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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第七章

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第81話 ドロテア② (Side:アルヴィン)

 薄暗い洞窟の中、火を囲んで、ダリウスが地図を広げる。

 いくつも書き込まれた印は、彼があの炎の夜から五年もの月日をかけて配置してきた、忠臣たちの居場所。


「宗教という手段は、奏功しました。太古の昔、初代”贄姫”に力を与えた竜を神として崇めることで、恐化から救った者たちを中心に、水面下で信仰が広がっています」


 きっと、印の場所が、新興宗教”竜神教”の集会場なのだろう。

 奏功――とは、よく言ったものだ。

 邪教と呼ばれ迫害されることの、何が奏功なのか。


 黙った私の横顔に何かを感じ取ったのか、咳払いをしたダリウスは地図の上に指を滑らせる。


「竜神教は、協力者を募る良い隠れ蓑ですが――御家復興には、遠い。我ら一族が『お役目』につけなくなって以降、世界は荒れ、恐化は進むばかり……すべての元凶は、一族を夜襲した憎き敵勢力。最後はこれを屠る必要があります」


 ダリウスの指が示すのは、地図の中央。

 白魔法遣いが中心となって恐化を退け、安寧の地として自治都市を作っているという噂のエリアだ。


「白魔法の権威を王として、新たな王国を造り出すつもりだとか……」

「腹立たしいことです。白魔法など、所詮紛い物。問題を先送りにするばかりの対症療法とは知りもせず、我らを迫害することで、世界は文明すら後退させてしまった……」


 敵意をむき出しにするダリウスの言葉に、私は小さく息を吐いてゆるりと周囲を見渡す。

 この洞窟もまた、私たちがやってくるまでは、酷い恐化の中心地だった。私たちが本物の竜の力で浄化をしたから、ここはしばらく安全だ。

 五年前のあの夜――私の一族は、急に人間たちに裏切られた。

 黒魔法と白魔法――新しい魔法が生まれた結果、私たちは”特権階級”ではあり得ないという世論が巻き起こったのは知っていた。本当は誰にでも使える魔法の秘密を一族で独占し、甘い汁を吸っていた鼻持ちならない連中――というのが、いつのまにか、世界の常識になっていた。

 人々は嫉妬に端を発したどす黒い正義感を振りかざし、私の家族を、一族を、皆殺しにすることにした。

 

 しかし、彼らも一枚岩ではなかったのだろうか。私たち一族がいなくなった後、誰が世界の覇権を握るのかで、揉めたようだ。――酷く、馬鹿馬鹿しい。

 結果、あちこちで争いが巻き起こった。争いが増えるにつれ、死も増える。――死のエネルギーが堆積すれば、瘴気が濃くなっていく。

 

 人間は、愚かだ。

 正義を口にして、恐化から世界を守ると嘯いて――私たち一族を追い落とすことで、自ら恐化を引き起こした。自然の摂理と異なる速度で広がる恐化を、紛い物の白魔法で一生懸命浄化しているらしいが、”核”を見極める竜神の目がない彼らの対処は効率が悪い。

 それまで存在していた国は魔物によって全て壊滅し、瘴気によって土地は汚染され、人々はまともな生活を送ることすら困難になって久しい。

 ――世界に、避けようのない”死のにおい”が蔓延していた。


「このままでは、世界が崩壊します。偽りを真実と吹聴する奴らに世界の命運は託せない。かくなる上は――私をはじめとした選りすぐりの忠臣たちを敵勢力に潜り込ませ、内側から崩します」

「!」


 トントン、とダリウスは地図を指で叩く。


「新王国は、優秀な白魔法遣いを求めていると聞きます。宗教を目くらましにしたおかげで、本体の我らの情報も足取りも煙に巻けている今が好機です。どうせ、ここ数年の戦乱で、数々の情報が失われています。白魔法遣いの血を引く誰かになりすまし、潜り込んだところで気づく者はいない。奴らが躍起になっている竜神教の摘発を手伝う名目で、情報を持ち込み、討伐すれば、さらに我らが竜の一族とは夢にも思われず――」

