34もふ オリーブオイルの香り
「マジか……」
僕のために用意された寝室。キングサイズのベッドの上で寝そべりながら小さめの書物を解読していた。解読だけならどこでもできる。傷ついた体を癒やすためにヒマを持てあましていた僕はずっと読みふけっていた。みんな忙しいしね。
書物はストリートマーケットの怪しい古物商の老婆から購入したものだ。魔導書というよりは古文書だった。とんでもなく古いものでインクを使わずに魔力のみで文字が記されていた。
こんな書物はこれまでに見たことがない。暗喩と比喩と偽装のオンパレード。いわゆる禁書という奴かもしれない。普通に読むとただの日誌のように見える。だから誰もその価値が分からなくて流れ流れてあんなところにあったんだろう。
「この腕の紋様が魔王の証だなんて……」
レーヴに拉致された時、両腕の魔力紋にそんなことを言われていてずっと気になっていた。この書物によると古代に存在したという魔王にも同じ紋様があったのだとか。その魔王は黒い髪と黒い瞳も持っていた。この三つを兼ね備えた者が憎悪に支配された時、魔王が発生したと記されている。だから黒は忌み嫌われるんだ。
だけどそんな伝承はたぶん誰も知らない。少なくともベスティアや隣国にはいないはず。それでも人々の深い部分で忌まわしい記憶が刻まれているんだろう。
黒ってだけの理由だとしたらいじめられすぎじゃない? なんて思ってたけどちゃんと根拠があったらしい。この古文書によると古代の魔王のせいで世界が滅びかけているから。そして滅びなかったのには理由があった。
「女神様が多比良樹里を僕の体に転生させたのはもしかしたら魔王にさせないため?」
僕に前世があることを誰にも言ったことはない。そもそもそんなに前の人生を覚えてないからね。いまだに男だったか女だったかも分からない。王子様系ロリータとか変なことは思い出すけど。
そして根本的なことだけどジュリアン・タイラーの意識は僕なのか。それとも前世の知識があるだけなのか。
「考えすぎかな? いや……僕に前世の知識がなかったら……もしもレクスに出会っていなかったら……」
文字の読み書きの習得の速さがなければ偏屈男のところに行っていなかった。本が好きという拠り所がなければもっと簡単に憎しみに囚われていたかもしれない。
そして最初にバロンと出会った時、しっかり挨拶ができたこと、そして僕をいじめた家族への対応を見て気に入られていた。
もしも憎しみに囚われた僕が反対のことをしていたら……レクスに見合う人物と認められずに合わせてくれなかったかもしれない。
そんなことを思うと涙がにじむ。
「ジュリ! ごはん持ってきたぞ! 朝食は精がつくラム肉のフリカッセだ! オリーブオイルをたっぷりつけてパンを食べような!」
「アミック。いつもありがとう」
扉を開けて朝食を載せたティートロリーを押してくるアミック。料理が一皿。スライスされたパンが三枚。オリーブオイルがたっぷり入った小瓶。グラスと水差しがあった。
「今日も朝から本を読んでるのか?」
「うん。夜は早くに寝てるからね」
ベッドに横座りするアミックが古文書を覗いてきた。読めないくせに。そして少し涙のにじむ僕を見て頭をなでてくれた。
「大丈夫か? だいぶ元気になって俺は嬉しいよ」
「心配させてごめん」
「ほんとだよ。心配だから今日も俺が口に運んでやる」
「もうほぼ完治してるし自分で食べれるって」
「俺のアーンは嫌か?」
めっちゃ哀しそうな顔してる。ボトールさんの治癒魔法で応急処置されただけの僕は瀕死だったらしい。王妹殿下の宮殿に保護されていたアミックは半狂乱だったとか。そんなアミックの哀しい顔を見てると胸が痛い。
「アーン」
「最初から素直にそうしてればいいんだよ!」
すっごいニコニコしてフォークに刺したラム肉を僕の口に放り込んだ。たっぷりフーフーしてから。さすが猫舌の山猫獣人。念入り。
「ん。おいしい。さすがアミック。料理長も無事で良かったよな」
「そうだな! 俺、久しぶりに会えて嬉しかったよ! 元々この宮殿の料理人の一人だったんだってさ!」
アミックの料理の腕は料理長譲りだ。バロンやボトールさんたちと同じく宮殿に匿われていた。
「うん。バロンも王妹殿下に忠誠を誓ってた騎士候補だったんだって。ボトールさんなんか王妹殿下に恋をしていた遠縁の王族だってさ。先代王陛下に気に入られてレクスの執事になったらしいよ」
「王妹殿下の子どもなんだし、レクスお嬢様にあれだけの忠誠心があったのも納得だよな。っと、お嬢様じゃないか」
アミックもレクスの真実を知らされている。
「王妹殿下にもう会ったの?」
「ああ。すっごい美人だった。まあ俺にとっては全然だけど」
僕を見つめながら、最後の一口になったパンの切れ端にオリーブオイルをたっぷりつけて口に運んでくる。アミックの気持ちはもう分かってる。
「そうなんだ? 僕も会ってみたいな」
レクスのお母さんがどんな人なのか。バロンやボトールさんたちを側近として屋敷に隠したくらいだから間違いなく深い愛情はあるんだろう。レクスが攫われた後、窮地を救ったのも王妹殿下なんだし。
「あ。口についてる」
「ん? どこ?」
「とってやるよ」
アミックの両手が僕の顔を押さえた。そして、近づいてくる可愛くて凛々しい猫顔。息がかかる近さで僕の口元についたオリーブオイルが舐めとられた。悩ましいアミックの瞳が僕の瞳に映ってると思う。
