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9もふ 愛の結晶

長い冬が始まっていた。針葉樹と広葉樹が立ち並ぶ深い森も、毛長牛がのびのびとする牧草地も雪で覆われていた。城を思わせるようなこの屋敷も雪のダウンを着て、見事な庭園も野菜畑も一面の銀世界。

穏やかなせせらぎ流れる川も凍りつきそうなくらいに体の芯から冷えるこの季節は屋内に籠もってひたすら春がくるのを待っている。


日照時間も短くて窓から部屋に差し込む陽射しは低い。心許ない陽射しだけではとても暖かくなるものではなくて。屋内は暖炉や魔道具で暖かくするものだ。


パチパチと爆ぜる音。ナラの木を斧で割った薪が燃えている。炎が懐かしく感じるようにゆらめいている。


「どう? レクス?」


暖炉のある部屋で僕とレクスが両手を繋いでスツールに座っていた。暖炉の炎で赤く照らされた白銀に輝くレクスの狼しっぽがぶんぶんと揺れている。


「とっても元気だよ!」


レクスの言葉通り、白い肌は健康的な色を保って金色の瞳は生気に満ちあふれて輝いている。銀色のまつ毛が瞬いて朗らかに微笑むその笑顔が今日も可愛い。


「魔力の供給がさらに安定しています。かかる時間もさらに短くなってほんの十数秒。ジュリアン様、すっかり上達されましたね。私の出番はよほどのことがなければなさそうです」


懐中時計をポケットにしまって微笑むボトールさん。


「見込んだ通りジュリの力はとんでもなかったな! ボトールもスペシャルドリンクを飲まなくなって嬉しいだろう!」

「ええ。涙が出そうです」


ボトールさんが嬉し泣きで泣いている。死ぬほどまずいあの毒薬を飲まなくていい感動に打ち震えている。

僕も試しに口にしたことがあるけど黄泉の世界が見えたと言っても過言じゃなかった。あらゆる語句を使っても表現できる味じゃない。どうやってあんな飲み物を作ったんだ?


「あはは。これまでわたしのためにがんばってくれてありがとう!」

「お嬢様。そのお言葉だけで私のすべてが報われます」


ボトールさんが恭しく、そして穏やかな笑みを浮かべて心からの謝意を述べている。

レクスが死にそうになったあの日を境に僕の魔力操作の技術が格段に上がって、魔力の供給も問題なく完璧にできるようになっていた。


その……もちろん口付けではなくて、手のひらから手のひらへと注ぐ方法でだ。あれから口付けなんて一度もしてない。あれはほんとのほんとに緊急時だからしてしまったことで。


だけどあれからずいぶん経つ今でもお互いに唇を見合って顔が赤くなってしまう。つまりお互いに意識してしまっていて。そんなの当然のことだよね?


「ちゃんとレクスのためにできるようになって良かった。もうレクスが危険な目に遭うようなことは僕が絶対にしないからね。ね、レクス」

「うん! ジュリはわたしを守ってくれる王子様だもんね!」

「や。王子様って……」


レクスの不意打ちの言葉に顔が真っ赤に熱くなってる。

快活な返事をくれるレクスの立派な狼の耳がぴこぴこと揺れて狼しっぽもふんわりと揺れていた。ご機嫌も麗しく、手を合わせたり笑顔を浮かべるたびにゆるく波を打つ銀色の長髪がサラリと揺れ動く。レクスは本当に綺麗で気持ちのいい女の子だ。


「それではお嬢様。本日は予定通りの授業を行いたいと思います。参りましょう」


レクスと僕のやり取りを微笑ましく見守っていたボトールさんが部屋の扉を開けた。


「はーい。ジュリ、お昼にまた会おうね!」

「うん。お稽古がんばってね」

「ジュリもがんばってね!」


スツールからぴょこんと飛び降りると、ドレスの裾を静かに揺らしながらしずしずと歩いていくレクス。まるでどこかのご令嬢みたいだ。ご令嬢なんて見たことないけど。

そう思うほど、この数ヶ月でレクスの気品と上品さが際立つようになっている。ボトールさんやルテさんたちの教育の賜物?


