6もふ 大きめのチーズ
「男おんながよくやったよな。どんな色仕掛けで貴族をたぶらかしたんだ?」
裏庭の芝生に寝転がって腹筋100回目を数えようとしていた時。農作業や庭仕事を担当している使用人のアミック・ヴリントがやってきた。僕を忌み嫌う村人の一人で僕よりも一つ年上の少年だ。村長の息子でもある。山猫の獣人らしく気性が荒い。耳をいからせていてシュッとした長いしっぽがピンとそり返っている。健康的にも見える黒い肌が綺麗だけど、いやらしい目付きで僕を見下ろしている。普通にしていれば猫みたいに可愛げのある整った顔をしてるのにもったいない。
「アミックか。男おんなって失礼だな。僕はれっきとした男だけど」
自分では気づいてなかったけど僕の容姿はかなりレベルが高いらしい。そういうのも嫌われる原因の一つだったのかもしれない。
この屋敷に招かれてボロの服から上等な貴族の服(王子様系ロリータ)に変わり、ボトールさんから徹底的に身綺麗にするテクニックを教え込まれ、蔑まれてきた時とは比べ物にならない美味しい食事を与えられ、時にはメイドさんたちから着せ替え人形の如くおもちゃにされて、なんなら女の子の化粧までされたり。
あれ? 僕って可愛くない? なんて、鏡で自分の顔をまじまじ眺めてみたりした。化粧はもうしてないけどたまにメイドさんに遊ばれる。
食事事情が良くなったこともあり痩せていた顔も体もほどよくふっくらしてきたし、弛まぬ筋トレで子どもながらに鍛えた肉体になっている。徹夜続きでできた目の下にあるくまなんだけど、影のある薄幸の美少年みたいな印象になったらしい。変われば変わるものだ。メイドさんたちの僕を見る目がなんだか怖い。
「鍛えるの手伝ってやるよ! これでも喰らえ!」
「ぐ!」
腹筋100回で疲労していた筋肉に重たい衝撃。僕の体が悲鳴を上げる。アミックが抱えていた麻袋が僕のおなか目掛けて投げつけられたからだ。麻袋から粉状の物がほんの少しだけ縫い目の隙間からこぼれた。中身は畑に使う堆肥だった。両手で抱えるほどの麻袋の中身は湿り気があってけっこう重たい。
「もう一度だ。喰らえ!」
「ぐ!」
「ふふん」
僕の顔が苦痛で歪む。僕のそんな表情を見て楽しんでないか?
知ってるかアミック? ボクサーは殴られる腹がパンチに耐えられるようにわざわざボールをぶつけるってことを。へへ。僕はお前の手で確かに強くなっていくんだ。痛いけど。薄らかな記憶ではこんなことをしても腹筋が割れるわけじゃないらしい。どうせなら腹筋も100個に割れればいいのに。
「もう一回だ!」
「ふむ!」
「くっ!?」
持ち上げられた麻袋が再び僕のおなかに打ちつけられて顔が歪む。なんでアミックがうろたえてるの?
そんな感じでアミックが疲れるまで十数回は投げつけられた。そっちはそっちで筋トレになってそう。持ちつ持たれつ? んな訳あるか。いじめられてるだけだし。でもこんなことで騒いでもしょうがない。僕が被害者として訴えても結局は僕が悪者にされてしまう。だからおとなしくやり過ごす。それは幼い頃から身につけた処世術だ。特に今の環境ではレクスを心配させてしまうだけ。そんな無用な感情を彼女に持たせたくはない。
「アミック。僕のトレーニングのためにありがとう」
この状況をバロンに見られたことがある。こういうことを嫌うバロンに、アミックが「手伝ってるだけだ!」と言うので僕もその方向で乗っかる事にした。トレーニングの一環だと説明し、自分で解決すると言ったら納得のいかない顔で了承してくれた。だからレクス直属の使用人は黙認してくれている。だけど村から雇用した奴らの反応はアミックほどじゃないけど似たようなもの。僕が男爵になったからといってみんなに根づいた感情と常識はそう変わるもんじゃない。
「はあ!? ま、またそんなこと言うのか! また明日もやってやるから覚悟しろ! いいか! 明日もだからな! 必ずこいよ!」
呆れたような顔で僕を見たと思ったら麻袋を抱えて畑に向かって行くアミック。また明日の言葉通り、こんなことが日課になっていた。いじめの日課ってなんだ?
