの『推し活』にこんな荷物が付いてきたら邪魔にしかならん。
どうにかコイツに諦めさせないとな。
「いいか。俺はこれから、この迷宮都市で『絶対に達成しなければならない使命』があるんだ。悪いが、明日からはお前一人でなんとかしてくれよ」
パニエッタは、口の周りにソースをつけたまま、ブンブンと激しく首を横に振った。
「嫌です! ワタシ、ムクロウと一緒にパーティー組みたいです!」
「はぁ!? お前、記憶もないのに戦えるのかよ!」
「わかりません! でも、ムクロウの側にいれば、ワタシは何でもできる気がします!」
そこへ、注文の追加を持ってきた看板娘のピピが、目を輝かせて俺達の会話に割り込んできた。
「えっ、ムクロウさん、パーティー組んでたんですか!? 独り身の寂しい人だと思ってたのに!」
「いや、ピピちゃん。これは違う、さっき拾った……いや、出会ったばかりで……」
「そうなんです! ワタシ、ムクロウと同じパーティーのパニエッタ。彼の『特別なパートナー』です。よろしくね、ピピちゃん!」
パニエッタがドヤ顔で既成事実の捏造をし始める。
「ちょっと待て! パーティーなんて組んでないし、パートナーでもないぞ!」
俺が全力で否定すると、パニエッタの瞳にみるみるうちに涙が溜まり、唇がプルプルと震え始めた。
「……ムクロウ……。ワタシのこと、また捨てちゃうんですか……? あの暗くて冷たい場所みたいに……」
ピピが、氷点下すら突き抜けるような冷ややかな視線を俺に投げかける。
「……ムクロウさん。……最低です」
「待て待て! パニエッタ、その捨てられた仔犬のような目をやめてくれ! 俺が悪いみたいだろ!」
もはや修復不能なほどイメージが崩壊していく。俺は額の汗を拭い、サラリーマン時代の伝家の宝刀を抜いた。
「パニエッタ、……明日だ! 明日、改めてじっくり話し合おう! な? だから今は腹一杯食べろ。んでこのあと風呂に入って、頭をスッキリしろ! なっ?」
いわゆる『問題の先送り』作戦。俺はパニエッタに残りのスペアリブを差し出した。
◇◇◇
夕食後。風呂から上がり、湯冷めしそうなほどスッキリした俺達は、宿の二階、客室へと向かっていた。
扉の前で立ち止まるパニエッタ。
「……えっ。ムクロウ、どうして扉が二つあるんですか?」
パニエッタが不満げに頬を膨らませる。
「当たり前だろ! 男と女は別々の部屋。これ、世界の常識!」
「でも、ワタシ、一人だと不安でまた人知れず死んじゃうかもしれません。ムクロウのベッドの端っこなら、ワタシは丸まって寝られますよ?」
「……さすがにそれは無理! 社会的抹殺への恐怖で、俺が震えて丸くなるわ!」
俺は強引にパニエッタを彼女の部屋に押し込み、鍵をかける音を確認してから、逃げるように自分の部屋へ飛び込んだ。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
「……隠密推し活……だったよな、俺の計画。レベルも資産もカンストしてるのに、なんでこんなに余裕がないんだ……」
壁一枚隔てた隣の部屋から、「ムクロウ、おやすみなさーい!」という明るい声が聞こえてくる。
俺は、明日という日が今日より平穏であることを祈りながら、深く、深すぎる溜息をついた。
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