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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第七章

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第82話 天使 (Side:アルヴィン)

 僕は、僕のまま、夢を見る。

 懐かしく愛しい、宝物のような戻らない日々――

 

 僕の人生は、たった一人の天使との出逢いから、始まった。


 ◆◆◆


 国内でも有数の大貴族フロスト家に嫡男として生まれた僕は、生まれる前から将来を期待されていた。

 幼い子供に背負わせるには大きすぎる期待を、物心つく前から何となく感じていた。周囲は僕に、最高の環境を与え、立派な貴族になるよう徹底的に教育した。

 周囲の言うことを聞いていれば、褒めてもらえた。自我らしい自我など、必要とされていなかった。求められるのは、”将来有望なフロスト家次期当主に相応しい振る舞い”――ただ、それだけだった。

 それを感じ取れるくらいには、幼いころから聡い子供だったのだと思う。


 それが変わったのは、妹が出来てからだった。

 日に日に大きくなる母の腹の中に、命が宿っているというのが不思議だった。生まれてくる子が男でも女でも、兄として、次期当主として、模範になるように努め、助けてやりなさいと言われた。もちろん、言われるまでもなく僕の答えは「はい」だった。――それ以外の回答が求められることはなかったから。


 やがて、出産のために母が家を離れた。少しは寂しい気持ちもあったが、そんなことを言って甘えるのは相応しくない振る舞いだった。僕は、品行方正な兄として相応しくあるよう、母の不在も弱音を吐かずに日常通りに振舞った。

 しばらくして、母が久しぶりに帰宅した。子供らしく駆け寄るなんてことはしない。「お帰りなさいませ」なんて大人びた挨拶をして、優しい貴公子の微笑みを湛える余裕まであった。

 だけど、懐かしい母から、「これが貴方の妹よ」と赤子を腕に抱かせてもらった、あの瞬間――


 雷に打たれたのかと思うような衝撃が走った。

 それまで想像していたものなど、所詮、子供が考える範囲の中での幼稚な想定でしかなかった。


 小さい。

 か弱い。


 ――――愛しい。


「ぅ……ぁぅ……」


 腕の中で、目を開くことも出来ないまま、小さな泣き声にも似た何かを発する赤子。それまで経験してきた大人たちの抱っこに比べれば、酷く頼りなく不安だったに違いない。

 それでも、彼女は大声で泣くことなく、今にも消え入りそうな声で控えめに主張をしただけだった。その主張を最後に、すぅっと眠りに落ちてしまったらしい。少し重くなった。


 布の中に、小さな顔があった。皺だらけで、赤くて、およそ美しいとはいえない顔だったが、唇だけが、妙に形よく整っていて、眠りながら小さく動いていた。

 それが、堪らなく――愛しくて、愛しくて。


 もし、手を滑らせでもしたら――……自分の振る舞い一つで、簡単に危険に陥る責任感と緊張に、怖くなる。

 だけど、同時に、こんな拙い自分を信じて身体を預けてくれる感動に、心が震えた。


「シャロン、というのよ」


 母が名前を教えてくれて、愛しさがさらにあふれ出す。


 兄としてではない。次期当主としてでもない。

 この”シャロン”と名付けられた愛しい命を、世の中の全ての害悪から、全身全霊をかけて自分が守ってやらねば――と心に決めた。


 この小さな、か細い、こんなに儚い存在を。この指を、この重みを、この眠りながら動く唇を、何者からも守りたかった。


「……シャロン」


 眠ったままの顔に向かって、小声で呼びかけるが、答えは返ってこなかった。

 ――それでいい。答えなくていい。眠っているままでいい。


 この子が目を開いて、初めて見たときの世界を、少しでもましなものにしておくのが、僕の仕事だと思った。


 ――それが、僕が生まれて初めて抱く、”アルヴィン”としての、個人的な感情だった。


 ◆◆◆


 初めて出逢ったあの日から、シャロンはずっと世界で一番愛しい存在だった。

 

 初めて目を開いて、僕を見てくれた日。

 大きな瞳に僕を認めて、初めて笑いかけてくれた日。

 舌足らずな拙い発音で、初めて「おにいさま」と呼んでくれた日――

 