だけど明日は腹筋じゃなくて下半身の筋トレをする。同じ部位を毎日やっても効果が少ない。筋トレが魔力操作にどれだけ効果があるか分からないけどきっと筋肉は裏切らない。
「ジュリ。終わった?」
アミックが立ち去った後にキラキラと微笑みが眩しいレクスがやってきた。タオルと飲み物に食べ物をトレイにのせて持ってきてくれた。
もふもふの耳としっぽがぶんぶんと揺れていて彼女の心が伝わってくる。僕を見て喜んでくれている。僕の荒んだ心が癒やされる。
レクスの謎めいた美しさと儚さは悲しさを感じるけれど屈託のない笑顔はそれを跳ね返してるようにも感じる。
「うん。今日の筋トレはこれで終わりだよ」
「おつかれさまです」
額に流れる汗を柔らかいタオルで優しく拭ってくれた。
「はいどうぞ。たんと召し上がれ」
「ありがとう」
手渡されたマグカップを口にする。レモン果汁と蜂蜜が溶け込んだミルクがとても美味しい。酸味と甘味が解けるように心に沁み込んでいく。
「あーん」
大きめのチーズを小さな両手に持って僕の口に運んでくれる。幸せか。一口かじって飲み下す。手軽に摂れるたんぱく質な訳だけど、僕が筋肉にいいものなんだと話したらレクスが喜んで用意してくれるようになった。ミルクもチーズも村特産のものだ。牧草地でのびのび育った毛長牛は肉牛としても乳牛としても畜産している。その長い下毛は衣類にも用いられ厳しい冬を乗り切るのに欠かせない。
「ジュリと一緒だともっとおいしいね」
レクスも大きなチーズを一口かじって微笑んでる。くう。可愛い。
筋トレ後の二人の時間。これも毎日の日課。ほんとに心から癒やされる。僕ががんばれる大きな要因の一つだ。アミックの嫌がらせなんてレクスとの時間があると思えばなんの障害にもならないって思った。
そしてまた別に、とある日にあったこと。
僕一人、屋敷の一室でテーブルマナーの講義を受けていた。レクスとお茶をするために貴族としての礼儀作法を身につけるためだ。そのためにルテさんが指導してくれる訳なんだけど。
ルテさんは執事長であるボトールさんの部下として数人いる執事の一人。ネズミの獣人で頭の上には丸くてかわいい耳。ズボンのしっぽ穴から飛び出たネズミの細いしっぽがくるんと丸まってることが多い。執事長のボトールさんと区別するためなのか普通のテールコートを着用している。ゴシック感は欠かせないみたいだけど。
「熱っ!」
僕の腕に紅茶がかかったから声を上げた。ティーポットから直接だ。飲み頃の紅茶は60C°程度と教わったけどちゃんと熱い。下手するときっちり火傷する。冷ますつもりで熱い腕をブンブンと振るう。熱く張り付いた袖を皮膚につかないようにつまむ。
「減点です。この程度で情けない。ジュリアン様、これくらいのことで動じてはなりません。貴族たるもの悠然とした立ち居振る舞いが要求されます。いついかなる時も冷静を保ち微笑みさえ浮かべて見せる度量が必要なのです」
そんなことを言いながら冷酷無比な表情を浮かべるルテさんが椅子に座ったままの僕のシャツを脱がす。
「良いですか。王族が開催する高貴なお茶会ではそこに用いられる茶器もそれはまた高貴な物。値をつけるのも憚られるような物もございます。もしも何かの拍子でティーカップなどを割ってしまうようなことでもあれば……お分かりですね?」
「は、はい」
冷酷な視線が怖いです。その後もくどくどと長ったらしいお説教が終わらない。僕、裸なんですけど。なんでそんなに僕を凝視し続けるんですか?
ルテさんは僕の事を大層気に入らないみたいで毎回毎回それはもう耳にも体にも痛い思いをすることになる。レクスといる時なんて目で殺す! なんて思うくらいに睨まれる。
「それだけではありません。そのような情けない姿を見せることは貴族社会において侮られることにもなりかねません。例えどんな事があろうとも鉄の忍耐力を身につけるのです」
鉄ってほどじゃないけど忍耐力なら自信がある方なんですけど。もうずっと村の中で孤立していて耐え抜いてきたし。さすがに熱い紅茶には我慢はできなかったけどさ。
こんな感じでルテさんのマナー講義のたびに僕の心と体はいじめ抜かれていく。
他にもいろいろ。
洗濯場に行けば雇われの村人メイドたちが僕の王子様系ロリータ服を破けんばかりに引っ張り合いをしてることもあった。わざと服を破ってボロを着させるいじめと思われるけど僕が見つけたことで未遂に終わった。
やっぱり村人メイドだけど、廊下の曲がり角で不意にぶつかったら、僕を見るなり悲鳴を上げて逃げていかれたこともある。
再確認するまでもなく、まあ良くもここまで忌み嫌われたものだ。やっぱり黒い魔力紋に黒い髪に瞳が怖いんだろう。
「いっそのこと、黒い髪と瞳を魔法で金色とかにできないかな?」
「この国で一人しかいないかもしれない黒髪です! もったいない! できればもっと伸ばしてみてはいかがでしょう!」
なんて散髪担当の執事さんに言ってみたら青い顔で反対された。そうは言うけどこの国って黒は忌み嫌われる色だよね? なんでレクスとレクスの直属の人たちは黒が嫌じゃないの?
分からない。




