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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第七章

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第85話 二択 (Side:カルロ)

「兄を救う手段に移りましょう」


 シャロンの言葉を受けて、マダムは再び腰を下ろす。俺たちも、それに倣った。


「そもそも今回の件は、”器”の儀式を施されていない、血筋だけ適性のある男が魂移しの儀式に割り込んだことが原因だ。本来”器”へ継承されるはずの竜の力と記憶が、対象外の男に流れ込んでしまった」


 びくり、とシャロンの肩が揺れる。シャロンにとっても、目の前で兄が竜へと姿を変えたあの日の出来事は、忘れられない悪夢なのだろう。


「結果、行き場をなくした力が暴走し――それを適切に御するために、古代の竜と同じ異形へと形を変えた。今のアルヴィン・フロストは、そういう状態だと考えられる」

「……」

「儀式直後から、膨大な歴代の竜神の記憶が流れ込んでるはずだ。いくら巨体になったとはいえ、処理が追いつくとは思えない。自我がどれだけ残っているかは、正直、賭けだね」

「そんな――」


 シャロンは不安げに瞼を伏せた。

 実際、アルヴィンは竜の討伐隊の攻撃を無効化した後、山頂に陣取ったまま動いていない。

 先日、レーヴ領を訪れたときも、妹をあれほど溺愛していた男が、すぐ近くまで来たシャロンに、何の反応も示さなかった。自我があるのなら、助けを求めることも、せめて姿を見せることも、できたはずだ。それをしないということは――


 そこまで考えて、軽く頭を振る。――今は、そんなことを考えている場合じゃない。

 自我がないなら諦めよう、なんてことは、シャロンを前にして口には出来ない。俺自身、そんなことで諦めるなら、一年前の時点で討伐隊に加わっていた。

 アルヴィンに自我があろうとなかろうと――必ず救う手立てを何とか考え出すのだ、と心を奮い立たせて、今日まで来たのだ。 

 

「だが、人間に戻す方法は、ある。――神器があるなら、ね」

「――!」


 俺とシャロンは同時に顔を上げ、マダムを見る。

 

「簡単な話さ。”器”がないから力が溢れて暴走した。――なら、受け止めるための”器”を用意してやればいい。神器を身に着ければ、溢れた力はそこへ収まる。人間に戻ることも、可能だろうさ」


 ぱぁっとシャロンの顔が明るくなる。

 あれから、一年。絶望に心を折られたシャロンに暗示をかけ、共に傭兵となって各地を渡り歩いて半年――それでも、アルヴィンを人に戻す糸口だけは、何ひとつ掴めなかった。

 出口のない暗がりを、ずっと手探りで歩いてきた。今日この屋敷を訪ねたのだって、藁にもすがる思いだった。

 そこへ、初めて、はっきりとした光が差した。

 神器なら、ある。フロスト家の家宝として、現に手の届くところに存在している。

 隣を見れば、シャロンも俺を見ていた。蒼い瞳が、久しぶりに子供みたいに輝いている。よかったな――そう言いかけて、俺の頬も緩んだ。


「――猫の首に鈴をつけるのが誰か、っていう問題は残るがね」

「……え……?」


 緩みかけた空気が、凍りついた。マダムは、呆れたように嘆息する。


「相手は、巨大化して古代魔法を好きに振るえる化け物だ。アルヴィン・フロストとしての自我がどれだけ残ってるかも怪しい。理性を欠いた獣みたいな異形に――あんな小さな首飾りを、誰が、どうやって身に着けさせる? 人の形すら、してないんだよ」


 差したばかりの光が、音もなく消える。

 ――そうだ。神器さえ着ければ、人に戻る。

 だが、その鍵を、どうやってあの巨体に届けるのか。人に戻すために着けるのに、着けるには――まず、近づける相手でないといけない。近づけたところで、神器をぶつければいいわけでもない。肝心なのは”身に着けさせる”ことだ。あの巨体のどこに引っ掛ければいいか、から考える必要がある。だが、恐らく敵だと見なされる俺たちを相手に、反抗もせずじっとしていてくれるとは思えない――堂々巡りだ。


