第三章 坂の途中の家
坂の途中には、町のどちら側にもなりきらない家がある。
港に近いとも言い切れず、駅に近いとも言い切れない。
朝の市場の音が少し届き、夜の宿の灯りも遠くに見える。
上る人と下る人が、それぞれまだ自分の速度を決めきれないまま通り過ぎる場所。
春口の坂道を歩いていると、ときどきそういう家の前を通る。
旅行者には何でもない民家にしか見えない。
けれど、そこに何十年も住んできた人は、窓一つから町の時間の流れを驚くほど細かく見ているのだろうと、湊は思っていた。
第九作で篠原が次に案内したのは、まさにそういう家だった。
駅と宿のあいだの坂を少し上ったところに、その家はあった。
石垣に沿って建ち、二階の窓がちょうど道へ斜めに向いている。
冬の日差しは低く、その窓の桟の影を細く長く落としていた。
庭は小さい。
鉢植えが二つ、季節の終わった草花を抱えたまま置かれている。
玄関前の掃き清められた土間には、朝から何人も通る坂の砂がうっすら乗っていた。
家が坂の途中にあるとは、そういうことなのだろう。
人の気配や町の勾配が、日々少しずつ玄関先へ積もる。
「藤堂さんです」
篠原が言う。
「坂を見てきた人」
「坂を見てきた人」
湊が繰り返すと、篠原は少しだけ笑った。
「ええ。この町では、そういう人が意外に大事なんです」
迎えた藤堂恒一は、七十代の終わりくらいに見えた。
痩せているが、目は鋭くも優しくもなく、ただよく“見ている”目だった。
瀬尾が遠くを見る人、繁江が灯りの違いを見る人だとすれば、藤堂は“通り過ぎる人の重さ”を見る人なのだろうと、湊は一目で思った。
それは顔より背中を見る人の目かもしれなかった。
「篠原さんから聞いてます」
藤堂は座敷へ通しながら言う。
「坂のことを、今さらわざわざ聞かれるとは思わなかったけど」
「春口では」
篠原が答える。
「今さらのことほど、あとで大きいんですよ」
「それは、そうかもしれないね」
藤堂は淡く笑った。
座敷の窓からは、ちょうど坂道の一部が見えた。
全部ではない。
上も下も隠れる。
だがその“全部は見えない”ことが、かえってこの家にふさわしい気がした。
坂を上り始める前の人も、上りきったあとの人も見えない。
ただ、途中の足取りだけが見える。
それこそが、第九作で必要な視点なのだろう。
「うちはね」
藤堂が湯呑みを置きながら言う。
「ちょうど人が誤魔化せなくなるあたりなの」
「誤魔化せなくなる」
汐里が訊く。
「ええ。下のほうでは、まだ勢いで歩ける」
「港のあたりですね」
湊が言う。
「そう。上のほうでは、もう家や駅が近いから、何とか格好がつく」
「……」
「でも途中では、足も息も、だいたいその人のものが出る」
その言い方に、篠原が静かに頷いた。
「橋が“どちらでもない時間”を見せる場所なら」
「ええ」
「坂の途中は、“抱えている重さ”を見せる場所なんですね」
「そういうこと」
藤堂は窓の外を見た。
ちょうど中年の女が買い物袋を提げて上っていくところだった。
歩幅は小さいが、止まらない。
少し前かがみになっている。
それだけの姿なのに、確かに“いまその人が何をどれだけ持っているか”が、坂によって身体へ出ているように見えた。
「冬は特に」
藤堂が言う。
「足に昨日が出る」
「昨日」
湊が低く繰り返す。
「前の日に何を見たか、どこまで起きていたか、誰と会ったか、何を思ったか」
「……」
「そういうのが、翌朝の坂に出るのよ」
「それが」
汐里が言う。
「“その人の昨日が足に出る”」
「ええ」
藤堂は頷いた。
「橋ではまだ気持ちのほうが曖昧だけど、坂になると誤魔化しがきかない」
その言葉で、第八作と第九作の違いが、湊の中でまた一段はっきりした。
橋は、夜と朝のあいだを数歩だけ曖昧にする。
坂は、そのあとに残っているものを身体へ出す。
だから橋の次に坂が来るのだろう。
時間の移行を見たあとで、その移行がどのように日々の身体へ蓄積するかを見るために。
「父も」
湊は慎重に言った。
「こういう坂を歩いたんでしょうね」
「そりゃあね」
藤堂は迷いなく答えた。
「春口で暮らしたり、何度も来たりした人なら、坂は避けられない」
「……」
「ホームや港だけで生きられる町じゃないから」
「そうですね」
「その人がどんな人だったかは知らないけど」
藤堂は続ける。
「坂の途中に出るものは、だいたい同じよ」
「どういう」
「止まりそうで止まらない人。止まらなそうで一度だけ立ち止まる人。上を見たいのに足元を見る人」
「……」
「それぞれ違うけど、みんな何かを抱えてる」
その並べ方が、まるで春口の人物たちの一覧のように思えた。
止まりそうで止まらない。
