第十六章 留守番
第十六章 留守番
「……休んだ分、誰が金出すねん」
航平が言うと、卑弥呼は口を閉じた。
少しして、また開いた。
「せやけど、そんなお顔で……」
「顔は関係ないやろ。行かなあかんねん」
航平は鞄の口を閉めた。
卑弥呼はその手元を見ていた。
「お体を、壊されては……」
「あんたは、占って外れたら体調のせいにできたんやろ。俺はそうはいかへんねん」
卑弥呼の顔が上がった。
航平は時計を見た。
もう出る時間だった。
「……私のこと、何でも知ってはるように言わんとってください」
声は小さかった。
けれど、いつものように語尾が揺れてはいなかった。
航平は卑弥呼を見た。
ポケットへ手を入れ、勾玉を出した。
机の上へ置く。
「今日は、留守番しといて」
卑弥呼が石を見た。
航平は鞄を持って部屋を出た。
玄関で靴を履き、居間へ声をかける。
「行ってくる。父ちゃん、もうすぐ帰るからな」
「行ってらっしゃーい」
双子の声が重なった。
卑弥呼は机の横に立ったまま、閉まる戸の音を聞いた。
*
しばらくして、父が帰ってきた。
小春と陽太が玄関まで迎えに行った。
「兄ちゃんは?」
「バイト」
「おやつ食べた?」
「食べた」
陽太が答え、小春が続けた。
「兄ちゃんが出してくれた」
父は双子のランドセルを見て、宿題は済んだか尋ねた。
二人とも済んでいた。
「今日、兄ちゃん眠そうやった」
小春の声がした。
「そうか」
「学校でも眠いんかなあ」
父は少し黙った。
それから双子へ、夕飯まで遊んでいていいと伝えた。
卑弥呼は机のそばで、そのやり取りを聞いていた。
勾玉を置いた場所から、部屋の入口は見えた。
家の中は静かではなかった。
父が手を洗う音。
冷蔵庫を開ける音。
双子が絵本を選ぶ声。
航平がいなくても、暮らしは続いていた。
*
母が帰ってくると、父は台所から顔を出した。
「おかえり。ご飯、もうちょっとでできる」
「ありがとう」
母は鞄を置き、手を洗った。
双子の声を聞きながら、冷蔵庫へ目を向ける。
文化祭の紙が貼ってあった。
「航平、昨日も遅うまで勉強してたわ」
「文化祭の準備も始まったんやろ」
「うん。買い出しとかする言うてた」
母は紙の下を指で押さえた。
「もう少し、家のこと減らしたらなあかんな」
父が火を弱めた。
「今、来月の勤務、相談してる。早う帰る日を増やせるか、まだ返事待ちやけど」
「私も、夕方の時間変えられる日ないか聞いてみるわ」
二人の声は大きくなかった。
卑弥呼は入口のほうへ顔を向けた。
「毎日早うは帰れへんけど、日にち分けたら、あの子が急いで帰らんでええ日も作れるやろ」
「せやね。夕飯も、休みの日にもう少し作っとこか」
「小春らの帰る時間がなあ……」
父が言い、母もうなずいた。
すぐに全部が片づく話ではなかった。
それでも、二人は予定を出し合い、できる日を確かめていた。
「バイトのことも、一回ちゃんと聞かな」
母が言った。
「家のお金、あの子に何とかしてもらうつもりはないんやけどな」
「うん。助けてもろてる分、そう見えてるかもしれんな」
父は皿を出した。
母も横へ並び、盛りつけを始めた。
卑弥呼は、袖の中で手を重ねた。
*
夕飯のあと、小春と陽太が机のある部屋へ来た。
卑弥呼は少し脇へ寄った。
二人は折り紙と、色鉛筆を持っていた。
机の上の勾玉に、陽太が目を留めた。
「兄ちゃん、宝物忘れてる」
「ここ置いといてええやん」
小春が折り紙を広げた。
「今日は、これ作るねん」
陽太も椅子へ座った。
小春は紙を半分に折った。
開いて、今度は角を合わせる。
合わせたつもりの先が、少しずれていた。
小春は指で押さえ直し、そのまま折り目をつけた。
陽太は紙を何度も裏返していた。
「どっちやっけ」
「こっち。先生、そうしてた」
二人で紙をのぞき込む。
卑弥呼も、机の端から見ていた。
小春が先に折り終えた。
陽太のものは、片側が大きく開いている。
「これでええ?」
「ええよ。できてる」
小春が言った。
陽太は嬉しそうに、それを机へ置いた。
次に、白い紙を一枚ずつ出した。
小春が色鉛筆を持つ。
一文字書いて、少し考えた。
また一文字書く。
陽太も隣で書き始めた。
卑弥呼は、その文字を読んだ。
にいちゃん。
いつも、ありがとう。
「ごはん、ありがとうも書く?」
陽太が尋ねた。
「私は宿題、教えてくれてありがとう」
小春が答える。
「ほな、僕はごはん」
二人は紙いっぱいに、文字と絵を書いた。
航平らしい人の横に、小さい人が二人並んでいる。
陽太は、その三人の前へ大きな皿を描いた。
卑弥呼は黙って見ていた。
母が入口に来た。
「できた?」
「うん」
小春が紙を持ち上げた。
母は目を細めた。
「ええのができたなあ」
「兄ちゃん帰ってきたら渡す」
「今日は遅いから、明日にしよか。二人、もう寝る時間やで」
陽太が時計を見た。
「まだ帰ってこおへん?」
「もう少しかかる」
双子は手紙と折り紙を重ね、机の隅へ置いた。
母が、明日渡すまでなくさないようにと、小さな箱へ入れてくれた。
勾玉は机の真ん中に残った。
*
双子が寝たあと、玄関の戸が開いた。
卑弥呼が顔を上げた。
「ただいま」
航平の声だった。
「おかえり。ご飯、温めるな」
母が答えた。
「自分でするで」
「もう台所おるから。手、洗ってき」
航平の足音が洗面所へ向かった。
卑弥呼は机のそばで待った。
食器の音がした。
父がバイトはどうだったか尋ね、航平が短く答えた。
食事を終えると、航平は風呂へ入った。
そのあと、部屋へ来た。
髪が少し濡れていた。
鞄を置き、机の上の勾玉へ目を向ける。
卑弥呼は両手を重ねた。
「航平さん」
航平がこちらを見た。
「ほんの数日一緒にいたくらいで、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
卑弥呼は頭を下げた。
顔を上げると、航平は鞄から弁当箱を出していた。
返事はなかった。
卑弥呼も、それ以上は話さなかった。
航平は弁当箱を台所へ持っていき、戻ってから、明日の教科書を確かめた。
机の隅の箱には、目を留めなかった。
問題集を鞄へ入れ、明かりを消す。
廊下から届く光の中で、卑弥呼は机の横に立っていた。
航平は双子の寝ている部屋へ行った。
卑弥呼へ声をかけることはなかった。
やがて家の中が静かになった。
机の上には、勾玉が残っていた。




