7もふ オオカミの群れ
「レクス。僕のこの黒い髪と黒い瞳は怖くないの?」
一口紅茶を飲み込んでティーカップとソーサーをテーブルに戻す。ソファの場合は両方持つものだと教わった。厳しいテーブルマナー講義の甲斐があってそれなりに作法が身につきつつある。執事のルテさんのおかげだけど、今も僕を睨む冷酷な瞳が恐ろしい。
レクスとのお茶会で使用されている茶器はそれはそれは高級品だと聞いてる。今回の茶器はと言うと。高温で焼成された磁器の白い地肌には、「貪欲」「想像力」「空想」「母性愛」なんていう花言葉があるルピナスの花が優美に絵付けされている。紫の藤色が幻想的に表現されていて輝く金彩が美しい。
つまり落として割ったら大変なことになる。心の中は恐怖で震えてるけどその振動を手に伝えるわけにはいかない。
レクスとの楽しいお茶会だけど。僕にとってもレクスにとっても礼儀作法を学ぶ時間だった。
「ううん。怖くないよ。だって……わたしもジュリの気持ちはよく分かるもの」
「そうなの?」
なんだか意味深な反応だけど聞けるような雰囲気じゃない。
村の外に出たことはないから他所のことは知らないけど、避暑地に訪れる人も含めて黒い特徴を持った人を生まれてから一度も見たことはない。
「黒はこの国では忌み嫌われるものなんだよね?」
追加のお茶菓子をテーブルに運びにきていた執事長のボトールさんに耳打ちする。少し複雑そうな眼差しで「そうですね。地方は特に。貴族も年配になるほど酷いものです」と小さく返事があった。やっぱりそうだよね。高貴な貴族様は平民よりもよっぽど差別意識がありそうだし。王子様系ロリータの膨らんだ長袖で隠されている黒々と刻まれた魔力紋を見せたらどんなことになるんだろう。考えるだけで恐ろしい。
「わたしはジュリの黒い髪も瞳も全部素敵だと思うよ」
「ありがとうレクス」
ソファの上に寝そべっていたもふもふの狼しっぽがふんわりと優しく揺れている。レクスの瞳と穏やかな物言いはそれはそれは慈愛に満ちていて優しい。こんな僕に好意を寄せてくれていて泣いちゃいそう。
「ジュリ!? なんで泣いてるの!?」
泣いてた。涙が頬を伝って膝にポタポタと落ちていた。
「あれ? 涙が……うれしいんだ。レクスやボトールさんやバロンたちにこんなに優しくされて、まだなんの役にも立ってない僕なのに」
魔力の供給をレクスにできるようになる目処はまだついてない。黒忌み子の僕になんでこんなにもしてくれるのか本当に不思議だ。
「そんなことないよ! ジュリはいっぱいがんばってるもん! それにその……わたし、ジュリのことが大好きだから」
顔を赤くして下を向くレクスが恐ろしいほど可愛い。狼耳がぴこぴこと揺れている。僕は感激と嬉しさと恥ずかしさのあまりにのぼせてしまって何も言えなかった。
「こほん。ジュリアン様」
ボトールさんの呼びかけにも気づかないほどレクスを見つめていた。
「ジュリアン様」
ほんとにのぼせていて耳に入ってこなかったんだ。
「ジュリアン様」
「え?」
「魔力操作の鍛錬がおろそかになってはいませんか?」
「あ! うん大丈夫! しっかりやってるよ!」
少し苦笑しているボトールさんからの三度目の呼びかけでやっと我に返った。お茶会の今でも僕の体内で魔力を内転させている。以前は砂粒程度の違和感しか感じなかった魔力だけど、だいぶ感知できるようになっている。食事中、トイレ中、筋トレ中、起きてる時はもちろん寝ている時も魔力の操作に余念はない。そのせいで毎日の寝不足は変わらず。影のある薄幸の美少年みたいな印象も変わらないまま。最初は社畜社員みたいな形相で心配されたけど、見た目が改善されてみんなすっかり慣れたみたいだ。
だけども僕を忌み嫌うアミックや他の使用人たちの僕への反応も変わらず酷い。
こんな感じで幸せな時間といじめられる時間が共存する毎日を送っていた。
一緒に学んで。
一緒に温かい食事をして。
一緒に笑い合って。
時には大喧嘩をしたこともあった。何日か口をきかないくらいに。でもちゃんと仲直りして笑い合った。怒ったレクスの顔も可愛すぎて、喧嘩をしているのに困った。
レクスといる事がとても嬉しくて、とても幸せで。レクスも僕のことをとても大事に想ってくれていて。レクスの笑顔がこれ以上にないくらいに僕の心の中にいっぱいだった。
そして、寒さを肌に感じるようになった長い冬が始まろうとする季節。短い秋が終わる頃のある日のこと。
「ねえ! あれ見てジュリ! リスさんだよ! どんぐり持ってキョロキョロしてる!」
レクスのいる数歩先、倒木の上にリスがいた。アカゲラの鳴き声と樹木を規則的に打ちつけるくちばしの音が空に響いている。
