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不器用な怪異たちシリーズ  作者: 瀬戸 陽子


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【本編】Ep.21 九尾の狐 エピソード0「触れてはならぬもの」

触れてはならぬものとして生きてきた九尾。

時代が変わり、力が薄れ、距離が揺らぐ。


無邪気なひとつの手がその境界を越え、

千年の孤独をそっとほどいていく物語。


1. 畏れの中にいた頃


まだ、人と神と妖の境が曖昧だった時代。


山の奥、朱の鳥居が連なる稲荷社。

その奥に、九尾の狐はいた。


姿を現すことは稀だった。

現れれば、村に噂が広がる。


――九尾を見た者は、運命が狂う。

――尾に触れれば、一族が傾く。

――近づきすぎれば、心を失う。


それは誇張でも、嘘でもなかった。


九尾の妖力は強すぎた。

人の願い、恐れ、欲。

触れただけで、それらを揺らしてしまう。


だから、九尾は距離を保った。

畏れられる立場を、受け入れた。


「触れるな」


その一言で、すべてが保たれるなら、

孤独も役目のうちだと思っていた。



2. 供物と沈黙


油揚げが供えられる。

酒が注がれる。

願いが囁かれる。


人は九尾を見上げ、決して手を伸ばさなかった。


それでよかった。


触れられないことは、守ることと同義だった。


九尾はそれを、誇りだと思っていた。


「我は、そういう存在だ」



3. 変わりゆく時代


ある日を境に、供物が減った。

次に、人が減った。


道は舗装され、

山は削られ、

社は「移設」という言葉で消えた。


残ったのは、古い鳥居と、

意味を知らない参拝者。


スマホで写真を撮り、

軽く頭を下げ、

去っていく。


畏れは、もうない。


九尾は、姿を現さなくなった。



4. 触れられない理由


それでも、九尾はそこにいた。


消えるほど弱ってはいない。

神として残るほど信仰もない。


ただ、

「まだ終わっていない」

と、自分に言い聞かせて。


ある日、観光客の子供が無邪気に手を伸ばした。


九尾は、反射的に退いた。


「触れるな!」


思ったよりも、強く響いた。

子供は驚き、泣き、親の方へ逃げていった。


胸の奥に、

ちくりとしたものが残った。


――守ったはずなのに。



5. 現代


花粉が舞う春。


九尾の妖力は乱れ、

姿が不安定になる。


人の姿。

狐の姿。

その境目。


気づけば、

小さな狐の姿で、室内にいた。


誰かの腕が伸びる。


一瞬、思考が止まる。


触れられた。


――何も、起きない。


運命も、

狂気も、

不幸も。


ただ、

あたたかい。



6. 初めての距離


もふ、と指が沈む。

逃げ場のない柔らかさが、背に広がる。


九尾は固まる。


拒むべきだ。

叱るべきだ。

神威を示すべきだ。


でも、

誰も壊れていない。


誰も不幸になっていない。


「……ち、ちがう……!

 我は……千年の……!」


言葉は強いのに、

声が少しだけ揺れる。


しっぽが、勝手に動く。


かつて、

触れてはならなかった存在。


今、

触れられても、

何も壊れない存在。


その事実が、

誇りを傷つけるのか、

救っているのか、

九尾自身にも、まだ分からない。


ただひとつ確かなのは、


「……もう少しだけなら……」


そう思ってしまったこと。



7. 何も起きなかった朝


朝。


畳の上。

小さな毛玉が丸くなっている。


昨夜、座敷童子に触れられた。

抱き上げられた。

尾を、撫でられた。


――なのに。


世界は壊れていない。


誰も倒れていない。

運命も狂っていない。

――何も、起きていない。


九尾は、ゆっくりと目を開ける。


「……おかしい」


理屈では、分かっている。


供物は減り、祈りは軽くなった。

人の想いが、昔ほど“重くない”こと。


花粉一つで姿が乱れる今の自分は、

かつての“触れれば崩す存在”ではない。


頭では、分かっている。


「今の我は……」


そこまで考えて、

九尾は言葉を止めた。


続きを、言いたくなかった。


視線の先の座敷童子は、部屋の隅でのんびりと寛いでいる。

いつもの光景。

いつもの距離。


九尾は、じっと見つめる。


あの手。

昨夜、触れてきた手。


もう一度、触れても――

問題は、起きないはずだ。


理屈では。


九尾は、一歩だけ近づく。

すぐに、立ち止まる。


「……」


尾が、揺れる。

無意識に。



8. 昔の夢


九尾は、昨夜夢を見た。


鳥居の奥。

供物。

伏し目がちの人々。


誰も、手を伸ばさない。

それが正しかった。


「触れるな」


その言葉で、

守れたものが、確かにあった。


目が覚める。


畳の感触。

人の気配。


もう、誰も壊れない世界。


そして、今朝。


座敷童子が、何気なく言う。


「……また、なでなでしていい?」


九尾の動きが止まる。


「……なぜ、疑問形なのだ」


「嫌なら、やめる」


間。


長い沈黙。


九尾は、視線を逸らしたまま、

小さく答える。


「……一瞬だけだ」


指が、そっと背に触れる。


もふ。


一瞬、身構える。

妖力を、無意識に締める。


――何も、起きない。


痛みも。

歪みも。

ざわめきも。


ただ、あたたかい。


「……」


九尾は、声を出せない。



9. 分かってしまった理由


九尾は、ようやく気づく。


自分が“安全”になった理由。


それは、

人が強くなったからでも、

世界が鈍くなったからでもない。


自分が、誰かを守るために距離を取らなくてよくなったからだ。


触れても、誰も壊れない。


それは、力を失ったということだ。

――もう、畏れられない。



10. 受け入れられないまま


「……勘違いするな」


九尾は、ぷいと顔を背ける。


「我は……

許可しただけだ」


座敷童子は、何も言わない。

ただ、手を離す。


九尾の尾が、ほんの一瞬だけ名残惜しそうに揺れた。


九尾は知っている。


もう、

触れても大丈夫だ。


でもそれを、

「良いことだ」と思ってしまったら――


千年分の覚悟が、

全部、ほどけてしまう気がした。


だから今日も、九尾は胸を張る。


「……次は、なしだ」


そう言いつつ、しっぽは、無意識に揺れていた。



次話:怪異相談室⑦ 子どもが泣くと悲しい

2026/5/06 20:00に更新します

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