第84話 魂移し (Side:カルロ)
マダムの言葉に、夜会の日のシャロンを思い出す。
金の鎖に下げられた、涙の雫を思わせるカットの、大粒のサファイア。確かに、あれは「どでかい蒼い首飾り」と形容されるに相応しい。
シャロンは、無言で膝の上の手をきつく握り直した。たぶん、家宝が家宝でなかったと知らされるより、もっと別のことが気になっているのだろう。
「さて、本題はここからさ」
マダムは腕を組んで、軽く鼻を鳴らす。
「アンタら、竜を人間に戻す方法を聞きに来たんだろう。歴史の講釈で満足して帰る気じゃあるまいね」
「!」
「次は――アンタら自身の話さ」
マダムの言葉に、俺とシャロンの緊張が高まる。
「まずは、現状の整理だ。一年前、アンタに施されたのは、信者の中で『魂移し』と呼ばれている儀式だ」
「それは、知っています。竜は、適性のある人間を”器”として魂を移し替えて永遠を生きている――だから、人為的に”器”を造り出すことが目的だったと」
「前半は、本来の目的やガードナーの関与を隠すために、一般信者へ信じ込ませた嘘さ。本質は、後半。――人為的に”器”を造り出すこと。それが、儀式の目的だった」
マダムは静かに説明する。
「神器が失われたと聞いて絶望したダリウスだったが、彼の執念は半端じゃない。人生を賭けて何とか世界を救う方法を考えた。それが、継承の儀の改良だ」
「継承の儀……”贄姫”と呼ばれる存在が、それまでの歴代の”竜神”の力と記憶を継承するという――?」
「あぁ。ダリウスは、その儀式の効果の一つに、”贄姫”本体の身体を作り変える効果があるんじゃないかと仮説を立てた」
マダムは閉じられた本を開く。歴代の”竜神”の力と記憶を受け継いだ新たな継承者が、瘴気を感じ取り、”核”を浄化して、世界を正常に戻す――そんな一場面が描かれていた。
「神器は、古代魔法を扱うための増幅器のような役割だと考えられていた。本来、人の身体で扱うことを想定していない力だ。古代魔法を使役しようと思えば、太古の竜のような巨大な異形が必要になる――それを、人が、人のまま扱うことを可能にするのが、神器の役割だった」
トントン、とマダムは開いた本を軽く指で叩く。
「だが、竜神となった者が引き継ぐのは、魔法を行使する力だけじゃない。瘴気の濃度を感じ取り、”核”を的確に見つけ出せるのは、継承の儀を受けた”竜神”だけだった。普通の人間ではあり得ない、特殊能力と言える」
「ぇ――」
シャロンが、小さく声を上げる。一瞬、俺はシャロンが何に引っかかったのかわからなかった。
「それから、儀式の結果、”贄姫”は歴代の竜神の記憶を全て引き継ぐ。常人の脳が耐えられる容量じゃない。――ダリウスはこの二つに目を付け、儀式には、”贄姫”の体質を人間とは異なるものに変質させる要素があるのでは、とアタリを付けたのさ」
「ま――待ってください――!」
蒼い顔で、シャロンがマダムの声を制止する。
「”核”を見つけ出せるのは、”竜神”だけ――ほ、本当に、そうなんですか……!? 白魔法遣いなら、誰でも感じ取れるものなのでは――!」
その言葉で、やっとシャロンが何に驚愕しているのか気付いた。
そう――シャロンは、俺と旅をした半年間、何度も的確に”核”を見つけ出し、白魔法で浄化を施していた。おかげで、旅はずいぶん効率的に進んだ。
俺は白魔法に詳しくない。シャロンが当たり前のような顔をしているから、白魔法遣いなら誰もが感じ取れるものだと思い込んでいた。
だが、マダムはその能力を、”竜神”特有の特殊能力だと言った。
そして、それは――人体を儀式で作り替えた結果得られるものだ、と告げたのだ。
「嘘なんか言わないよ。”核”がどれかは、禁術を使える私ら分家でもわからない。紛い物の白魔法遣いなんか、なおのことだ。奴らが『浄化』と称するのは、恐化が起きている一帯に雑に魔法をかけるだけ――的確に原因を見つけ出すなんて出来やしないよ」
マダムはそのままシャロンをまっすぐに見据え、指をさす。
「もしもアンタが”核”を見つけ出せるとしたら、一年前の儀式が成功した証だ。ダリウスが考案し、その後何世代もかけて研究を重ねた末に生まれた、神器なしで竜神を生み出す方法――それが、魂移しの儀式だよ」
「――!」
シャロンが息を呑む。
それはつまり、自分の身体が、自分でも知らないうちに、人間ではない”何か”に変えられていたということ。――衝撃を受けるのも当然だろう。
