第83話 神器 (Side:カルロ)
分厚い装丁の本を、シャロンと共に最後まで読み終える。
俺が静かにそれを閉じても、向かいのマダムは何も言わなかった。重い沈黙だけが、部屋に降りていく。
「どうだい?」
「どう……と、言われて、も……」
もしもこの本に書いてあることが、マダムの言う通り「歴史の全て」なのだとしたら――俺たち人類は、とんでもない誤解の上に、的外れな対策を積み重ねてきたことになる。
蒼い顔で言葉を失ったシャロンも、同じところで躓いているはずだ。
俺だって、同じ気持ちだ。だが、これが本当にアルヴィンを救うために必要な情報だと言うなら、受け入れざるを得ない。
「つまり……恐化とは、瘴気が世の中に飽和したことで起きる不変の現象で、竜が引き起こしてるわけではない、と」
「当然だ。恐化はいわば、竜が浄化をしなくなったことで起きる、避けようのない自然現象だよ。竜が原因だなんてのは、後世に竜の一族を排斥したい人間たちが広めたでたらめさ。――自分たちの行いを正当化し、徹底的に一族を追い落とすために、ね」
「……なるほど。なんでレーヴ領でだけ、未だに恐化現象が殆ど観測されないのか、やっと謎が解けた」
苦々しく認めると、シャロンもハッとしたようだった。
竜が恐化を浄化し、世界を救う側だったなら、アルヴィンが鎮座するレーヴ領だけが無事な理由も納得できる。
それなのに、世の中の混乱を全部アルヴィンのせいにして、討伐しようとしていた――なんて、滑稽にも程がある。
「ここに書いてあることが真実なら、竜の一族から魔法の秘密を盗み、自分たち流に作り替えたのが、今の黒魔法と白魔法ってことになる」
「そうだよ。どちらも、竜の魔法に比べれば、児戯に等しいお粗末な出来だがね。――特に白魔法は、溢れた瘴気を一時しのぎに封じ込めるだけ。根っこを断つ力なんて、ありゃしない」
隣で、シャロンの指先がきゅっと強張ったのが見えた。
白魔法は、彼女の力だ。傭兵として各地を巡った半年間、その力で何度も核を浄化し、そこにいる人を救ったつもりでいた。
だがそれは、結局その場しのぎ――世界を救えない児戯だと、面と向かって言われたに等しい。
それでもシャロンは膝の上で手を握り、ただ静かに続きを待っていた。
「今の魔法が古代魔法に遠く及ばないことは、討伐隊との戦闘記録と照らし合わせてもわかる。……その、秘密を盗み出してペテンで世界を騙し、一族を滅亡に追いやった連中っていうのが、今の世界の支配階級ってことになるんだろう?」
「あぁ。この国の王族も漏れなくそうさ。……だから、ガードナー家の初代当主、ダリウス・ガードナーは、身分を偽り、内側からその統制を崩そうと、この国の貴族に成り上がった」
ごくり、と唾を飲み込む。
少しずつ、点と点が線になっていく。
黒魔法と白魔法の起源は、どれだけの学者が研究を進めようと『諸説あり』で、誰一人真実にたどり着けていない。それは恐化が広がった時代に、多くの文献などが失われたからだ――と、されている。
だが、本当にそうなのだろうか。資料が一切残っていないのは、統治者たちが己の悪行を後世に露見させまいと、恣意的に処分したからではないのか。竜や恐化をおとぎ話に貶めたのも、真実を覆い隠すためだとすれば、筋は通る。
実際、最も真実に迫ったアーノルドの血筋研究では、恐化が広まる少し前を起源だと睨んでいた。
恐化が広まったのは、竜神の一族が追い落とされ、本質的な浄化が止まったせいだ。ならば『少し前』とは――一族滅亡の三代ほど前、魔法の秘密が盗まれた時期と、ピタリと重なる。
「あの……フロスト家では、ガードナーとは古くから犬猿の仲だと聞いていました。発端は、フロスト領が王国に併合されたときに、王国が差し向けた軍が、ガードナー家のものだったからだと――」
シャロンは言葉を切り、俺が閉じた本へと視線を落とす。
