【本編】Ep.16 座敷童子:エピソード0 - おばあさんとの記憶 -
大切な家と、大切な人を失った座敷童子。
空っぽになった心が、なぎとの出会いでそっと満たされていく“はじまり”の物語です。
1. 幸せな家
朝の光が、障子の隙間から細く差し込んでいた。
古い木造の家。
軋む床。
風の通る縁側。
畳の匂いと、湯気の立つ味噌汁の香りが、ゆっくりと家の中に広がっていく。
大黒柱に刻まれた、不規則な高さの小さな傷跡。
指先の気配でなぞると、そこに昔の笑い声が残っている気がした。
そのすべてが、座敷童子にとっての“日常”だった。
座敷童子は、今日も家の中をそっと歩く。
足音はしない。
影も落ちない。
けれど、確かにそこにいる。
おばあさんが台所で鍋をかき混ぜる音。
新聞をめくる音。
湯呑みを置く小さな音。
そのひとつひとつが、座敷童子には愛おしかった。
座敷童子:
「今日も、いい音」
姿を見せることはない。
声をかけることもない。
ただ、家の気配と一緒に呼吸しているだけ。
おばあさんの影が玄関へ向かって伸びていく。
座敷童子はその後ろ姿を、光の揺れの中で静かに見送った。
おばあさん:
「行ってくるよ」
座敷童子:
「いってらっしゃい」
返事は届かない。
でも、それでいい。
夕方、帰ってきたおばあさんが買い物袋を置く。
その中に、小さな瓶に入った金平糖がひとつだけ入っている。
おばあさん:
「……なんとなく、買っちゃったよ」
座敷童子は嬉しくて、金平糖の瓶をそっと揺らす風を起こす。
カラリ、と星の粒が鳴った。
おばあさん:
「……誰か、いるのかい?」
座敷童子:
「うん。ありがとう」
おばあさんの頬を優しくなでるように暖かな風が届く。
「おやおや…」と笑みを浮かべる。
誰にも見えないけれど、ちゃんと伝わった気がした。
そんな、静かで優しい日々が続いていた。
家は古くても、
少し寒くても、
雨漏りがしても、
座敷童子にとっては“世界でいちばん落ち着く場所”だった。
ここが、自分の家。
ここが、自分の居場所。
ずっと、このままだと思っていた。
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2. 消えゆく時間
木々が紅く染まっていく中で
朝の空気が少し冷たくなっていく。
家の中の音が、少しずつ減っていった。
朝の鍋の音がしない日が増え、
新聞をめくる音も、湯呑みを置く音も、
いつの間にか聞こえなくなっていた。
座敷童子:
「……今日は、静かだな」
その静けさが、いつもの“落ち着く静けさ”ではなく、
視界の端で、何かがざわついた気がした。
まるで、家が息を潜めているように。
おばあさんは、布団に横になっていることが多くなった。
息遣いはゆっくりで、時々、苦しそうに咳をする。
おばあさんの咳がひとつ響くたび、座敷童子の胸の奥で、見えない糸がきゅっと縮むようだった。
座敷童子は静かに枕元に座り、ただそこにいる。
おばあさん:
「……誰か、いるのかい?」
座敷童子:
「いるよ。ずっと、いるよ」
優しい風が頬を撫でる。
返事は届かない。
ただそばにいるだけで、何もできないのがもどかしい。
ある日、家の外から人の声がした。
「おばあさん、病院に運びますね」
「鍵、閉めておきますから」
玄関が閉まる音。
そのあと、家は深い静けさに包まれた。
座敷童子は、家の真ん中に座っていた。
畳の匂いは変わらない。
柱の傷もそのまま。
でも、生活の音だけが消えていた。
畳の上に残る家具の跡だけが、時間の流れを物語っていた。
座敷童子は、壁に手を触れた。
かつて温もりを感じた場所が、今は冷たく、硬く感じられる。
光が窓から差し込むと、その冷たさがより一層際立った。
数日後、家に人が入ってきた。
「荷物、全部運び出してしまってください」
「この家、取り壊しになりますので」
手際よく食器や本、様々な家具が梱包され運ばれていく。
金平糖の瓶も、誰かの手に持たれて外へ運ばれた。
思わず追いかけて、途中で立ち止まる。
最後にカラリ、と鳴った音だけが、何もなくなった部屋に響いた。
座敷童子:
「…………」
泣きもしない。
叫びもしない。
ただ、静かに見送る。
家の気配が薄れていく。
最後に、鍵が閉まる音がした。
家はもう何もなかった。
けれど、座敷童子はその中心で立っていた。
空っぽになった空間に、かつての音や匂いを思い浮かべながら、静かに息をする。
座敷童子:
「……帰ってくるよね」
答えはない。
けれど、まだここが居場所だと思っていた。
座敷童子の周囲だけ、ほんの少しだけ温度が下がった。
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3. 戻らない日々
家の中に、もう生活の音はなかった。
畳に残る家具の跡が、生活の輪郭となり、音の抜け殻だけが残っていた。
座敷童子が触れようとした大黒柱も、既に温もりを失っていた。
壁の色の薄い部分が、光の中でぼんやり浮かんで見えた。
日焼けの跡だ。
