第86話 大義 (Side:カルロ)
ガードナー家を辞したのは、陽が西に傾き始めた頃だった。
「宗家が決めろ」――そう言い置いて奥へ消えた背中を、馬車に揺られながら思い返す。突き放されたようにも、信頼して託されたようにも、どちらにも取れる言葉だった。
タウンハウスに着く頃には、すっかり日が落ちていた。用意されていた食事は、相変わらず美味だったが、シャロンも俺もあまり喉を通らなかった。
心配する使用人を下がらせ、俺とシャロンは書斎のソファに並んで腰を下ろす。忍び寄る冬の夜気に負けぬように暖炉が赤々と輝いていた。
しばらく、どちらも口を開かず、昼間のことを反芻する。全てが劇的に前に進んだようで、その実、振り出しに戻ったような、なんとも言えない後味の悪さが尾を引いていた。
「……一回、整理するか」
沈黙を破ったのは、俺の方だった。瞳を閉じて、頭の中の散らかった情報を、一つずつ口にして並べ直す。
「俺たちがやりたいのは、アルヴィンを元に戻すことだ。人間の姿に戻して、アルヴィンの人格を取り戻させる。――それでいいよな」
「はい」
シャロンが小さく頷いた。
「それ自体は、できるはずなんだ。マダムもはっきり言ってた。神器さえあれば、人が、人のまま、竜の力を正しく使えると――」
言いながら、ふと、レーヴ領に滞在したときの記憶が蘇った。
竜神教の集会場となっていた場で、シャロンと見た壁画――
「なぁ。レーヴ領の洞窟で見た壁画、覚えてるか。首飾りを着けた女が、竜と並んで描かれてた絵だ」
「えぇ、勿論。私が、竜神教信者たちにとっては、救いを描いた絵なのではと言った――」
「そうだ。アーノルド曰く、あれは古竜――ドロテアの時代よりも前に描かれたってことだった」
当時は芸術などわからないと、欠片も興味が湧かなかったが、知識を得た今は、見方が変わる。
「あれは、”贄姫”が継承の儀を受けるシーンだった。そしてあの首飾りが神器だとしたら――やっぱり、神器さえあれば人の姿のまま、竜の力を使うことが出来るっていう証拠だ」
シャロンが、静かに息を呑むのがわかった。
「つまり、行き着く先は間違ってねぇんだ。アルヴィンの首に、神器。そこまで辿り着けりゃ、あいつは助かる」
だが問題は、そこじゃない。
「詰まってるのは、そこに至るまでの道だ」
俺は、指を一本ずつ折っていく。
「今のアルヴィンは、あのでかい異形のままだ。竜の首に、神器を掛けることは出来ない。かといって、マダムが提案したシャロンが再び継承の儀を受ける案は、あいつを殺しちまう可能性が高い」
二つの道は、どちらも塞がっている。だが、詰まり方が引っかかった。
「どうして――ガードナーが考える”世界の救済”はいつも、誰かを犠牲にする前提なんだ?」
「え……?」
するりと漏れ出た素朴な疑問は、口に出してみると、思いのほかその引っ掛かりが根深いことに気付く。
「ガードナーが考えた最初の案は、シャロンを”器”にして竜を継承させる――神器なしでシャロンを”贄姫”にする案だった」
「そう……ですね……」
「マダムは、”器化”だけならリスクはない、と言った。――だが、もしも当初の計画通りに、シャロンが竜の力を継承したら、どうなってた……?」
「――!」
ハッとシャロンが息を呑む。
俺は、マダムから受け取った竜神教の聖典の原本の内容を思い出す。
古びた頁を捲ったとき――ある箇所で、指が止まった。
「”竜神”ってのは、元々、短命だったらしい。しかし研究の末に、禁術が発展して――分家が"お役目"を手伝えるようになってからは、少しずつ寿命が延びていった、と書いてあった」
「短命なのは……竜の魔法は、神器を介したとしても、人の身には余るものだったから……?」
シャロンの言葉に、俺は頷く。
そもそも初代の”贄姫”に力を渡した異形の竜ですら、生きた命を喰らわなければ力を使い続けることは出来ないような代物だった。人間が使うには、身体への負担が大きいことは容易に想像がつく。
分家が役目を手伝えるようになってから寿命が延びたのは、単純に、魔法を使う頻度が減ったせいだろう。身体への負担と魔法の使用に相関関係があることは明白だ。
「だけど、考えてみろよ。――”研究”って、何をするんだ?」
「ぇっ……? それは――」
「一族の外に、魔法の秘密を漏らせなかった時代の話だぞ。今みたいに、広く魔法が使われていて、世界中に魔法の研究者がいるわけじゃない。そんな中で、未知の力について実験し、検証して、分家でも禁術が使えるよう体系化する――どうやって成し遂げたと思う」
自分でもぞっとするほど低く、昏い声が出た。
シャロンの肩が、僅かに強張る。
「……試した、のですか。――人で」
か細い声は、少し掠れていた。
「そう考える方が、自然だ」
適切な言葉を選ぼうとして、結局見つからなかった。
――人体実験。それ以外の呼び名が、浮かばない。
綺麗事じゃない。わかっている。だけど、どうしても――今を生きる俺は、その倫理観に吐き気を覚える。
「一族の誰かを実験台にして、何度も繰り返して、体系化したんだ。『世界を救う』――その大義名分のもとに、な」
ダリウスが、”器化”の魔法を考えようとした発想と、同じだ。
きっと、犠牲になったのは、一人や二人じゃない。
だが、大義のもとでは、そこで生きる人の命も、人生も、幸せも、竜の一族にとっては、羽より軽い。
「だから、一年前――竜神教がシャロンを”贄姫”にしようとしたときも、奴らにためらいは欠片もなかったんだ。シャロンは一族の血を引いている。世界のために命を捧げることも、一族なら当然のことと受け入れると思ったはずだ」
「!」
もし、アルヴィンが止めに入らず、シャロンが器化した状態で”竜神”の力と記憶を全部引き継いでいたら、どうなったか――俺には、わかる気がした。
自己犠牲の精神がそもそも強いシャロンだ。
過去、寿命を縮めてでも”お役目”に邁進した歴代の竜神。その記憶を継承し、歴史の真実を知れば――きっとシャロンは、立派な”竜神”として世界を救う道を選んだに違いない。
あの頃のシャロンなら、そこに命の危険があると知っても――周囲には何も知らせず、独りで抱え込んだだろう。
そして、それを予見していたからこそ、竜神教は、シャロンを”贄姫”にすると決めたのだ。
「脈々と受け継がれてきたのは、力だけじゃない。『世界を救うため』――その一言で、誰か一人に全部を背負わせる。そのやり方そのものが、受け継がれてきたんだ」
原初の竜も、盲目の”贄姫”に背負わせた。それ以来ずっと、一族はその荷を負う者を、選び続けた。
ドロテアも、シャロンも、その一人。
そして、その果てに今――アルヴィンが、いる。
シャロンは俯いて、自らの手を見つめる。その血に流れる歴史の重さを、今、確かめてでもいるようだった。
「……だから、マダムは」
シャロンが、ゆっくりと顔を上げた。
「二つしか、道を示せなかったんですね」
「……あぁ。マダムにとっちゃ、”世界救済”のために誰かが犠牲になるのは、考えるまでもねぇ前提だ。"誰も死なせない"なんて道は、最初から目に入っちゃいないんだろう」
最初は、シャロンの寿命を。
今度は、アルヴィンの命を――
いつだって簡単に、お題目の前に、投げ出させようとする。




