第四章 父の息
冬の坂のことを考え始めてから、湊の中で父は“歩いている人”として見える時間が増えた。
それまでは、どうしても場面ごとに切り分けて考えていた。
霧のホームに立つ父。
発車後のホームで取り残される父。
海側の待合へ向かう父。
岬で見届けようとする父。
夜の港で灯りを見続ける父。
どれも間違いではない。
だが第九作の坂に入ってからは、その場面と場面のあいだをつなぐ“歩いている時間”が急に大きくなった。
人は、決定的な瞬間だけではできていない。
そこへ向かう足。
そこから戻る足。
上りながら一度だけ遅れる息。
下りながら気持ちより先に身体が進んでしまう感覚。
そうしたものまで含めて、初めて一人の人の時間になるのだろう。
父もまた、そういう人として見直され始めていた。
翌朝、湊は篠原から渡された聞き書きの続きを一人で読んでいた。
藤堂恒一の言葉を、篠原があとから整理して写したものらしい。
字は端正だが、ところどころに「この言い方が重要」「語尾に含みあり」などと小さな注がついている。
そういう律儀さが、いかにも篠原らしい。
その中に、父のことを直接指しているわけではないのに、父の姿を思わせる一節があった。
――冬の坂では、急いでいる人より、急ぎきれない人のほうが目につく。
――本当に急ぐ人は、息が切れても用事に引かれて上る。
――用事に引かれているのに、なお途中で“まだ引かれていない気持ち”が出る人がいる。
――そういう人は、坂の半ばで一度だけ息の使い方が変わる。
息の使い方が変わる。
その表現に、湊は何度も目を止めた。
立ち止まるのとは違う。
遅くなるだけでもない。
息の使い方が変わる。
つまり身体は進んでいる。
だが、その途中で何かがずれ、呼吸の深さや吐き方が変わってしまう。
それはまるで、父の遅れそのもののように思えた。
決断しないわけではない。
動かないわけでもない。
ただ、途中で息の使い方が変わり、時間に対する身体の乗り方がずれてしまう。
春口の坂は、そういうずれを容赦なく身体へ出す場所なのだろう。
その日の午前、湊は一人で駅へ上がる坂を歩いた。
汐里は宿の仕入れの確認があり、篠原は別の資料の所在を確かめに行くという。
今は一人で歩くほうが、父の息のことを考えるにはいい気がした。
朝の坂には、もう市場の動きも駅へ向かう足音も混じっている。
完全な静けさではない。
だが、冬の光は人をやさしく紛らわせてはくれない。
吐く息の白さも、首元を通る風も、足の遅れも、そのまま意識に残る。
坂の途中で、湊は一度だけ足を止めた。
疲れたというほどではない。
しかし、止まる一歩手前のところで足の出方が変わる瞬間がある。
その感覚を確かめたかった。
そしてすぐ分かった。
坂で重要なのは、止まるか止まらないかより、その一歩手前で身体がどう迷うかのほうなのだ。
ほんのわずかに歩幅が縮む。
呼吸が浅くなる。
肩が少しだけ先に上がる。
そして、自分では何でもないふりをしてまた歩き出す。
藤堂の言う「誤魔化せなくなる場所」とは、きっとこういうことなのだろう。
父も、こういうふうに坂の途中で息を整えたのだろうか。
霧のホームへ向かう朝。
夜の港から宿へ戻る夜半過ぎ。
あるいは、橋の向こうの市場から何かを持たずに戻る昼。
そのたびに、春口の勾配は父の“まだ決まりきらない気持ち”を足と息へ出したのではないか。
そう思うと、父はこれまで以上に、決して抽象ではない一人の人として近づいてきた。
駅へ着いてからも、湊はしばらくホームに上がらず、改札の手前で坂を振り返っていた。
下には港がある。
もっと下には海がある。
そして今、自分はその勾配を上ってきた。
春口では、駅へ来るということそのものが、すでに一つの上りなのだ。
霧のホームの巻では、白線が決断の前線のように見えた。
第九作の今は、その前にある坂のほうがもっと長い時間を持っているように感じられた。
昼前に宿へ戻ると、汐里が帳場の奥でメモを見ていた。
卓の上には澄江の控えが何冊か開いてあり、付箋のように紙片が挟まれている。
どうやら坂に関する記述を拾い出していたらしい。
「何か見つかりましたか」
湊が訊く。
「ええ」
汐里が顔を上げる。
「母、やっぱり坂をかなり見てます」
「どんな」
