8もふ 頬を伝う涙
「レクス! レクス!」
銀色のまつ毛が伏していく。荒かった呼吸が浅くなっていく。金色の瞳から急激に失われていく光。まるで命の灯火が失われていくように。
「こんな!? 魔力が!?」
魔力操作を学ぶために最初に身に付けた魔力感知の力が向上した事で、レクスの体内に残っている魔力が失われていく様子が分かった。魔力だけじゃない。見るからに衰弱していく様子に動揺してしまう。こんなに急激なことは今まで一度もなかった。
「レクス! このままじゃ! 死……」
魔力欠乏症で死ぬことは滅多にないけれど、その状態が続けば死んでしまう事があると聞いていた。今のレクスから感じる生命の喪失感は尋常じゃなかった。
「ダメだ! ダメだレクス!」
レクスを失う恐怖に襲われてレクスの肩を揺さぶる。
「……ジュリ」
瞼がうっすらと開いて力のない視線が僕の瞳に交わる。
「レクス! 僕にできる事があればなんでも言って!」
「好き……」
聞こえたか聞こえないか。か細く震えた可愛い声が僕の耳に届いた。
瞳が閉じられる。
「レクス! ダメだあああ!」
叫んでも何も変わらない。
ボトールさんがいない。
ああ。僕はどうしたらいい。
魔力の供給のやり方は教わってはいるけれど一度も少しもできたことはない。何もできない。絶望感と無力感に襲われる。でも。
「違う……違うぞ……
やるしかないんだ。
僕が……僕がレクスを守る!」
今すぐにだ。体内の魔力操作はある程度できるようになってる。内転させて高める必要があるけれどそんな悠長なことは言ってられない。内転しながら魔力の供給を始めないといけない。
魔力を供給する時は両手を繋ぐ。魔力を感知してお互いの手のひらに魔力の通り道を作る。通り道を作ったら魔力の流れを作る。手のひらから手のひらを通じて内転して高めた魔力を注ぐ。
口で言うのは簡単だけど。
「レクス。待ってて」
魔力の内転。感知。通り道。手のひらから魔力の放出。ダメだ。うまくできない。手のひらからほんの少し魔力が漏れるだけでレクスの手に魔力が伝わった感じがしない。出力が足りない。入り口をどうやって作ったらいいか分からない。教わった通りにできない。
レクスの顔色が悪い。どんどん青白くなっていく。呼吸が……
考えたりあれこれ試しているヒマはない!
もっと! もっと!
「僕の中には人よりも多すぎる魔力があるんだろ!? レクス! お願いだ! 僕の魔力を受け取って!」
高めた。僕の中にある魔力をぐるぐるぐるぐるこれでもかと言うくらいに内転させた。僕の両腕に刻まれた魔力紋がうずく。王子様系ロリータブラウスの袖から透けて見えるほどに黒く輝いていた。
きっととんでもない魔力量だという事は自分でも分かる。魔力量が高いというボトールさんからこれほどの魔力量を感じた事はない。最初に感じた時は砂粒ほどだった。それだけ桁違いに魔力量の差に開きがあるんだ。
それなのに!
いくら手のひらから注いでもほんの少ししかレクスの手のひらに伝わっていかない。
このままじゃ。このままじゃ。
レクスを……失ってしまう。
涙があふれていた。
抗いようのない事実を感じて……
嫌だよう。
そんなの嫌だよう。
レクスが死んじゃう。
そんなのは……嫌だ……。
涙しか出てこない。
レクスの手が冷たくなっていく。
「ジュリ……アン」
もう一度。レクスの金色の瞳と柔らかな唇が開いていた。
「何? レクス?」
優しく。穏やかに返事をしていた。
あきらめたわけじゃない。魔力の放出は止めてない。
だけど……最期に発する言葉を聞くことしかできない。
「大好き……キスして」
儚いほどに謎めいた美しさを感じる。
その言葉を最期に。
僕の腕の中で横たわるレクスの首が傾いた。
「レクス!」
なんの反応もない。
事切れたように力なく。
レクスの頬に涙が落ちる。
僕にできること。
レクスが望んだことを……してあげたい。
だらりと垂れる狼の耳と地に伏した狼のしっぽ。
レクスを左手に抱きとめて、可愛いあごをくいと持ち上げる。
僕の腕の中で横わたるレクスの綺麗な顔を見つめてから。
幼く柔らかく冷たくなった唇に口付けをした。
哀しい甘い香りがした。
涙が頬を伝ってレクスの頬に伝っていく。
レクス……
レクス……
レクス……
お願いだよ。
死なないで。
僕は願うことしかできなかった。
……
……
……
ん? あれ?
魔力が? 吸われてる?
