第87話 光明 (Side:カルロ)
赤々と燃えていた暖炉は、いつの間にか勢いがなくなり小さく揺れるだけになっていた。
頭の中を同じ考えが巡る。犠牲。連鎖。大義――親友を助けたいのに、どうしても解決の糸口が見当たらない。
冬の夜気がしみ込んできて、頭の芯まで冷やしていく。ぐっと唇をかみしめたとき、静かな声が響いた。
「――カルロ」
呼ばれて、顔を上げる。
「マダムの言葉を、そのまま信じてはいけない気がするんです」
「……どういう意味だ」
「竜の一族から見れば、今の魔法は児戯なのでしょう。お粗末な、劣った紛い物」
シャロンは、暖炉の残り火に目を落としていた。
「でも、古代魔法が、いつも誰かの生贄の上に成り立っていたのなら。……児戯と嗤われた魔法を組み上げたのは、誰も犠牲にせずに世界をどうにかしようと足掻いた、誰かの願いだったのかもしれません」
虚を突かれる。
古代魔法が、今の魔法ではたどり着けない上位の概念であることは疑いようもない。
だが、なぜ”劣った”魔法がわざわざ生まれたのか――その問いを、シャロンは思いもよらない方向から、立てていた。
「マダムが示したのは、竜の一族から見た二択にすぎません」
シャロンの声に、静かな芯が通っていた。
「私たちが立つべき場所は、きっと、そこじゃない。誰も犠牲にしなくてよい道だって、必ずどこかにあるはずです」
俺は、まじまじとその横顔を見た。
半年前、暗示の中で俺に護られるだけだった少女は、もういない。
シャロンの言葉が、頭の芯の冷えを溶かしていく。
――俺たちが求める解決の糸口は、そこにある気がした。
「だとしたら――」
俺は、北の方角へ視線をやる。一度だけ、一年前に見た、異形へと姿を変えた親友の姿を思い出す。
「犠牲を出さずに、神器を掛ける。その方法さえ、あればいい」
俺は再び、問題点を整理する。
「問題は二つ。一つは、討伐隊さえあっさり退けた竜が、大人しくこちらの言うことを聞くはずがないということ。もう一つは、何とか大人しくさせたところで、あの爬虫類の親玉みたいなデカい頭に、首飾りが掛かるわけがないということ」
ガシガシと頭を掻く。特に後者が厄介だ。
先日の夜会で見た首飾りは、細い金の鎖につながれた宝石で、強度としては心許ない。鎖を伸縮するような素材に変えることが出来たら――いや、もしも神器としての効果が無くなると困る。
何せ、神の力を封じた不思議な首飾りだ。世の中に二つと同じものはない。代替品で検証するわけにはいかないし、じっくりと何十年もかけて研究をしている時間もない。――その間に、恐化で世界が滅んでしまう。
考え込む俺に、ふとシャロンが何かを思いついたように顔を上げた。
「――首飾りでなくても、良いのでしょうか」
「ぁん?」
「竜の力を制御するための器――それは今、”ここ”にもあります」
シャロンは、自分の胸に手を当て、俺をまっすぐに見た。
視線が絡み、シャロンが意図することを一拍遅れて理解した瞬間、背筋を冷たい何かが奔る。
「今の私は、儀式によって人為的に”器”に変えられたと、マダムは言いました。それなら――神器となった今の私がお兄様に触れれば、お兄様は人に戻れるのではないでしょうか」
「っ――!」
それは、初めて見えた光明。
アルヴィンが人型に戻りさえすれば、首飾りを掛けられる。そうすれば、二度と異形に戻らず、人のまま生涯を終えられるはずだ。
誰かを犠牲にする前提でしか道を示せなかったマダムとは異なる、新しい選択肢。
だが――
「危険だ……!」
嬉しそうな顔をしたシャロンを前に、俺は呻くように絞り出す。
一瞬、新しい案に飛びつきかけた自分を殴りたい。
「竜が使うのは古代魔法だ。国が編成した黒騎士の討伐隊が、あっさり無効化されたんだぞ……! 古代魔法の紛い物に過ぎない黒魔法で立ち向かえるもんじゃない……!」
ぎゅっと拳を握り込む。
「アルヴィンの自我がどれだけ残ってるか、わからないんだ。シャロンにだって、攻撃を仕掛けるかもしれない――!」
俺には、言えない。――俺は、竜の一族じゃない。
『世界を救う』大義のために――命の危険がある作戦に協力してくれ、なんて――
「……カルロ」
いつの間にか俯いていた俺の頬に手をかけて、シャロンは優しい声で呼びかける。
顔を上げると、薄青の瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
「貴方はいつも、私を一番に心配してくれるのですね」
「当たり前だっ……! やっと思いが通じた婚約者だぞ――!」
やけくそのように答えながら、悟る。
優しさも湛えたその瞳に――迷いは、一つもない。
いつかの冬の日、暗殺者を前に啖呵を切ったのと、変わらない決意の色が滲んでいた。
「大丈夫です。一人で向かうわけではありません」
「だがっ――」
「――カルロも、一緒に行ってくれるでしょう?」
天使は、俺に全幅の信頼を寄せていると伝えるように微笑む。
「貴方が一緒にいてくれるなら、何も怖くありません。貴方は絶対に、どんな脅威からも私を守ってくれるから」
「っ……」
「私は、『世界を救う』ために行くのではありません。――大好きなお兄様に帰って来てもらうために、行くのです」
少し悪戯っぽい笑みを漏らすシャロンに、ぐうの音も出ない。
大義のために命を投げ出すわけじゃない。誰も犠牲にしない未来のために、命を懸けるのだ――と言われて、これ以上反対する理由が、見当たらなかった。
「……雪が溶けるまで、まだ少しある」
「はい」
「万全の準備をする。魔道具をありったけ作って、竜の魔法への対抗策も最大限考えて」
「えぇ」
「絶対に守ると約束するから――無茶だけはしないって約束してくれ」
懇願するように、シャロンの手を取り、握り込む。
この小さな手の温もりを守る。――静かに、覚悟が決まった。
ふふっと可愛らしく笑ったシャロンは、素直に「はい」と頷いてくれた。