「客のことというより」
「ええ」
「“戻る人の息”を見ている感じです」
「戻る人の息」
「はい」
彼女が差し出した頁には、短い文がいくつか続いていた。
――坂の下では急いでいた人が、灯りの見えるあたりで急に息を深くする。
――戻ると決めたからか、戻るしかないと思ったからかは分からない。
――けれどその深い息で、その人はようやく宿へ入る。
――坂の途中の息は、言葉より先にその人の夜を連れてくる。
「言葉より先に」
湊が読む。
「その人の夜を連れてくる」
「母」
汐里が低く言う。
「坂の息を、夜の続きとして見てたんですね」
「そうですね」
「港から戻る人の息って」
「ええ」
「単なる疲れじゃない」
「その夜に何を見たか、何を持って帰ってきたかが、少し混じっている」
「……」
「だからお母さんは、玄関を開ける前からもう“戻ってきた人”を分かっていたのかもしれません」
その一文は、第七作の夜半過ぎに水を出す澄江と、第九作の冬灯の坂を深くつないだ。
宿の玄関は、戻ってきた人を迎える場所。
だが本当にその人が“戻ってくる”のは、坂の途中からなのだろう。
灯りが見え、息が一度深くなる。
そのとき、身体のほうが先に“宿へ向かう側”へ追いつく。
澄江は、それを玄関より前から聞いていたのかもしれない。
「父も」
湊が言う。
「その深い息をしたんでしょうか」
「したかもしれません」
汐里が答える。
「灯りが見えたところで」
「ええ」
「戻るしかないと思って」
「……」
「あるいは、戻ると決めたから」
「その違いって、大きいですね」
「はい」
「でも母は、“分からない”って書いてる」
「そこがお母さんらしいです」
汐里はそう言って、少しだけ笑った。
「決めつけない」
「ええ」
「でも息の深さだけは見ている」
「そうですね」
午後、湊は港へ下りる坂も一人で歩いた。
上る坂に比べると、やはり身体だけは先へ行く。
足は自然に前へ出る。
しかし冬の乾いた空気の中では、その“先に行ってしまう身体”がかえって不安定にも思えた。
勢いで港まで着く。
だが着いてから、自分がまだそこへ気持ちとしては来ていなかったことに気づく。
第七作の夜の父は、たぶんその感覚を何度も味わったのだろう。
だから港で灯りを見続けた。
気持ちが追いつくまで。
港へ着き、防波堤の近くで少し海を見たあと、湊はあえてまた宿への坂を上った。
今度は何も手に持っていない。
見送りもしていない。
ただ港を見てから戻るだけだ。
それでも、上りはやはり重かった。
とくに冬は、空気が乾いているぶん息の白さがはっきり出る。
その白さが、呼吸の遅れを可視化するのだろう。
湊は坂の半ばで、藤堂の言葉を思い出した。
“その人の昨日が足に出る”。
そして今は、“その人の少し前に見たものが息に出る”とも言える気がした。
港の黒さ。
灯り。
戻るということ。
それが数分後の坂に、もう出ている。
宿の灯りがまだ入る前の時間だった。
薄い冬の日差しが玄関先に残っている。
そこへ上りきったとき、湊は少しだけ分かった気がした。
父はきっと、ただ“戻ってきた人”ではない。
戻る途中で、何度も戻り方が変わる人だったのだろう。
港ではまだ来るかもしれない灯りを見ている。
坂の途中で息が変わる。
灯りが見えて、ようやく身体だけが戻る。
そして玄関の前で、まだ気持ちのどこかが遅れている。
その不揃いな戻り方まで含めて、父だったのかもしれなかった。
夜、湊はノートにこう書いた。
――父の遅れは、決断の遅れだけではなく、戻り方の遅れでもあったのかもしれない。
――港で灯りを見て、坂の途中で息が変わり、灯りが見えたところでようやく身体だけが戻る。
――澄江は、玄関の前ではなく、その坂の途中の息から“戻る人”を受け取っていたのだろう。
――春口の冬灯は、帰る場所の明かりであると同時に、帰る途中の息を深くする明かりでもある。
書き終えてからも、しばらく窓の外を見ていた。
冬の夜は早い。
港の灯りも、坂の途中の家の窓も、どちらも低く見える。
その低い灯りへ向かって上る息。
第九作は、ここからさらに澄江の上り坂と、坂の途中で人が止まりやすい場所のことへ深く入っていくのだろうと、湊は静かに思った。
続けますか?
1. はい
2. いいえ