 どれも、昨日のことのように鮮明に思い出せる。

 幸せそうな笑顔を目の当たりにするたびに僕は、シャロンのために全てを捧げようと心に誓った。


 だけどシャロンは、可愛すぎて――危険な目にも、たくさん遭遇した。

 彼女が五歳の時、王都で襲撃を受け、信頼していた護衛の死を目の当たりにしてから、シャロンは内向的になっていった。

 始まった貴族教育も相まって、どんどん本音を口にすることが無くなっていく日々――まるで、シャロンと出逢う前の自分を見ているようだった。

 

 シャロンが生きる世界は、綺麗で穏やかなもので満たしたかった。彼女を脅かす存在は全て排除して、いつだって幸せそうな顔で、何も心配せずに笑っていてほしかった。そのためなら、何でもした。

 ――シャロンのために生きることが、”アルヴィン”としての生きざまだったから。


 だから――


「――シャロン!!!」 


 現れた得体のしれない巨大な竜の幻影の前に飛び出すことだって、何の躊躇もしなかった。

 僕に何かあったら、一族に迷惑がかかることなどわかっていた。父も母も、利権が絡む全ての人たちが困るだろうことはわかっていた。

 

 ――だけど、それが、何だというのか。

 

 一族が無事でも、シャロンに何かがあったら、僕は生きていけない。それは結局、一族郎党を惑わせる結果になる。

 

 見たこともない竜の影が、一体何なのかとか、そんなことは考えなかった。

 世界で一番愛しく、命を賭して守ると誓っている少女に危険が迫っていた。――それだけで、僕が身を挺す理由は十分だった。


 そのために、シャロン以外の人間が、世界が、どうなろうと知ったことではない。シャロンが無事なら、それでいい。


 ――僕は、ドロテアの気持ちが、誰よりもよくわかった。


 夢の中で垣間見た、歴代の”贄姫”と”竜神”たちの記憶――数々のものに囚われ続けた、哀しい人たち。

 

 夢の内容が真実ならば、シャロンが次の”贄姫”となり、太古の竜の力を行使して、各地で進行する恐化を浄化していけば、世界は救われたのだろう。――竜の力は、対症療法でしかない白魔法と違って、瘴気を完全に浄化できる。


 だが、それが何だと言うのか。

 

 世界が救われたその先に――シャロン自身の幸せがないなら、意味はない。


 シャロンは、とても優しい子だ。事情を話して、世界のために『お役目』に囚われてくれと告げれば、きっと、受け入れてくれただろう。過去の経験から、自分を犠牲に他人の幸せを願うことに、慣れ切ってしまった哀しい子だから。


 だけどその優しく哀しい子が、初めて、”自分の幸せ”を感じて大切にしようと思い始めていたところだったんだ。

 自由な世界に連れ出してくれた婚約者カルロのおかげで、他人の幸せだけでなく、自分の幸せを喜ぶことが出来るようになったところだった。

 生まれて初めて、自分のための外出をして、キラキラとした笑顔を見せた日のことは忘れられない。

 

 あの笑顔を引き出せたのが、僕じゃなくカルロだったというのは少し癪だが、天使みたいなシャロンの笑顔の前には、些末なことだった。

 

 だから、あの日、僕が身を挺したことで、竜の力を僕が奪ってしまったことは、結果としてよかったと思う。――シャロンにこの力が宿っていたら、シャロンは世界を救うため、何も言わずに『お役目』に囚われていただろう。

 自由もなく、命を削る力を惜しみなく行使して――誰に感謝されるわけでもないのに、当然のことだと微笑んだはずだ。


 それは――ドロテアが、忠義を尽くしてくれた分家と袂を分かってまで、避けたかった未来。

 世界が崩壊する危険を誰より知りながら、己の子孫には決してその呪われた運命を引き継がせまいと、周囲に何も語らず、生涯を終えた。


 ”竜の力”が僕の元にあるうちは、シャロンが犠牲になる未来は訪れない。

 

 そもそもが、竜の一族を妬み、協力の道ではなく排除を選んだ人間側――現代の支配勢力たちが引き寄せた、自業自得の結末だ。

 

 だから僕は、ここで眠り続けよう。

 僕の先祖――初代フロスト家当主のドロテアが願った通りに。

 人知を超えた力など、歪なものだ。誰かを不幸にして築かれる幸せなど、最初から存在しなかったことにしてしまえばいい。


 ――大丈夫。

 シャロンの隣には、カルロがいる。

 

 シャロンの本当の笑顔を引き出せたカルロなら、きっと、僕の愛するシャロンを幸せにしてくれるはずだ。

 それだけで――僕は、十分だった。


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