「ふざけんなよ――!」
俺は思わず立ち上がる。
シャロンを守るのは、俺の役目だ。だが、それだけではない。
一連の話を聞いて、どうしても看過できない問題があった。
「何か、言いたいことがありそうだね」
女傑の声に、迷いはない。俺はぐっと拳を握った。
「継承の儀には、もともと人体を変質させる要素があったから、それを研究し、進化させて、人間を神器代わりの”器”に造り変える術を考え出した、だと――!?」
魔法の知識があれば、容易に想像がついてしまう。
その研究の裏側で――いったい、どれだけの血が流れたのか。
「まともな倫理観があれば、そんな研究、手を付けられるはずがない――!」
受け入れられない価値観に、強烈な吐き気を催す。
だが、竜の一族にとっては、当たり前の感覚だったのだ。
すべては『世界を救うため』。――その大義名分が、何もかもを正当化する。
「確かに、今の王国をはじめとした支配体制側に問題があったのは事実だろう。だが――竜神教を危険思想を抱く邪教と見做し、お前たちが使う魔法を『禁術』としたことだけは、ある側面だけで見れば正しい……!」
震えだす拳を、抑えられない。
「人の命をはじめとした犠牲を前提にした魔法技術の発展なんざ、認められるわけがない――!」
「だが、それをしなきゃ世界は崩壊するんだ。今の荒れた世の中を見てごらんよ。これから、どんどん恐化は広がる。現代の魔法じゃ対抗できない。それでもまだ、同じことが言えるかい?」
珍しく、マダムが早口で反論する。
「だけど、人体の改造だぞ!? リスクだってあるはずだ! シャロンにも、シャロンの家族にも、何の断りもなく勝手にやっていいことじゃない――!」
「馬鹿だねぇ。フロスト家に歴史の真実が継承されている様子はなかった。犬猿のガードナーがご丁寧に説明したところで、あの曲者のフロスト卿が納得すると思うかい」
「じゃあ、アンタの子供に担わせてもよかっただろ! 分家筋でも”贄姫”は出ていたと言ったのはアンタだ。事情も知った上で、『世界のために』と自分を犠牲に出来る高潔な人間なら、シャロンを誘拐するよりずっと楽だったはずだ!」
「お前――!」
即座にマダムの視線が鋭くなる。明確に、相手の逆鱗に触れた感覚があった。
「その選択肢を切り捨てた時点で、アンタらに”正義”を語る資格はない! 耳触りのいいことを言って、倫理に悖る行いを正当化したいだけの卑怯者だ! 何が、宗家を支える分家、だ。嫌なことを全部宗家に押し付けてるだけじゃねぇか――!」
「貴様――移民の分際で、よくも大きな口を――!」
マダムが顔色を変え、立ち上がる。
俺は、シャロンを背に庇って足を踏ん張った。
大貴族に楯突く重さが、わからないわけではない。だが相手は、何も知らないシャロンを巻き込み危険に晒した外敵だ。権力に怯んで尻尾を振る真似は、出来ない。
一歩も引かない、と強く睨み返した――時だった。
「カルロ!!」
高い声が響いて、小柄な体が俺の前に出る。
その横顔に、一瞬、虚を突かれた。
大貴族にそんなことをしてはいけない、と蒼い顔で袖を引く、いつもの顔じゃない。
びくびく、おどおどとした、いつものか弱いシャロンは、どこにもいなかった。
蒼い瞳をまっすぐに女傑に向け、シャロンは堂々と問いかける。
「――マダム。簡潔に、答えてください。私が”器”として機能するよう人体を作り変えられていたとして――このまま私が私として生きていくのに、どんなリスクがありますか」
「シャロン!?」
「……ありがとうございます、カルロ。私のことを心配してくれたんですよね。でも――大丈夫です」
シャロンは、安心させるように俺を振り返って微笑んで見せる。
その笑顔は、決して強がりではなかった。
「フン。……別に、”器化”だけなら、大きなリスクはないよ。寿命も変わらなければ、外見も変わらない。性格や嗜好に何か影響を及ぼすといったこともない。……あくまで、”器化”だけなら、ね」
「そうでしたか。――では、私が儀式に巻き込まれたことの是非を問う話は、ここで終わりです。兄を救う手段に移りましょう」
落ち着き、微笑みすら湛えて女傑と渡り合うシャロンは、もう、俺やアルヴィンの後ろに隠れて震えるだけの少女ではなかった。
自分の両足で立ち、まっすぐ前を向く――俺が惚れた、芯の強いシャロンだった。