そしてそのまま……口付けをされた。
「ジュリ。愛してる」
初めてはっきり言葉にされた告白。
正直、その想いが嬉しくて胸が熱かった。
「アミック……でも僕は」
「知ってる。分かってる。ジュリがずっとあいつを想ってることは」
アミックは行方知れずになったレクスを想う僕のことをずっと見守ってくれていた。十二年もずっとだ。
「うん」
「だけど! 俺だってずっとジュリのことを想ってるんだ! ジュリが死にそうになった時、大事なジュリが永遠に失われるかと思った! 怖かった! 俺の気持ちはどこにも行かない! ずっとジュリのことを想ってる!」
アミックの瞳から涙がこぼれた。アミックはその想いを抱え込みながらずっと僕のことを見守ってくれていたんだ。一番近くで。
「アミック。でもね? 僕はもしかしたら誰からも愛されてはいけない存在かも知れないんだ。僕の腕のことは知ってるだろ? 僕は……呪われてる黒忌み子。そして魔王という存在になって人を苦しめるようになるかもしれないんだ」
魔王の事をアミックに言っても分からないかもしれない。だけど。今は大丈夫でもこの先どうなるか分からない。そんな僕が生きていてもいいのかさえ分からない。アミックだけじゃない。みんなに酷い事をするような存在になりたくない。
「ジュリはジュリだ! どんなことになっても俺はジュリを愛してる!」
目を細めるアミックの瞳は純粋そのものだった。本当に僕の事を信じて想ってくれている。今さらだけど、僕はこんなにも想われているんだと実感する。
そして、その気持ちが痛いほどよく分かる。僕もずっとそんな想いでいたから。
「アミック……僕はどうしたらいい?」
応えてあげたい。アミックの想いに。僕だってアミックのことを大事に想ってる。いじめっ子で幼馴染で友達で家族で。ううん。もうそれ以上の存在になっていた。
僕はずるいんだ。レクスへの想いがありながら、アミックを想っていた。そして僕は僕自身の想いもアミックの想いも、気づかないふりをしていたんだ。
「一度でいい……俺を愛して。愛してるんだジュリ」
「……分かった。僕もアミックを愛してる」
「嘘でも嬉しい」
「嘘じゃないよ」
僕からアミックに口付けをした。本当の想いが絡み合う。
「でも、どうしたらいい。どうして欲しい。僕は操を立てていたから初めてなんだ」
はい。僕はこの歳になるまでまったく経験がありません。まして……男同士だし。レクスのために清い体のままだった。俺様国王とアミックに色々された気がするけど……清いよね?
「俺だって初めてだ……俺はネコだから。ジュリにして欲しい。こっちの初めてはあの王様に譲るからこっちの初めては俺にちょうだい」
「こっちってどっちかな?」
アミックの手が疑問に思うところに優しく触れてきた。恥ずかしそうなアミックの切ない瞳が甘く感じる。ねだるような猫撫で声が僕の耳に溶けるみたいだった。
「抱いて」
潤んだ瞳が可愛い。山猫耳がぺたんと垂れてしっぽが誘惑するようにゆらゆらと揺れている。ネコの意味は僕にも分かる。アミックの頬に唇をつける。肩を優しく抱いてゆっくりとベッドに押し倒した。アミックのはにかんだ笑顔が僕の心に焼きついた。
ぴっちりとしたショートパンツにカタチ作られた想いがくっきりと目に映る。アミックの甘えた声に導かれながら求めに応じた。素直な想いを口にする。大事に。大事に。僕をずっと想い続けてくれていたアミックの想いに応えた。
ティートロリーに置いてあった小瓶にアミックの手が伸びた。黄金に輝くとろりとした液体がその手を濡らす。オリーブオイルの香りが鼻をくすぐる。熟したまろやかな甘い香り。
僕とアミックの想いは……
一度限りの想いは果てるまで溶けていった。
「ジュリ。いっぱい汗かいてのど渇いたろ。ほら」
「ありがと」
ベッドの上でアミックに手渡されたグラスで水を一気に飲み干した。のどに絡みついたような想いが心の底に沈んでいく。一度だけの想いが。
「ごめんなジュリ。ジュリに辛い選択をさせて」
なんで謝るの? 謝るなら僕の方だよ。辛いのはアミックだ。そんなことを思った。
「ジュリ。愛してるよ」
アミックから優しく口付けされた。
そして意識がなくなった。
「……あれ? もう昼? 古文書読み終わって二度寝しちゃった?」
魔王について記された古文書を手に持ったまま寝てたみたいだった。寝起きで頭がぽけぽけする。
「ていうか……僕……アミックと……あれ? 夢?」
あまりに艶かしかった夢に恥ずかしさで頭がさらにぽけぽけする。
「ジュリ! やっと起きたのか!」
開かれた扉からティートロリーを押して入ってくるアミック。
「朝ごはん持ってきたのに全然起きないんだもんな! もう昼ごはんだぞ! 寝ぼすけ治せ!」
「アミック……あのさ」
「なんだ?」
アミックの猫顔が爽やかに輝いていた。僕の瞳に映るその笑顔がとても魅力的だった。
「や。なんでもない。今日もありがとう」
「へへ。どういたしまして」
アミックの僕を見つめる瞳がなんだか潤んでるようだった。
やっぱり夢だったんだよな。一度限りの想いは夢の中か……夢の中のアミックはとても幸せそうで。僕の腕の中で丸まるようにして安らいでいた。アミックへの答えはどうするべきか……僕はもう知ってるのかもしれない。
そして、アミックの首筋に残る想いの跡に、僕は気づくことはなかったんだ。