「ですが、この書籍によれば、初代のダリウス氏は元々一族の分家の出身。お家の復興が目的なら、ドロテアと敵対する理由は――」
「ないね。当然、当時もそうだった。だから――裏では、繋がっていたよ。ドロテアの側近は、ダリウスの息子だったわけだしね」
「!」
シャロンは、真剣な顔でマダムの言葉に耳を傾ける。
「ドロテアは、竜の力を白魔法と偽り、当時恐化が進んでいた現フロスト領を浄化していった。元々、竜神になるための教育を施されていた女だ。土地の人間に担ぎ上げられるのも、自然な成り行きだろう。目立たずに一生を終えたい本人は不服だったようだがね。――おかげで、当時もっとも勢力を伸ばしていた王国にまで、噂が届いた」
マダムは嘆息して、歴史の真実を語り続ける。
「軍事侵攻で何もかも分捕ろうとする王国側をとどめたのが、ダリウスさ。自分たちが侵攻を請け負う、と言って手を挙げた」
マダムの声が、僅かに低くなる。
「最悪、混乱に紛れてドロテアは行方知れずになったとでも言い、息のかかった竜神教の幹部に受け渡せばいい――そう考えて、ダリウスは息子に秘密裏に連絡を取り、八百長を仕掛けようとした」
「で、では、ドロテアは側近に裏切られて――」
マダムは「いや」と首を横に振る。意外な返事に、俺もシャロンも言葉を飲んだ。
「息子のエルドからの返事の内容は、現代にも伝わっている。曰く――『流浪の民の土地に辿り着く前、追っ手から逃げ惑う最中で、竜の神器は紛失した。ドロテアはただの”人”になった。このまま正体を明かすことなく、穏やかに一生を終えることを望んでいる』と。結果だけ見れば、エルドは父親より、仕えるドロテア側に付いたってわけだ」
「――!」
「だけどダリウスは怒り狂ったらしいよ。そりゃそうだ。儀式のやり方を知っていても、細々と血を繋いでいこうとも――肝心の神器がなければ、意味がない。竜神がいなければ、御家復興どころじゃない。世界はいつか、恐化に飲まれ、崩壊することが確定してしまう」
宗家と袂を分かってまで一族の汚名を雪ごうとした男が、その全てを断たれた。
竜神の奇跡こそ真の救済だと示せなければ、敵が流した偽りが、そのまま正史になる。――どれほどの絶望だっただろう。
「悩んだ末に、ダリウスは王国の言う通りフロスト領に攻め入り、ドロテアを王国の支配下に置いた。王家の人間と娶わせ、無理やり宗家の血を紡がせたのさ。表面上は犬猿の仲として振舞えば、過去のつながりは露見しない。……まぁ、ドロテア側は本気でこちらを敵視した可能性は高いとは思うけどね」
シャロンは下唇を噛んで俯いた。
民を脅かし、その無事を人質にドロテアに投降を迫る。王国の監視下に置こうとするダリウスの仕打ちは、穏やかな最期を望んだ初代当主の本意だったはずがない。
まして、男尊女卑と血統至上主義が根深く残る国だ。権力や男といった存在に振り回される令嬢の身として、尊敬する初代女当主の無念に、シャロンは思うところがあるのだろう。
「一応、ダリウスの名誉のために言っておくが――あの男は、ガードナーがあくまで宗家に仕える分家だと、念を押して後世に引き継いでいるよ。万一フロスト家が滅びかけたときは、必ず救いの手を差し伸べろ、とね。当時と今じゃ、価値観も違うが、根っこは繋がっている。だから言っただろう。フロスト家の嫡男を巻き込むつもりなんてなかった、って」
「シャロンは巻き込んでもいい、と?」
思わず低い声が出る。だがマダムは軽く肩を竦め、俺の言葉を受け流した。
「神器を紛失した、なんて嘘を伝えたのはフロスト家の方だろう。神器があるなら、今回だって、今回だって古来の”贄姫”への継承の儀を、普通に執り行えばよかった。こっちに言わせりゃ、そっちが撒いた種だよ」
「その……神器、というのは――」
シャロンが、神妙な顔で切り出す。それは、既に確信を持っている横顔だった。
「あぁ。アンタが夜会で身に着けて来た――あの、どでかい蒼い首飾りだよ」




