第79話 竜の一族 (Side:アルヴィン②)
一つの夢が終わり、別の夢が始まった。
今度は――もっと、速かった。
◆◆◆
最初の夢で、”私”は一人の女だった。
「貴女は分家の誇りよ。次代の”竜神”となるべく、”贄姫”として立派に勤め上げなさい」
そういって、母に送り出され、宗家へと向かった。
”贄姫”――太古の神が愛したという、一族の”始まり”の娘に与えられた役割の呼び名。
生きた命として神の使命を支える存在を指したそれは、長い時を経て、次代の"竜神"の継承者に与えられる呼び名となっていた。
宗家が寄こした迎えに連れられ、豪華な邸宅へと招かれる。
裾の長い豪奢な衣装は、私には少し大きくて、とにかく暑くて歩きにくくて辛かった。
広すぎて居心地が悪い部屋で静かに待っていると、やがて、私とお揃いのような衣装を着た女性がやって来た。
「まぁ。貴女が、私の継承者? 今回は随分と幼いのね」
私の顔を覗き込む瞳は、目が覚めるようなアイスブルー。
「分家から”贄姫”が出るのは、百五十年ぶりくらいじゃないかしら。慣れるまで、宗家は居心地が悪いかもしれないけれど――貴女が竜の魔法を使えるくらい成長する頃には、きっと馴染むはずよ。わからないことがあったら何でも言ってちょうだい」
そんなのは、無理な相談だ。
宗家は、太古の昔に本物の”竜神”に力を与えられた源の家。世界に平穏をもたらすための『お役目』を担う、正真正銘”神の一族”だ。
分家は宗家のためにある――永遠に忠誠を誓うべし。
幼いころから叩きこまれた教えは、そう簡単に抜けるものではない。
「あの……私は、何をすれば、良いのでしょうか……」
長い袖口を掴んで、か細い声で尋ねる。掃除でも洗濯でも、何でもする――という気持ちで告げた言葉は、あっさりと裏切られた。
「貴女がするべきは、心と身体を健やかに成長させることよ」
当代の竜神は、優しい顔で告げた。
「太古の神の力を使役するには、人の身体は脆すぎるの。だけど、瘴気は待ってくれない。放置すれば、世界は崩壊へ向かいゆく――魔法の腕を磨き、正しい知識を身に付けて、丈夫な身体を作りなさい。……次の世代へ、世界を繋ぐために」
胸に手を当てる当代の掌から、蒼い宝石――”神器”が覗いていた。
太古の昔にいたという、本物の異形の”竜”の力が封じられているという、神の器。
器と共に、竜の力を使役することを許された我が一族は、何度も世界を救ってきた。
人ならざる力を使い、世界を導くのは、”神”の役目だ。
”神”は崇められ、畏れられる存在だ。我が一族は、世界一の栄華を誇る反面、誰にも理解されない孤高な一族でもあった。
「我々は、人の身で扱うには大きすぎる力を持っている。大きな力は、正しく使わねばならない。……貴女には、それを学んでほしいの」
竜の力をそのまま使えるのは、神器の継承者――”贄姫”だけだ。一族の者は、贄姫となりうる資質を持つが、神器を継承しない限り竜の魔法に比べれば随分と制約が多く不便な魔法しか使えない。
私も、例にもれずそうだった。
未だに、現人神と呼ばれる歴代の”竜神”となるだなんて、実感がわかない。
「私に――出来るでしょうか」
「出来るわ。心配しなくても大丈夫。……儀式で神器を引き継げば、これまでの”竜神”の全ての記憶と力を継承するから」
幼子にするように、ぽん、と頭に手を置いて、当代は少し寂しそうに微笑する。
よく見れば、顔がほんの少し蒼白い。光の加減かと思っていたが、気のせいではないようだ。
――”竜神”は、短命。
まだ若く見えるこの当代も、例にもれず、そうなのだろうか。
「まだ、貴女の名前を聞いていなかったわね。名前は?」
「私……私は――」
ザ……ザザ……
不快な雑音がよぎると同時、”夢”が急に暗転し、意識が遠ざかっていった。
◆◆◆
次の夢は、宵の口だった。"私"は、また、別の女だった。
疲労困憊で山の中を分け入ると、後ろの従者から気遣わしげな声が掛かった。
「竜神様。今日はもう――」
「いいえ。この先に、強い瘴気の澱みを感じます。今日の内に浄化をしなければ――核が魔物だったとき、移動されて、見失ってしまう」
”私”の返しに、従者は押し黙った。分家は宗家に忠誠を誓う――大昔から続く古い慣習は、今もまだ健在なようだ。
私は棒になった足を叱咤しながら、己の感覚を信じて歩を進める。
今から十年前――贄姫となり継承の儀を受けてから、歴代の竜神の記憶を引き継いだ。
最初に竜神と呼ばれた異形の神の孤独。神が愛した先祖の苦労。一族の繁栄の歴史と、太古から変わらぬ愚かな人間の醜い本性――
継承の儀を受けると、神器に封じられた竜の力を使える――それは裏を返すと、古代の竜と同じ境遇になると言うことだった。
瘴気を浄化し恐化によって滅びゆく世界を守る――その力を行使する度、身体は内側から蝕まれる。
竜と同じく、命を生きたまま喰らえば、長命になれるのかもしれないが、これまでの継承者たちは皆、そんな勇気を出すことは出来なかったようだった。
勿論、私たちとて指をくわえていたわけではない。