魔力の内転は止めてなかった。
体内魔力の流れが変わった。
僕の唇からレクスの唇へと魔力が流れている。
口付けしたままの唇に……ほんの、ほんの少しあたたかみが。
ぷはっと息継ぎをするように唇から離れた。
レクスの顔にほんの少し赤みが増している。
「もしかして……レクス、僕の魔力をもっとあげるね」
再び。柔らかいレクスの唇に口付ける。
今度は手のひらからじゃなくて口から魔力を注ぐ。
いくらでもあげる。
だから元気になって。
笑顔になって。
僕のレクス。
大好きだよ。
レクスの肌にもぬくもりを感じていた。
命の危機は遠ざかったんだ。
だけど唇は離れない。
いつしか。
その……絡み合うように……えと……熱い口付けを続けていた。
僕の初めてのキス。
そして……
吸われる!?
ちょっと待って!?
僕の中にある膨大なはずの魔力がどんどん減っていく!?
え!? これやばくない!?
気が遠くなる!?
これ命の危機じゃないか!?
初めて感じる命の喪失感に襲われながら。
僕は意識を失っていた。
魔力の供給怖いと思いながら。
「ん。ううん」
「ジュリが目を覚ましたよ!」
瞼を開くと。僕を覗き込むレクスの笑顔が眩しく輝いていた。森の中。僕は落ち葉の上で寝かされていた。
「ジュリアン様。お加減はいかがですか?」
「うん。大丈夫。いつもと同じ」
僕の両手をつかんでいたボトールさんに返事をして上半身を起き上がらせる。手のひらに残るボトールさんのあたたかい魔力を感じる。どうも魔力の供給を受けていたらしい。
「念の為と魔力を供給をしましたがいらないくらいでしたね。魔力量の膨大さにも驚きですが回復の速さも尋常ではありませんね」
「回復……レクス!」
起きたばかりでぼんやりしていた頭が急にはっきりした。
「良かった! 無事だったんだね! 本当に良かった!」
僕を見つめていたレクスに抱きつくと抱きしめ返された。
「うん。助けてくれてありがとう。ジュリのおかげだよ」
レクスの輝く笑顔。それだけで僕の心は救われる。
そうだ。僕はレクスに魔力をあげることができたんだ。魔力さえ供給できればレクスは元気になるんだ。あれ? どうやって魔力を供給したんだっけ。
「えーと……あ」
思い出して顔が熱くなっていた。レクスの瞳から唇へと視線を移した。そしたらレクスの顔も赤くなって唇をつんと尖らせてうつむいている。手をもじもじしてる。可愛い。けれど、お互いに押し黙ってしまった。だって、大好きって……キスしてって……
「んん。こほん」
口元に拳を当てて軽く咳払いをするバロン。なんだかちょっと変な顔してる?
「二人とも無事で良かった。何があったかは……まあいいとして」
とても困ったような顔もしている。んん? 僕がレクスに何をしたか分かってる? そうだ。この世界は日本のような現代社会と違ってとても貞操観念が強いんだ。そりゃそんな顔にもなるよね。キスには誓いの意味もあるんだから。
「ジュリ。お嬢様を助けてくれてありがとう。そしてすまない。騎士として主君をお守りいただいたこと誠に感謝を申し上げる」
騎士の作法に基づいて跪いて礼をしている。それはまるで臣従の礼のようで。ちょっと大袈裟すぎない!?
「バロン!? そんなにかしこまらないでよ! 僕たち友達なんでしょ!」
「はは。そうだな。でも本当に無事で良かったよ」
バロンがまた器用に片目をつぶっている。いちいちかっこいいか。
「でもさ。どうやって僕たちを見つけてくれたの?」
右も左も似たような景色。見失う前はあっちこっちと方向を変えるオオカミの後を追いかけて随分走ったし。
「ジュリアン様の魔力のおかげです。遠くにいても恐ろしいくらいに感じられる魔力が発せられていましたから」
そうか。とにかく必死に魔力を高めていたからか。でもそんなに恐ろしいの? 僕の両腕にある禍々しいほどの魔力紋をさする。
「さあ。そろそろ日が暮れます。奥の方まできてしまいましたから急いで森から出ましょう」
この森はオオカミだけじゃないヒグマのような大型の獣もいる。冬籠りの準備をしているヒグマに襲われたらたまらない。屋敷のすぐ近く、森のほんの入り口にいただけなのにまさかこんなことになるなんて誰も夢にも思わなかっただろう。そう。誰も夢にも。森の奥にいるはずのオオカミの群れが屋敷のそばにいるなんて。
番犬を用意した方がいいかもしれない。
そして。レクスに初めて会ったあの日からあっという間に月日は流れ、僕は11歳、レクスは9歳になる年になっていた。
屋敷では冬に備えての最終段階に入っている。この辺り一帯はもうすぐ大雪が降って一面が雪景色になる。猛吹雪が幾度も続く厳しい冬がやってくる。避暑地として利用される期間はとっくに終わっているんだ。他の王侯貴族はとっくに元いた地に戻っている。
それなのに。レクスは去年も今年もどこかに戻ることなく屋敷にいる。そもそもレクスはいつからここにいるんだ?
僕はまだ聞いていない。レクスがどういう立場の貴族なのかを。
今回も繰り返そう。僕がレクスのことを少女ではなく男の子であることを知るのはまだまだまだ先のこと。