「やめて」


 短く、しかし強く、鋭く伝える。

 ダリウスは、虚を突かれた顔をした。


「なぜですか!? 時間はかかりますが、必ず――」

「……やめて、と言っているの」


 もう一度、静かに従者を宥める。

 

「竜神様」

「もう、誰も死なせたくない。……誰にも、死んでほしくない」


 遠い日の炎の音を、思い出していた。

 あの夜の、屋敷が崩れていく音は、今も耳にこびりついて離れない。


 ――あれから、何人が死んだだろう。数えるのも、やめた。


「一族の無念を晴らすことが――」

「一族は、もう終わっています」


 私は、ダリウスの顔を見ないまま言った。


「もう、終わったのです。――あの炎の夜に、何もかも」


 ダリウスの顔色が変わる。

 私を抱えて逃げてくれた、母の忠実な従者。幼いころから、私の世話も積極的に焼いてくれた昔なじみ。

 昔は分家を代表する人物で、整った顔立ちの好青年だった。だがこの五年で目は落ち窪み、深いしわが刻まれ、厳しい顔つきが常態となっている。今や当時の面影はどこにもない。


「竜神様は……あの御方の御意志を、お忘れになったのですか」

「あの御方――先代の、竜神様のことを言っているのでしょうか」


 瞳に凄絶な光を宿すダリウスに、ふっと嘲笑にも似た吐息が漏れる。


 一族が散り散りになり、母が死に――ダリウスはあの日から、未だ御家復興の妄執に取り憑かれている。

 神器を着けたまま泣きじゃくる幼い私を、簡易の祭壇に縛り付け、無理矢理継承の儀を決行した。儀式が終われば、大の大人が膝を付き、幼い子供に向かって仰々しく「竜神様」と呼びかけた。

 世の中の人間は愚かだが――彼らもまた、酷く愚かに思えた。


「先代は――母は、そんなこと、望んでいませんよ」

「竜神様!」


 母の遺志――私はそれを、誰よりよく知っている。

 儀式を経れば、歴代の”竜神”の記憶が継承される。当然、先代の竜神だった母の記憶も。


 母が望んでいたのは、今、私たちを迫害している者たちとの共存だった。一族も、一族以外も、誰も死なせない道だった。

 でも、それを今ここで告げても、きっとダリウスには、届かない。

 それもまた、よくわかっていた。


「ダリウス」


 静かに、その名を呼んだ。母の記憶を引き継ぎ、ただの”ドロテア”だったときには知り得なかった事実。


「母は、死んだのです。世の中に真実を知らしめ、家を復興させ、再び世界が我ら一族の力を必要とするようになったとしても――母は、戻って来ませんよ」

「……」


 火が、ぱちりと小さくはぜた。

 ダリウスは、何も言わなかった。――耳が痛くなるほどに長い、長い沈黙だった。


 母の記憶の中、ダリウスは常に母の傍らに在り続けた。

 母に仕え、苦楽を共にした。献身を捧げ、公も私も全てを明け渡していた。

 そのまなざしには――敬愛以外の情が、昔からずっと、含まれていた。


 母も気づいていた。気づいていて、何も気づかないふりをした。

 宗家と分家。主と従者。――二人は決して交わらない存在だったから。


 あの夜があろうとなかろうと、ダリウスが己の感情を吐露することはなかっただろう。

 母には決められた伴侶がいて、私という子供が生まれ、幸せな家庭を築いていた。

 ダリウスもまた、分家の繁栄を担う男子として、妻を娶り子をなした。――それが、彼らの『役目』だったから。


 だが、不本意な形で失ってしまった愛すべき人への喪失感を、どうやって埋めていいか、わからないのだ。

 だからいつまでも、亡霊のように妄執を抱えたまま、全てを捨てて進み続ける。


「……どうしてもというのなら、貴方だけでやりなさい。私は関与しません」

「竜神様」

「恨みが募る相手の懐に入るのは、耐えがたい苦しみを生むでしょう。危険な目にも遭うかもしれない。だからどうか、約束してください。御家復興の使命などよりも――自分の命を何より大切にする、と。私は、もう、一族の誰にも死んでほしくないのです」