長い時間をかけて、竜の力を研究した。世界の構築を理解し、書き換え、再構築するための魔方陣。現実世界では不可能なことを可能にするための呪文の詠唱。――その二つを掛け合わせることで、一族の血を引く者であれば、竜の魔法の劣化版を使えるようになった。
恐化の予兆も、瘴気の気配も、感じ取ることが出来るのは継承者だけだったが、発生源を見つけさえすれば、分家の者でも浄化は可能だった。
だから、一族は支え合った。神の継承者である竜神を少しでも長く生かすために、一族の頂点に君臨する竜神を守った。
「見つけた――! あの花が核です――!」
「総員陣を展開! 近くに恐化した魔獣がいる可能性がある! 十分に注意しろ!」
忠実な従者たちが一糸乱れぬ統率で動き、浄化の魔方陣が描かれる。幸い、大規模な恐化は起きていない。呪文を唱えれば、淀んだ濃厚な瘴気は分解され、無へと還っていく。
ほっと一息をついて、私は疲れ切った身体を休めるように、近くの木の根元へ腰を下ろした。
「竜神様。お耳に入れたいことが」
従者の一人が、歩み出る。昔から忠実に仕えてくれる、若い男だ。
「何でしょう」
「周囲を警戒させていた者から、ここ数日以内で、何者かが魔物と戦った形跡がある、と」
「――……」
思わず押し黙る。
心当たりは、あった。
「やはり――先々代の時代に持ち出された文献を元に、一族以外の人間が我らと似た力を研究し、使えるようになったというのは、本当のようです」
「そう……みたいですね」
先々代の時代、分家の家に盗人が入った。盗人は金目のものには目もくれず、分家の人間が魔法の修行のために使う書物を根こそぎ持って行ったという。
――最初から、”魔法”の解明を目的とした犯行だった。
それ以来、少しずつ、変化が訪れた。
瘴気を感じて現地に赴くと、既に魔物が倒されており、人間が扱う武器で争ったとは思えない形跡が数々残されていた。
我が一族が使う魔法と比べれば、お粗末にも程がある威力だ。
どうやら、魔方陣と呪文を組み合わせる方法は再現できなかったらしい。
物理法則を元に世界を再構築する魔法と、不可能を可能にする魔法――その二つを切り離し、別々の理論として組み立て直したようだった。
「昨今では、我が一族を糾弾する動きもあるとか――」
「持たざる者による妄言です。特権を与えられすぎているなどと――不完全な魔法もどきでは、真の意味での浄化は出来ないと言うのに」
吐き捨てるように言う従者に、苦笑する。
不完全な魔法の理論を組み立てた者たちは、竜神の一族に権力が集中していることがどうにも気に入らないらしい。
新たな力を「黒魔法」と「白魔法」と名付け、竜の魔法と同じことが出来ると――竜の一族に頼らなくても、恐化から世界を守れると喧伝しているようだ。
「彼らは、瘴気を感じ取ることができません。完全に無に還すことができず、ただ瘴気を霧散させ、薄めるだけだとしても――感じ取れない者にとって、目に見える結果は、同じです」
「ですが――」
「対症療法としては、優れていると言えます。一度瘴気を薄め、地面に圧しとどめてくれるなら、私たちが向かうまでの時間を稼げる」
私は現実を受け入れ、そっと瞳を閉じる。
「我が一族だけで浄化をし続けるよりも、彼らが日々、こまめに脅威を退けてくれるなら――世界のためには、良いのかもしれません」
「竜神様!」
従者の鋭い言葉に、私は口を噤む。
宗家をはじめとして、太古の昔に竜から贄姫が賜った偉大な力は一族の誇りであると主張する者が多い。その力を卑怯にも盗み出した文献から秘密裏に研究し、我らを追い落とそうと画策するなど、言語道断だと言うのが一族としての総意だろう。
私は空を見上げる。
澄んだ空に満天の星が煌めいて、静かに成り行きを見守っていた。
竜の力は、行使者の犠牲ありき。大きな代償を支払う、不完全なものだ。
宗家と分家という仕組みを作り出し、少しでも”竜神”となる者の負担を減らそうとしてきたが、それを一族以外に広げることは、悪いことだとは思えない。
今はまだ、理解を得ることは難しいだろう。私の代で実現はするまい。
だが――
「ドロテアは……もう、眠ってしまったでしょうか」
「……もう、良い時間です。既に夢の中でしょう」
従者の言葉に、私は次代の”贄姫”となる幼い我が子の顔を思い出す。
当代の竜神の娘が”贄姫”に選ばれるのは、数百年ぶりだという。幼少期から天賦の才を持つと褒めそやされる娘だが、どうしても、我が子には苦労をさせたくない気持ちが先に立った。
私がいるうちに、この、醜い人間たちの権力争いに端を発した問題は解決してしまいたい。
後世には何の憂いもなく、周囲と手を取り合って、世界を導く存在でいてほしい――
瞬く夜空の星々を眺め、私はそっと祈った。
◆◆◆
――ドロテア、という響きに、”僕”の意識が微かに浮上する。
どこかで――聞いた、名だった。
世界で一番愛する誰かが、敬愛する人物の名だと、繰り返し口にしていたはず――
再び白濁を始めた意識の中、その名前だけを手繰り寄せながら、僕はまた、夢の底へと沈んでいった。




