第十章 一回だけ、金魚すくい
第十章 一回だけ、金魚すくい
「お祭りで、遊んだことがない?」
航平が聞き返すと、卑弥呼はうなずいた。
小春と陽太は、神輿の脇にある大きな提灯を見ていた。
航平は声を落とした。
「神さんのお祭りやろ?」
「はい。毎年、お乗りになるそうです」
卑弥呼は屋根を見上げた。
誰かの話を聞いている顔だった。
「こちらから、通りを回って……はい」
しばらくうなずいてから、航平へ向き直る。
「それで、またこちらへ戻られるそうです」
「ずっと乗ってるだけ?」
「はい」
航平も神輿を見た。
飾りは立派だった。
担いでいた人たちも、祭りへ来た人たちも楽しそうだ。
けれど、乗っている本人は遊んだことがない。
「……主役やのに、ずっと留守番みたいなもんか」
卑弥呼が屋根へ顔を戻した。
何かを聞き、少し目を丸くした。
「金魚すくいを、してみたいそうです」
航平は、先ほどの屋台へ目を向けた。
赤い金魚が泳いでいた水槽。
あの場所は、ここからでも見えるらしかった。
「神輿、離れてええん?」
卑弥呼が尋ねる。
返事を待ってから、航平へ伝えた。
「今は、お休みの時間やそうです。次に動き出すまででしたら」
航平はポケットの財布を押さえた。
小春が振り向いた。
「兄ちゃん、金魚すくい、考えたで」
「どうするん?」
「二人で一回ずつやる」
「順番にな」
陽太もうなずいた。
航平は財布を出した。
「……俺も一回だけ、やろかな」
「兄ちゃんも?」
「うん。一回だけ」
横で卑弥呼の顔が上がった。
すぐに屋根へ向け直す。
そこにいる相手へ何か伝えてから、航平を見た。
「たいそう、お喜びです」
「見えへんけど、ほな行こか」
*
屋台へ戻ると、陽太が先に座った。
店の人からポイを受け取り、水槽をのぞき込む。
「追いかけすぎたら破れるで」
航平が言った。
「これにする」
陽太が狙った金魚は、手を近づける前に反対側へ泳いだ。
追いかける。
ポイを沈める。
「あっ」
持ち上げると、紙の真ん中に穴が開いていた。
小春は慎重だった。
水面へポイを入れ、近くに来た金魚へゆっくり寄せる。
一度、金魚が乗った。
小春が息を止めた。
金魚が跳ねた。
紙が破れた。
「あー……」
双子が同じ顔になった。
店の人が、持ち帰るかどうか尋ねた。
航平は二人を見る。
「飼える?」
「お父さんに聞いてへん」
小春が言った。
「ほな、今日は遊ぶだけにしとこ」
陽太は水槽をもう一度見て、うなずいた。
次は航平だった。
金を払い、ポイと器を受け取る。
小春と陽太が両側へ寄った。
卑弥呼も水槽のそばに立った。
ただ、その目は航平の少し横へ向いていた。
「……神さん、そこにおるん?」
航平が小さく聞くと、卑弥呼はうなずいた。
「お隣で、お待ちです」
航平は誰もいない空間を見た。
小春もそちらを見た。
「何?」
「何でもない。どれ狙うか考えてる」
航平は水槽へ目を戻した。
「選んでもろて」
卑弥呼が横を向いた。
すぐに水槽をのぞく。
「赤い、小さなのを」
赤くて小さいものは、何匹もいた。
「どれ?」
「今、そちらへ……あ、戻られました」
航平はポイを水へ入れた。
「これ?」
「そちらではなく、もう少し奥の……」
「奥、届かへん」
陽太が手を伸ばした。
「兄ちゃん、こっち来た!」
「分かってる。今――」
「今やそうです!」
卑弥呼の声に合わせて、航平が手を動かした。
ポイに金魚が乗った。
すぐに器へ寄せる。
金魚が水の中へ滑り落ちた。
「取れた!」
双子が声を上げた。
卑弥呼も両手を出しかけ、また袖へ戻した。
その横で、誰かが喜んでいるらしかった。
卑弥呼の視線が少し上下していた。
「……跳ねてはります」
「金魚?」
「神様が」
航平は器を見た。
小さな赤い金魚が、ゆっくり回っていた。
「ほな、もう一匹」
水槽へポイを戻すと、卑弥呼がすぐに言った。
「次は、黒いのを」
「急に難しいな」
黒い金魚は、水槽の真ん中にいた。
航平が待っていると、こちらへ泳いできた。
ポイを寄せる。
金魚が尾を動かした。
紙が、端から裂けた。
「あー」
航平も双子と同じ声を出した。
卑弥呼も、誰もいない隣を見ていた。
「残念でしたね……」
*
すくった金魚は、水槽へ戻してもらった。
陽太は名残惜しそうに見ていたが、屋台を離れると、もう射的の景品へ目を向けていた。
小春が航平の手を引いた。
「兄ちゃん、上手やな」
「一匹だけやで」
「私も乗ったんやけどなあ」
「惜しかったな」
卑弥呼は、まだ誰かの話を聞いていた。
何度かうなずき、柔らかく笑った。
「ご満足いただけた?」
航平が尋ねた。
「はい。初めて、金魚をお選びになったそうです」
航平は水槽を振り返った。
屋台の人が次の客へポイを渡している。
神輿から毎年見ていたなら、あの赤い金魚も、遊んでいる子どもたちも、ずっと眺めるだけだったのかもしれない。
「ほな、よかったな」
航平は財布をしまった。
卑弥呼が、また横を向いた。
返事をしようとして止まり、航平を見る。
「……あの」
「何?」
卑弥呼の視線が、陽太の見ている屋台へ動いた。
並んだ景品と、台の上の銃。
「次は、射的をしたいそうです」
航平は卑弥呼を見た。
卑弥呼も航平を見た。
「……一回だけ言うたやん」