「レクスは毎日がんばって偉いなあ」


感心するほどにレクスは毎日毎日、あれやこれやと習い事をこなしていた。


「何を言ってるんだ。ジュリだって相変わらず目のくまを作ったまま、ダンスやら宮廷儀礼やら毎日がんばってるじゃないか。魔力操作の訓練だって怠っていないんだろう?」


バロンが呆れた様子で僕のことを見ている。


「もちろんだよ。レクスのためになることならなんだってするさ。ダンスが上手くなればレクスの練習相手になるし、宮廷儀礼だってレクスのお手本になるようにしないと」


そうさ。忌み嫌われていた僕を救ってくれたレクスのためならなんだってできるんだ。


「……お前さ。お嬢様のことを特別に想ってるだろ?」

「そうだよ。悪い?」


誰の目から見ても僕がレクスに好意を寄せていると見えていることは知ってる。隠すつもりもない。


「結婚できるわけじゃないんだぞ」

「そんなことは分かってるよ。一代限りの男爵位の僕とじゃ身分差があるってことくらい。僕はそれでもいいんだ」

「まあ、他にも理由はあるんだが」


結婚だけが大事な人を幸せにするすべてじゃない。僕は僕にできることでレクスを幸せにしたいと思ってる。


「ていうかさ。レクスがどのくらいの貴族かどうかなんてまだ一度も聞いてないんだけど」


「ああ。特別は話してなかったな。そうだなあ……ジュリの耳にも入れておいた方がいいな。身分ということで言うとお嬢様は身分がない」


「身分がない?」

「そうだよ。お嬢様の姓を聞いたことないだろう?」

「うん。ずっと不思議に思ってた。でもそれを言ったらバロンやボトールさんにルテさんや料理長さんとかみんなの姓も聞いたことないんだけど?」


村から雇われた使用人たちの姓はちゃんと知られている。


「お嬢様はそもそも姓を名乗ることは許されていない。そして俺たちもだ。これは秘密だぞ」

「うん」


バロンが神妙な面持ちで話し始めた。


「お嬢様はな。とあるお方のご落胤なんだ。ご落胤と言ってもあれだぞ? 父親も母親も名も言えぬほど高貴なお方だ。だけど決して結ばれてはならないお二人でな。そんな二人から生まれたお嬢様は高貴な血を受け継いでいるけれども立場的には存在しないことになっている。だから身分ということで言えばないようなものだ」


「だからここで暮らしているの?」

「そうだ。王都で暮らすことは許されない」


王都。高貴な血。僕は貴族の世情にはまだそれほどには詳しくない。だけど分かる。王族に連なる血筋くらいは。

だって高い山と深い森に囲まれた小国、ベスティアを代々に渡って統べているのは白銀狼の獣人だ。もしかして王陛下の……。

どちらにしても子を産む期間も含めて秘密にしていたに違いない。それはとても大変だってことくらい容易に想像がつく。


そして、結ばれてはならない二人と言う言葉を聞いて思い至ったことがある。レクスの美しすぎる容姿。生まれつき虚弱で魔力が常に枯渇している重度の魔力欠乏症。ここから導き出されて考えられることがある。


「血が濃いのかな……」

「それ以上は言うな」


バロンの視線が厳しくなった。

神の寵愛を受けていると言われるほどに眉目秀麗な王陛下には歳の離れた王妹がいる。先代王陛下の最初の王妃は先立たれ、二人目の王妃との間に儲けられた王妹。

ベスティアの結婚は一夫一妻制。王族だって正妃のみで側妃は許されない。そして近親婚は禁忌とされている。


その王妹は神の祝福を授けられていると言われるほどに美しく、絶世の美女だというのに数年前に大層な病を患って王城で密やかに暮らし、今だに婚姻することを拒否しているという。


病を患ったのはレクスの生まれ年の半年ほど前から。なぜ拒否をしているのか。それはきっと心に誓った愛があるから。


そして禁断の愛の結晶。望まれて生まれた。でも望まれない隠された愛し子。推測だけどきっと正しい。それほどまでにレクスという女の子は儚く、謎めいた美しさを感じさせていたんだ。


つまり……レクスは王陛下と王妹の……

僕ごときが思い至ること、レクスは知ってるんだろうか。


「うん。言わないよ」


禁忌を犯して生まれたレクスも穢れた存在ということになる。そうか。だからみんな僕の事を。忌み嫌われる黒忌み子である僕のことも嫌わないでいてくれるんだ。レクスの辛い立場を理解しているから。


存在してしまった子に忌避される責任はあるんだろうか。レクスのことを思うと涙がこぼれそうになる。尚のことレクスを守ってあげたい。


「そうしてくれ。だから生まれてしばらくの間は王都にいたんだ。けども大きくなるにつれ隠しきれなくなる。だからここで暮らすことになった。俺もボトールもみんなもお嬢様の未来を憂いてる。みんなお嬢様のことを愛してるんだよ」

「それはよく分かるよ」


レクス直属の使用人たちの献身ぶりはそれは見事なものだ。村から雇用した使用人でさえレクスを敬っている。

そして、そんなレクスに心からの忠義を尽くしている僕を見て、僕を忌み嫌っていた使用人たちの目もほんの少しだけ和らぐようになっていた。

全員じゃないけどね。


心に誓った愛か。

それなら僕も誓っている。

レクスを失いそうになったあの日から。

思い出すと顔が熱くなるけど。



今回も繰り返していいかな? 僕がレクスのことを少女ではなく男の子であることを知るのはまだまだまだまだ先のこと。

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