レクスと僕は屋敷の裏側の森で遊んでいた。遊びといっても子ども二人だけではなくてボトールさんもいるしバロンたち騎士や従者も一緒だ。樹木の種類やその用途、落ち葉を堆肥として活用する方法を学んだりする課外授業のようなものだった。この森は針葉樹と落葉樹が混在している。奥に入ると湿原や湖にはカワウソやイタチ、テン、ヤマネなど小型の動物も多数生息して、オオカミやヒグマ、オオヤマネコやヘラジカなどの大型生物もいる。
「ほんとだ。きっとどんぐりをどこに隠そうか考えているところだよ」
「隠すの!」
「うん。リスはね。厳しい冬を乗り越えるために大好きなどんぐりをあちこちに隠して貯めておくんだよ。でもね。あちこちに隠すからどこに隠したか忘れちゃうんだよ」
「あは。なんだかかわいいね!」
リスのいる森の近くに暮らしているなら誰でも知っていることだけど、リスを眺める好奇心旺盛な瞳を見ていると微笑ましくなる。庇護欲をそそられつつ誰よりも可愛らしいその姿に愛情が深くなるばかりだった。
「ねえジュリ。またかくれんぼしようよ」
「いいけど。僕が隠れてもすぐに匂いで見つけられちゃうしなあ。さすがは狼獣人だよね」
「えへへ」
朗らかに笑うレクスが僕の顔に鼻を近づけてすんすんと嗅いでいる。あんまり近すぎてドキリとする。
普通のオオカミほどじゃないけど狼獣人のレクスは人族よりも嗅覚に優れていて、どこに隠れてもすぐに見つけられてしまう。きっと僕の匂いを覚えてしまっているんだろう。
「待って!」
「あ!」
倒木の上で遠くを見ていたリスが駆け出すのを見て、森の奥へとレクスが追いかけ始めた。レクスは重度の魔力欠乏症だから普段からあまり外出することもない。今回はレクスの可愛いわがままで外に出してもらったんだ。
そんなレクスが間近にいたかわいいリスに夢中になってしまうのはしょうがないこと。子どもの反射的な行動を予測するなんて無理な話だ。ボトールさんたちが決して目を離していたとかではない。むしろ注意深くレクスに気を配りながら周囲の危険に警戒していた。だからこそ、レクスの微笑ましい様子にきっと心が緩んでしまったんだと思う。
「ダメだよレクス!」
さすが狼の獣人だけあってレクスは足が速かった。だけどボトールさんも白馬の獣人だけあって素早い。僕やバロンたちは年相応の人族並み。
すぐに追いつくはずだった。だけど無理だった。森の奥に生息するオオカミの群れに行く手を阻まれたから。
「あ!」
一際大きい一頭のオオカミがレクスの襟ぐりに咬みつくと背を向けて走り去って行く。
「ジュリー!」
「レクス!」
ボトールさんにバロンや従者たちは複数のオオカミに同時に襲われて対処に追われている。剣を持っているバロンたちが行く手を切り開こうとしていた。運良くオオカミの標的にならなかった僕はそんな様子を尻目にひたすら攫われたレクスを追いかけていた。
どれだけ走ったか分からない。ただただ追いかけた。右も左も分からない。獣の足跡なんて分からない。オオカミの足の速さに追いつくはずがない。とっくに見失っていた。それでも追いかけた。
そして偶然にも見つけることができた。
血まみれになって倒れている……オオカミを。
死んでる?
そして、少し離れた奥に立ち尽くしたレクスを見つけた。レクスの口の周りと手が赤く染まってる。
「レクス!」
「……ジュリ」
僕を振り返るレクスの瞳に生気がなくぼんやりとしている。立派な狼耳はぺたんと垂れ下がってもふもふのしっぽは力なく垂れていた。フラフラとふらつくレクスに駆け寄って抱きしめる。
倒れたオオカミは絶命しているようだった。誰がオオカミを倒した? だけどここにはレクスと僕しかいない。だとしたら……レクスが? 7歳の女の子が? 僕の腕の中でレクスがガクガクと震えている。怖かったんだ。そんなの当然だ。もしもこれが僕なら絶叫しているかもしれない。
レクスを抱き上げて倒れたオオカミから離れる。いつまでも目に映る場所にレクスをいさせたくなかった。
「ちょっと我慢して」
抱えたままの状態で地面に腰を下ろす。自分のフリルタイを外してレクスに付着した血を拭き取っていく。なるべく綺麗に拭き取った。
「ジュリ……」
恐怖に震えたつぶらな瞳が僕を見つめている。そして、こんこんと咳き込み始めた。顔から血の気がどんどん引いていく。呼吸がとても辛そうだった。
「まさか……こんな時に魔力欠乏症の症状が……」
いつもよりもかなり早い。いつもならもっと時間があるはず。周囲を見回しても誰もいない。ここがどこかも分からない。
「ボトールさん! バロン!」
叫んでみても返事がない。鳥たちの鳴き声も止んで、ただただ森は静かだった。
「……ジュリ……」
「レクス!」
可愛いレクスの瞳がどんどん弱々しくなっていく。




