6話 シチリアの朝
「うん......」
清々しい朝日に照らされて俺は目を覚ました。見慣れない天井にここはどこだろう、と思ってしまったが思考がはっきりして来るとシチリアの魔女の城で眠りについたのだと思い出す。
古いベッドは城のものだけあって豪華な作りで、古いと言ってもよく掃除がされている。シーツ類はよく洗濯されていて、長旅に疲れていた身体をゆっくりと休めることができた。
暫くぼんやりと窓の外を眺めていると、やや控えめなノックの音が響いた。
「司教様、起きてるか?」
アリーチェの声だ。俺は急いで服装を整え、神学校のローブを羽織ると扉の方へ向かう。
「ああ、おはよう。アリーチェ」
急いで扉を開けると昨日のボロボロな“老婆”の格好とは違い、シチリアの民族衣装を着たアリーチェが立っていた。深い青色のドレスに白いエプロンをした彼女。こうして見るととても魔女には見えなかった。
「朝が早いんだな、司教様。感心したぞ。ん、なんだ?...じろじろ見て」
「いや、そういう格好をしていると年相応の女の子に見えるなって思ってね」
「はぁ?そういう格好って、ガムッラのことか?それにしても、なんだそれは。褒めているつもりか?」
じっとりとした目で俺を見上げるアリーチェにどきりとして慌てて話題を変えた。
「えっと...ところで君って俺と同じくらいの歳に見えるけど、いくつなんだい?」
「おい、女性に歳を聞くのはどうかと思うぞ。......私は、その。...じゅ、16歳...」
何故か最後の方が小声なったのが気になったけれど、それより彼女の年齢に驚いた。
「へえ、それじゃあ、アリーチェは俺と同い年なんだね」
アリーチェは驚いたように目を丸くしてから、何故だか俯いた。
「ふん、馬鹿かお前は。魔女がそんなに若い訳がないだろう。私は、そうだな。...200年以上は生きている」
「200年?まさか。誤魔化さなくてもいいのに」
「本当だ!まったく、お前と話していると疲れるな。...ほら、早く行くぞ」
なんだか怒った様子で踵を返すと、廊下をずんずんと進んでいく。
「待ってくれないか、アリーチェ。行くって何処へだい?」
「はぁ?昨日言っただろう、畑だ、畑。まずは朝食だ、さっさとしろ」
アリーチェの後を追って城の居間に移動すると、昨日と同じようにナタリーナに無言で睨まれる。ずいぶんなお出迎えだ。
「リーナ、朝食にするぞ。用意を手伝ってくれ」
「...用意はいいのですが、アリーチェ。本当にこの人間と暮らすつもりですか?」
「ん?ああ、仕方ないだろう。指輪が外れるまでは」
「いっその事、この人間が餓死してしまえば指輪も外れるかもしれませんよ?」
さらっと恐ろしいことを言うナタリーナに、アリーチェは肩を竦めて見せた。
「はあ。そう簡単な話ならいいのだけれどな。この指輪が外れないのは明らかに司教様の魔力が関わっている。生きていてもらわないと私が困るんだ。だから、わかってくれないか、リーナ」
「...それがアリーチェのためになるのなら」
悔しそうな顔で渋々頷いたナタリーナを見てから、やっと俺は2人の会話に口をはさんだ。
「...君たち、本人の前で俺を生かすか殺すかの話をするのはどうかと思うよ?」
「ああ、そうだな。すまない。司教様」
アリーチェは少しバツが悪そうに眉を下げたが、ナタリーナの方は目線を合わそうともせずにふん、と鼻を鳴らしただけだった。
―その後、アリーチェとナタリーナの持ってきた硬めのパンを山羊のミルクに浸して食べる、質素な朝食を3人でとった。
食器を片付けると、アリーチェは紐で留めてあったドレスの袖を外していた。
「へえ、その服変わってるね。袖が取れるなんて」
「これか?今は袖を付け替えておしゃれをするんだ。農作業の時は邪魔になるからこうして外すんだけどな」
「初めて見たよ。シチリア王国の民族衣装もおしゃれなんだね」
「そんな風に褒められるのは別に、悪い気はしないが...。お前の格好は何なんだ?」
「何って神学校の制服だよ。まさか白い法衣で来る訳に行かないだろう?身分がばれないように、ね。まあ、少し前までずっとこの制服を毎日着ていたし、俺にとっては代わり映えしないよ」
俺は改めて自分の格好を見てみる。
ウイングカラーシャツに黒のネクタイ、長めの黒のローブは端に紫色のラインが入っている。ズボンは灰色で革靴を履いていて...何かおかしい所があるだろうか?
「いや、だからな?その格好で畑に行く気なのかと聞いているんだ。汚れてもいいのか?」
「汚れたくはないけど、替えの服が無いからね。...でも、それを言うならナタリーナの格好はどうなんだい?」
ナタリーナを見るとアイボリーのジャケットに黒のリボン、黒のミニスカートに赤と黒のボーダーのニーハイソックスを履いている。
彼女こそ畑仕事に向いていない服装な気がした。
...というか正直、この時代にも合っていない。悪魔だから、で片付けられてしまうのだろうが。
俺の言葉を聞いてアリーチェは額に手を当てた。
「リーナはいいんだ。その...個性だから。わかった、もうどんな格好でもいい。そろそろ出発するぞ」
アリーチェは投げやりな言葉で会話を締めくくると大きなバスケットを持ち、その中に鋏を入れて立ち上がった。
「少し森の中を歩くからな。しっかり着いてこいよ、司教様?」
「アリーチェの手を煩わせるなよ、人間」
「はは...。そうだね。頑張って着いていくよ」
古城から出て、俺たちはまた森の中を延々と歩く。またここに来た時みたいにずっと歩くことになるのだろうか、と思っていた頃、森から出て開けた場所に着いた。
「――わっ...」
「着いたぞ。ここが私のレモン畑だ」
爽やかな風が頬を撫でる。視界いっぱいに広がったレモンの木の段々畑と雄大なエトナ山。レモンの木には黄色く熟した沢山のレモンが実っている。初めて見る美しい風景に俺は思わず言葉を失った。
「ふふ、言葉が出ないほど感動したか?」
「ああ、こんなに綺麗な風景を見るのは初めてだよ。畑って、レモン畑のことだったんだね」
俺が素直な感想を口にすると、腰に手を当てて得意げにしていたアリーチェが拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「えっと、ああ。そうだろう?自慢の畑だからな!さて、これからレモンの収穫を始めるぞ」
そう言ってアリーチェはバスケットを持っていない方の手を差し出してきた。その笑顔はまるでシチリアの太陽のように眩しかった。