「人間に戻す方法は、それだけだ。実現できるかどうかは知らないがね」


 マダムは一つ息を吐いた後、シャロンへ視線を据えた。


「……世界を救う方法なら、別にある」

「!」

「既に”器”となったアンタが、今度こそ邪魔が入らない場所で、継承の儀を受けることさ。私らが開発した最新の儀式は、竜の力を強制的に召喚し、対象へ乗り移らせる。アルヴィン・フロストから力と記憶を残らず剥奪して、アンタに乗り移らせることも出来るはずだ」

「それは……」

「そうすりゃ恐化は止まり、世界は救われる。――その時、元のアルヴィン・フロストがどうなるかは、何の保証もないけどね」


 その言葉に嘘はないだろう。

 今回の竜化は、ガードナーにとっても想定外のイレギュラー――前例がない事象だ。どうなるかなんて、誰にもわからない。


 仮に力を剥がして人の体に戻れたとしても、無事でいられるとは思えない。命を蝕む竜の魔法を、数度とはいえ神器も無しに行使した体だ。それに、竜を事前に移動させておかなければ、力を奪われた瞬間、北の山頂で、防寒もない裸身で放り出されることになる。

 力と記憶を、残らず剥ぎ取る。マダムは事も無げに言うが、どちらに転んでも、アルヴィンは――


「……方法は教えたよ。どちらにするのか、早めに決めておくれ」

「!」


 マダムは、話は済んだとばかりに腰を上げる。

 俺は、ぐっと奥歯を噛みしめた。


 頭の中に、二つの道が並ぶ。

 神器でアルヴィンを助けられる方法は、実行する術がない。実行できる方法は、アルヴィンを犠牲として差し出す道だ。

 ――最初から、選べる道なんて、一つもありゃしない。


「私としては、当然、後者を勧めるよ。たった一人の犠牲で世界が救えるなら、御の字じゃないか」

「っ、てめぇ――!」

「だが、私らは分家だ。宗家の意向に従う。――最後は、宗家が決めればいい。物事の分別が付かない小娘でもないようだからね」


 先ほど、怯まず意見したシャロンを見たからだろうか。

 マダムはそれだけ言い残して、俺たち二人を残して、部屋を出て行った。


 扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

 応接間に、俺とシャロンだけが残された。暖炉の薪が小さく爆ぜる音が、室内の重い沈黙をより際立たせた。


 窓の外で、陽が傾きはじめている。

 オレンジ色の光が、机に広げたままの分厚い書籍を、ゆっくりと染めていく。

 ――言うべき言葉が、見つからない。

 いつもなら、どんな窮地でも軽口の一つも叩いて、シャロンを励まし、解決策を提示するのが俺の役目だ。なのに今は、口が重かった。

 戦う相手がいるなら、いくらでも戦う。どんな敵でも、シャロンを守るためなら、負けるつもりはない。

 だが、今度ばかりは勝手が違った。立ちはだかっているのは、人でも魔物でもない。ただ、道がない、ということだけ――

 拳を握っても、振り下ろす先がない。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 先に口を開いたのは、シャロンだった。


「……カルロ」


 顔を上げると、シャロンは俯いてはいなかった。蒼い瞳が、まっすぐ机の上の本へ注がれている。


「本当に、この二つきりなのでしょうか」

「……あ?」

「マダムは、ガードナーが紡いできた歴史から推察できる方法を、教えてくださいました。でも――まだ誰も気づいていないことや、試したことのないことだって、あるはずです。私の体に起きたことだって、前例のないことだったのでしょう」


 シャロンの言葉に、ハッと息を呑む。

 マダムの言葉は、重かった。百戦錬磨の女傑が、何代もの研究の果てに示した、二つの道だ。それを前に、俺はもう答えはこの二つきりだと、いつのまにか自分から蓋をしていた。

 なのにシャロンは、その蓋を、諦めずに持ち上げてみせた。

 絶望に呑まれず、与えられた二択そのものを疑っている。


「……そうだな」


 俺は、詰めていた息を、ゆっくりと吐き出した。


「マダムが知らねぇことも、きっと、いくらでもある。それに――決めるのは宗家だと言ったのはあっちだ。なら、焦って今ここで選んでやる義理もねぇ」

「はい。……二人で、考えましょう。きっと、まだ何か、あるはずですから」


 窓の外で、陽が落ちていく。

 出口は、まだ見えない。

 それでも――隣に、シャロンがいる。諦めず、俯かず、前を見続けるシャロンが。


 ――今はまだ、それだけでいい。そう思い、俺はシャロンと立ち上がった。


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