 私はダリウスに微笑む。少しでも母に似た面差しだと良いと願いながら。


「……承知いたしました」


 本当に納得したとは思えなかったが、ダリウスは口先では了承し、自分の息子を私の前に立たせる。


「エルド。お前は、これから竜神様にお仕えしろ。宗家を支える分家として、生涯、命を賭してお守りするんだ」

「父上――」


 エルドは、何か言おうとして、口を閉じた。

 ダリウスは深く頭を下げ、そのまま夜の中へ歩いていく。――振り返ることは、なかった。


 身を粉にして尽くしてくれた忠臣との別れだったが、悲しいとも、寂しいとも思わなかった。


「竜神様――」

「……ドロテア。私は、ドロテアよ」


 告げながら、私は立ち上がる。目の前の少年は、同じくらいの年頃に見えた。


「私は、貴方の父親と違って、宗家も、一族も、もう、どうでもいいの。だからどうか――ドロテア、と呼んでほしいわ」

「ドロテア……様」

「……今は、それでいいわ。よろしくね、エルド」


 手を差しだして、握り込む。

 宗家と分家の関係を考えれば、あり得ない行為だ。エルドは最初、驚いたようだったが、おずおずと手を握り返してくれた。


『いい子ね』


 ふと、耳の奥に、懐かしい声が響いた気がした。

 炎の中で、母が最期に遺した言葉だった。

 あの言葉に応えるように生きてきたわけではない。だけど、心の隅にずっと根を張る言葉だった。


 壊滅する一族を目の当たりにしながら、忠臣と袂を分かった今の私は――母が望んだ『いい子』の姿なのか、わからない。


「……さて、エルド。これから、どこへ行きましょうか。どこか遠く――私たちのことを誰も知らない、誰も気に掛けないようなところがいいわ」


 ダリウスが置いていった地図に目を落とす。

 印が付いたところには行きたくない。私のことを「竜神様」などと呼ぶ者がいるところには、もう二度と。


 冷たいと思われてもいい。悪い子だったとしてもいい。


「そうね……ここはどうかしら。――通称”流浪の民の土地”ですって。今の私たちに、ピッタリじゃないかしら」

「どこへでも――ドロテア様の、お心のままに」


 エルドは静かに頭を下げる。苦笑して私は、地図を畳み、心の中で決意する。


 ――ここで、終わりにしよう。

 初代の”贄姫”から代々続いてきた、この呪いのような役目を。


 ◆◆◆


 風が唸り、白い渦が巻き起こる。ぼんやりと瞼を開けると、夢に落ちる前と変わらぬ白銀の世界だった。


 ドロテア。竜。名もなき贄姫たち――いくつもの”私”が重なり、溶けていく。


 皆が世界の均衡を保つという『お役目』のために、己の命を、幸せを、全てを犠牲にしながら生きていた。

 皆、囚われていた。


 『お役目』に。

 一族に。

 身勝手な人間の振る舞いに。


 ――”愛”そのものに。


 太古の竜が一人の女を愛したことから始まった物語は、最後の”贄姫”ドロテアによって、終止符が打たれた。

 打たれた、はずだった。


 それは、世界を見捨てる選択だった。『お役目』を放棄し、神器の秘密も竜神の真実も全てを継承しないで、フロスト家の初代女当主として生きた。

 それで将来、世界が滅んでもいいと、ドロテアは考えた。


 ただ一人の人間を犠牲にして成り立つ世界の均衡に、何の価値があるのだろう。

 ――誰かが感謝してくれるわけでも、ないというのに。


 それはきっと、太古の竜から続く、全ての竜神がうっすらと抱いてきた共通認識だった。

 そして――例にもれず、僕もまた――……


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