止まらなそうで一度だけ立ち止まる。
上を見たいのに足元を見る。
父も澄江も、あるいは自分も、どこかでみなそういう坂の人なのかもしれない。
春口とは、人を平らな物語にしない町なのだろう。
「母は」
汐里が言った。
「この坂をどう歩いていたと思いますか」
藤堂は少しだけ首を傾げた。
「澄江さんはね」
「ええ」
「上るときのほうが静かだった」
「上るとき」
「市場から戻るときか、港から宿へ戻るときか、そのあたりね」
「どうして」
「持って帰るものがあるからよ」
「……」
「荷物だけじゃなくて、外で見たことも一緒に上っていたんだろうね」
その言葉に、汐里の表情が静かに変わった。
澄江の“上り坂”が、ここでまた別の質感を持つ。
単に宿へ戻るのではない。
市場の匂い、港の灯り、外で見た人の顔、そうしたものを一緒に持って上る。
それが宿の主としての朝や夕方を形作っていたのだろう。
「下るときは?」
湊が訊く。
「澄江さん?」
「ええ」
「少し速かった」
「速い」
「用事がはっきりしてたんだろうね。市場へ行く、港を見る、誰かを迎える」
「……」
「下るときは、仕事の人」
「上るときは」
「生活に戻る人」
それは、あまりに明確で、あまりにしっくり来る整理だった。
澄江は、下るときには宿の外へ用事を持って出る人。
上るときには、それを抱えて宿へ戻る人。
第九作で描くべき“坂の人”として、これほどふさわしい輪郭はなかった。
「じゃあ父は」
湊が低く訊くと、藤堂は少し窓の外を見た。
ちょうど若い男が坂を上り、途中で肩を少し回している。
「男の人はね」
「ええ」
「上るときも下るときも、あまり違わない人がいる」
「どういう意味で」
「どっちへ行っても、まだどこかへ行けそうな顔をしてる」
「……」
「それがいいことか悪いことかは別として」
「父も」
「そういう種類だったかもしれないね」
その言葉に、湊はしばらく返せなかった。
どっちへ行っても、まだどこかへ行けそうな顔。
それは、父の遅れの本質にひどく近い気がした。
ホームでも決めきれず、港でも灯りを見続け、岬でも見届けながら、夜になればまた“まだ来るかもしれない灯り”を見る。
上るときも下るときも、決着した顔になりきれない。
そういう人として、父は冬の坂を歩いていたのかもしれなかった。
「それって」
汐里が言う。
「つらいですね」
「ええ」
藤堂はあっさり頷く。
「でも、そういう人いるでしょう」
「春口には多い」
篠原が静かに言う。
「そう思います」
「だからこの町は」
藤堂が続ける。
「坂の途中に家があるのがいいのよ」
「どうしてですか」
湊が訊く。
「誰かが見てるから」
「……」
「止まっても、止まらなくても、少し遅れても、ちゃんと町の中にいるって分かる」
その言葉に、湊は胸の奥で何かが静かにほどける感じがした。
春口のやさしさは、たぶんそこで生まれるのだろう。
助けるわけではない。
説明を求めるわけでもない。
ただ、坂の途中でその人がちゃんと町の中にいることを、誰かが知っている。
宿も、港も、橋も、みなそうだった。
藤堂の家は、その“見ている町”の最も日常的な形なのかもしれない。
帰り際、窓の外をもう一度見ると、坂を中学生くらいの少年が下りていった。
手には部活の鞄らしいもの。
足は軽い。
けれど一度だけ、家の前で上を見上げた。
すぐまた走るように下りていく。
その一秒の視線にも、確かに何かがあった。
春口の坂は、年齢も時代も超えて、人に小さな正直さを出させるのだろう。
宿へ戻る道すがら、汐里がぽつりと言った。
「母のこと、前よりもっと日々の人に思えてきました」
「ええ」
湊が答える。
「灯りの人とか、宿の人とかだけじゃなくて」
「坂を上り下りする人」
「はい」
「父もそうです」
「……」
「坂の途中で見える人になると、急に生活の中へ戻ってきますね」
「そうですね」
「それが、第九作なんでしょうね」
湊は静かに頷いた。
第九作は、決定的な場面のあとに続く勾配の物語だ。
人が何を抱え、どう息を整え、どう止まりそうで止まらず、止まらなそうで少し遅れるか。
その身体の時間が見えてきたことで、父も澄江も、また一段、人として近づいてきているのだった。
その夜、ノートにはこう書かれた。
――坂の途中は、人が誤魔化せなくなる場所だ。
――橋を渡ったあとの曖昧さが、ここでは足と息と背中に出る。
――澄江は下るときは仕事の人で、上るときは外で見たものを持って宿へ戻る人だったのかもしれない。
――父は、上るときも下るときも、まだどこかへ行けそうな顔をしていたのかもしれない。
――春口の坂には、それを見ている窓がある。