差し込む光は明るいのに、座敷童子の視界にはどこか冷たく映った。
座敷童子:
「……広いな」
広くなったのではない。
空っぽになっただけ。
外から、人の声がした。
「じゃあ、壁の解体、お願いします」
「今日中にここまで壊してしまいましょう」
ガタン、と大きな音。
壁が外され、柱が揺れる。
木の匂いが空気に混ざる。
座敷童子は、そのすべてを静かに見ていた。
壁が倒れるたび、座敷童子の胸の奥で、何かがぽろりと剥がれ落ちていくようだった。
天井が外されると、空が急に広く見えた。
その広さが、ひどく心細かった。
おばあさんとの日々が、解体されていく。
座敷童子:
「……ありがとう」
家は、最後まで座敷童子を受け止めてくれた。
だから、最後まで見届けたかった。
やがて、家の影がなくなった。
座敷童子:
「……終わっちゃった」
涙は出ない。
悲しみも、怒りもない。
ただ、静かに受け止めるだけ。
畳の一部が風に舞って座敷童子の足元に落ちる。
まるで長年寄り添った友人への最後の挨拶のように。
座敷童子:
「次、どこに行こうかな…」
風がひとつ吹き抜けた。
座敷童子は風をひとつ受け、ゆっくり歩き出した。
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4. 居場所を求めて
夕暮れの街を歩いている。
誰も気にもしない。
近くで金平糖の瓶の音が聞こえたような気がして、無意識に立ち止まった。
突然、犬の吠える声が響いた。
座敷童子のすぐそばで、
一匹の犬が毛を逆立てて吠えている。
明らかに”こちら”を見ている。
座敷童子:
「……こわい」
犬の牙が、見えない自分に向けられているのがわかった。
吠える声が、胸の奥を震わせる。
おばあさんの家には、こんな音はなかった。
今まで感じたことのない不安が胸を締め付ける。
そのときだった。
なぎ:
「どうしたの、そんなに吠えて」
柔らかい声がした。
犬の前に、ひとりの人が立った。
霞処なぎだった。
なぎはゆっくりとしゃがみ、犬に目線を合わせる。
なぎ:
「ほら、大丈夫だよ。
怖くないから、落ち着いて」
なぎの声は、夕暮れの風がそっと頬を撫でるように柔らかかった。
その声が響いた瞬間、座敷童子の中の恐怖が、すっと溶けていくのを感じた。
犬はしばらく唸っていたが、やがて尻尾を下げ、静かになった。
なぎ:
「そうそう。もう大丈夫だよ」
犬は鼻を鳴らし、ゆっくりと去っていった。
時おり不思議そうに振り返っている。
座敷童子は、なぎの横顔をじっと見つめた。
座敷童子は、心の中の緊張がほどけていくのを感じた。
それは、まるでおばあさんの優しさに包まれたような気持ちだった。
「…やさしい」
ただ一言、そう思った。
それだけで、胸の奥に温かいものが広がった。
犬が去ったあと、なぎと一瞬だけ目があった気がする。
なぎ:
「まぁ、いいか」
何事もなかったように歩き出した。
座敷童子は、その背中をそっと追いかける。
足音はない。
影も落ちない。
ただ、夕暮れの光の中を静かに滑るように。
なぎは古いアパートの前で立ち止まった。
鍵を取り出し、玄関の扉を開ける。
その瞬間、座敷童子は風に紛れるようにスッと中へ入った。
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5. 新たな日々の始まり
玄関の匂いは、どこか懐かしかった。
木の香りと、少しだけ残る煮物の匂い。
座敷童子:
「……ここも、いい匂い」
なぎは靴を脱ぎ、部屋の明かりをつける。
座敷童子はそっと距離をとりながら、なぎの動きを追った。
なぎはスマホで音楽をかけ、手際よく野菜を切り、炒めていく。
その一つ一つの動作が、家に溶け込むように自然で、座敷童子は思わず微笑んだ。
座敷童子:
「……音も、匂いも、いいな」
家具の配置も、畳の温かさも、どこか落ち着く。
なぎは洗い物が終わり、一息つくとラムネの袋を取り出して数粒口にする。
座敷童子は少しだけ近づき、袋の端をそっと触れる。
中のひと粒が転がる音は、なぎには届かない。
座敷童子:
「……美味しそう」
何も言わず、何も見せず、ただここにいる。
それだけで、家の空気が少しだけ柔らかくなる気がした。
座敷童子は、なぎの暮らすこの家の空気が、自分の中の“空っぽだった場所”を、少しずつ満たしていくのを感じていた。
ここでなら、また音が生まれるかもしれない。
座敷童子:
「ここ、すきかも」
そんな予感が、胸の奥で静かに灯った。
…数日後
座敷童子は、なぎの家の空気に少しずつ慣れていった。
けれど、ふとした瞬間に、昔の家が恋しくなることもあった。
おばあさんの声、あの温かい鍋の音、金平糖の瓶がカラリと鳴る音。
それでも、ここにいることが心地よく感じる。
「ここ、いい場所」
それが、座敷童子にとって新しい一歩だった。
小さな灯りだったけれど、確かに温かかった。
次話:【本編】Ep.17 星の音
2026/4/22 20:00に更新します




