第二章 卑弥呼さん、おいくらですか
第二章 卑弥呼さん、おいくらですか
「……売れるかな」
航平が言うと、女の両手が袖から出てきた。
「お待ちください」
「何?」
「そちらは、私のものですので」
航平は勾玉を見た。
「落とし物ってこと?」
「落としたつもりは、ございませんが……」
「いつから持ってるん?」
卑弥呼は考え込んだ。
航平は待った。
廊下の向こうで、母が双子に歯を磨くよう声をかけている。
「かなり、前からです」
「やろな」
本当にあの卑弥呼なら、かなりどころではない。
航平はスマートフォンで、勾玉と骨董という言葉を検索した。
新品のアクセサリーが並び、ずっと下のほうに古い品を扱う店が出てきた。家から自転車で行ける距離だった。
「明日、休みやしな……」
「どちらへ?」
「値段聞いてくる」
卑弥呼は机の上の勾玉と、航平の指が動く画面を見比べた。
「それは、売るということでしょうか」
「値段による」
「あの」
航平が顔を上げると、卑弥呼は口を閉じた。
「何?」
「……いえ」
航平はスマートフォンを置いた。
「俺、明日も朝からやることあるし、もう寝るで」
勾玉を机の端へ置き、立ち上がった。
卑弥呼も慌てて一歩下がる。
「そちらは、どうなさるのでしょう」
「寝る言うてるやん」
「私です」
航平は女を見た。
眠るのだろうか。この人は。
布団がいるのかどうかも分からない。
「眠い?」
「いえ……今は」
「ほな、静かにしといて。俺は眠い」
卑弥呼は小さくうなずいた。
航平は双子の寝ている部屋へ行った。
後ろを振り返ると、卑弥呼は机のそばに立ったまま、こちらを見送っていた。
*
翌朝、机の横にはまだ卑弥呼がいた。
航平を見ると、少しほっとしたような顔をした。
「おはようございます」
「おはよう。ほんまにおったんやな」
「はい」
夢ではなかったらしい。
航平は財布を開いた。
硬貨が数枚と、千円札が一枚。
台所では母が冷蔵庫をのぞいていた。
「牛乳、もう終わりやな。帰りに買うてくるわ」
「俺、出るし見てくる」
「重いで」
「一本くらい持てるわ」
母は笑って、買い物用のお金をテーブルに置いた。
航平はそれを財布の別の仕切りに入れた。勾玉が売れれば、このお金は使わずに返せる。
朝食を済ませ、双子が父と近所の公園へ出かけるのを見送った。
母が仕事へ行くと、航平は机へ戻った。
勾玉を手に取る。
卑弥呼が、ぴくりと動いた。
「……本当に、お持ちになるのですか」
「うん」
財布と勾玉を鞄に入れた。
卑弥呼が鞄を見つめる。
「ほな、行ってくるわ」
「あの、私は――」
航平が部屋を出ると、後ろで小さな声が上がった。
振り返ったときには、卑弥呼も廊下にいた。
本人は机のほうを見て、次に自分の足元を見た。
「ついてくるん?」
「いえ、そのつもりでは……」
航平は鞄を少し持ち上げた。
卑弥呼の目が、鞄へ向いた。
「これについてるんか」
卑弥呼は困った顔のまま、返事をしなかった。
*
自転車で走る間、航平は一度だけ横を見た。
卑弥呼がいた。
どうやってついてきているのかは、見てもよく分からなかった。
袖を胸の前で押さえ、道沿いの家やすれ違う車を見ては目を丸くしている。
「前見て走るから、ちょっと黙っといてな」
「何も申しておりません……」
それはそうだった。
骨董店は、細い通りにあった。
窓の内側に皿や壺が並び、入口の脇には値札のついた木彫りの熊が置かれていた。
航平は自転車を止めた。
鞄から勾玉を出すと、卑弥呼がすぐそばに寄ってきた。
「航平さん」
「何?」
「売らんとってください」
昨夜より、はっきりした声だった。
「まだ値段聞いてへんやん」
「私、ここにおることになりますやろ?」
航平は手のひらの勾玉を見た。
さっき家を出たときの様子を思えば、たぶんそうなる。
「知らない方のおうちへ行くのは……」
「俺のことも知らんかったやん」
「せやけど、もうお名前も知っておりますし」
「数時間やで」
航平は店の入口へ向かった。
卑弥呼が袖を揺らした。
「売らんとって〜。私、売らんとって〜」
「声でかい」
「役に立ちますから〜」
航平は足を止めた。
「何できるん?」
「……占いを」
「飯は?」
「え?」
「飯、増やせる?」
卑弥呼は口を開き、また閉じた。
航平は店の戸に手をかけた。
「俺かてあんたに会うて数時間や。悪いな。蘇り卑弥呼より、今生きてる家族の食費や」
*
店の中には、外から見えたより多くのものがあった。
棚には箱が積まれ、壁には掛け軸が並んでいる。
奥の机に座っていた年配の男が、航平を見た。
「何や?」
「これ、買い取ってもらえる?」
航平は勾玉を差し出した。
男は受け取り、手元の明かりの下へ持っていった。
卑弥呼が男の顔を見て、すぐに視線を下げる。
航平は男の手元を見ていた。
千円でもいい。
いや、古いものなら、もう少しするかもしれない。
男が勾玉を裏返した。
「あー、ここヒビ入ってるね〜」
航平は黙って待った。
男は机の上へ勾玉を置いた。
「はい、百円」
「……百円?」
「百円」
牛乳も買えない。
航平は机に少し身を寄せた。
「いやいや、おっちゃん。この勾玉、卑弥呼さんのやで〜。もうちょい色つけてや」
隣で卑弥呼が顔を上げた。
男も顔を上げた。
こちらは、眉間にしわが寄っていた。
「おい、にーちゃん。わしもそこまで耄碌してへん。何が卑弥呼のもんや!」
「いや、ほんまに――」
「あんまり馬鹿にしてると、痛い目見るぞ」
勾玉が航平の前へ戻された。
航平はそれを拾った。
「……ほな、やめとくわ」
「そうし」
卑弥呼はすでに戸のほうへ向いていた。
航平は勾玉をポケットに入れ、店を出た。
*
戸が閉まると、卑弥呼は大きく息をついた。
「よかった……」
航平は自転車の鍵を出した。
「よないわ」
「せやけど、売らずに済みましたので」
声が少し明るくなっている。
航平が見ると、卑弥呼は口元を緩めていた。
さっきまで、あれほどおろおろしていたのに。
「俺、怒られただけやぞ」
「……お気の毒でした」
「嬉しそうに言うな」
卑弥呼は慌てて口元を引き締めた。
航平は肩を落とし、自転車を押して歩き始めた。
百円にもならなかった勾玉が、ポケットの中にある。
そのそばには、卑弥呼。
食費は増えず、連れて帰る相手だけが増えた。
「牛乳買うて帰るわ」
「はい」
卑弥呼の返事は、今朝よりずっと軽かった。




