第76話 歴史の真実 (Side:カルロ)
「構わないよ。座ってな」
供もなく一人で入ってきたその女性は、立ち上がりかけた俺たちをひと言で制した。
命令口調だが、威圧しているわけではない。ただ、そういう言い方しかしない人間なのだろう。
言われた通り腰を下ろしながら、俺はそっと相手を観察する。
五十は優に超えているだろう。白が混じった髪に、シンプルな濃紺のドレス。宝石は耳に小さなものがひとつだけ。余計なものを一切つけておらず、王都の貴族女性が好む華やかさとは、まるで無縁の出で立ちだ。
向かいに腰を下ろした彼女は、俺とシャロンを順に見た。品定めでも値踏みでもない――確認のための視線。自分の記憶と目の前の事実を照合する、静かで速い確認だった。
「まだるっこしいことは嫌いだ。さっさと本題に入ろうじゃないか」
貴族特有の時候の挨拶を省略し、彼女は悠然とこちらを眺める。
「竜神の血と神器を継ぐ娘――お前たち一族は、どこまで歴史の真実を引き継いでいる?」
マダムの静かな問いかけに、俺とシャロンは困惑の視線を返した。
「歴史の……真実……?」
シャロンは、困惑したように震える声で反芻する。
マダムは呆れたように嘆息し、腕を組んだ。
「なんだい。随分と警戒するじゃないか。もしかして、フロスト家とガードナー家が犬猿の仲だと思っているなら、それは芝居だよ。――こちらが一方的に演じてきた芝居だがね。ガードナーは本来、フロスト家に忠誠を誓う分家だ」
「え……」
シャロンが茫然とした声を上げる。
俺も一瞬、マダムの言葉の真意が読み解けず、軽く眉根を寄せた。
マダムは今更隠すことは何もない、と言うように腕を開いて言葉を続ける。
「フロスト家が、竜神の血を引く一族であることは、こっちも知っている。だが、”神器”はドロテアが”流浪の民の土地”に辿り着くまでの混乱の中で失われたと思っていた。近年のフロスト家の様子を見ても、歴史が伝承されている様子はない。……だから仕方なく、一年前、お前を攫って儀式を起こしたんだ」
「なっ――!?」
いきなり、事件の黒幕であることを白状したマダムに、俺もシャロンも衝撃を隠せない。
サッと顔色を変えて警戒を最大レベルまで引き上げるが、マダムは不可解な顔でこちらを見るばかりだ。
「私だって鬼じゃない。いくらなんでも、一人しかいないフロスト家の跡取り息子を巻き込むつもりなんかなかったさ。だから、予期せぬ展開になり、こちらとしても困っていた。どうしたものかと考えていたら、お前が暢気に神器をぶら下げて夜会に出てきたんだよ。たまげたなんてもんじゃない。そんなものがあるなら、もっと早く手の打ちようがあっただろう」
「ちょ――ちょっと待ってください!」
シャロンはマダムの言葉を遮る。本来ならマナー違反だが、構っていられなかったのだろう。
「何も――おっしゃっていることが、何もわかりません! じ、神器とは何ですか……!? フロスト家が、竜神の血を引くとは――!?」
「なんだい。そこから説明が必要なのか。全く……平和ボケもいい加減にしてほしいね」
やれやれ、とマダムは呆れたように頭を振る。
「もしかして、竜神教についても、世間で言われているような、胡散臭い宗教だとしか思っていないんじゃないだろうね?」
ぐっとシャロンが言葉に詰まるのを横目で見ながら、俺は代わりにフォローに入る。
「竜神教は、太古の昔――一般に、古竜と呼ばれる竜が誕生するよりももっと昔から存在した宗教だということは、調べがついています」
「ほう……?」
マダムは俺の方に視線を向けると、興味深そうに目を光らせた。
俺は、女傑の空気に飲まれぬよう、慎重に言葉を選んでいく。
「それはつまり、古竜よりも以前から、竜と呼ばれる存在がいたことの証明でもあります。そして、竜が使役する魔法は、今の魔法の元となった上位互換的な魔法であり、禁術は竜の”器”に選ばれなかった血縁者たちが、竜無しでも似た効果を得るために使役する劣化版であると、俺は結論付けました」
「なるほど。さすが、天才と呼ばれるだけのことはある。何一つ確からしい文献など残っていない今の時代に、そこまで辿り着けるとは、恐れ入ったね」
「……俺一人で辿り着いたわけではありません」
半分は、アーノルドの研究があったおかげだ。俺は苦い顔で返す。
それは約五年前、俺を含めて世界中の人間が馬鹿馬鹿しいと一蹴した研究だ。
あの変人が、地位も名誉も全て失っても追い求めたこの仮説が――今更、正しかったと証明されたことになる。
「”器”への魂移しの儀式が、人間を竜へと変えるための魔法だというなら、生贄となる人間は、儀式行使者の血縁でないとおかしい――その矛盾には、気づいていました。ですが、フロスト家は竜神教との関わりなど一切ないという。ならば、血縁者以外を”器”としての適性があるように身体を作り変えるような効果が、あの儀式にはあったのではと、俺は考えていたのですが――」
「半分正しくて、半分は違うね。魂移しの儀式は、適性がない者を適性があるように作り変える儀式であることは事実だが、竜神の血と完全に無関係の者では意味を成さない。ここでいう適性というのは――”神器”があるか、ということだよ」
「え……?」
隣のシャロンが小さく声を上げると、息をついてマダムは言葉を並べた。
「”器”とは本来、神器のことだ。竜神の器――読んで字のごとく、だろう? だから本来、竜の継承は、竜神の血を濃く受け継ぐ者が神器を身に着けて儀式に臨むだけでいい。神器さえあれば、人間を”器”に作り替えるための儀式なんて必要ない。竜神召喚の儀だけで事足りる。神器さえあれば、復活した竜神の力は、勝手に神器に取り込まれるはずだからね」
マダムの説明に、俺は眉根を寄せる。
「待ってください。先ほどから何度か言及されている”神器”とは結局何ですか? それに、竜を――継承?」
俺の疑問に、マダムは少し考えてから天を仰いだ。
「最初から説明した方が良さそうだね。……そもそも、竜とは、神器とは何か。恐化現象とは何か。竜神教がなぜ迫害の歴史を辿っていて、現代まで続く黒魔法と白魔法はなぜ生まれたか」
億劫そうに告げるマダムに、俺とシャロンは前のめりに頷く。
マダムから敵意は感じない。
彼女の話が聞ければ、アルヴィン救出の手がかりになると確信できた。
「お前たちも、自分なりに調べていたなら、竜神教の聖典くらいは読んだことがあるんだろう?」
「は、はい……集会の摘発で押収された原本ではなく、資料として写し取られた内容ですが……」
「そうかい。念のために持ってきてよかった」
シャロンの言葉に、マダムは部屋に入ってきたときに手にしていた分厚い本をこちらへ差し出す。
年季の入った装丁のそれは、かなり昔に作られたと思しき代物だった。
「それは、ガードナー家に伝わる歴史の全てを記した原本だ。竜神教の聖書の元になった内容だよ」
「なっ!?」
驚いて顔を上げる俺たちに、マダムは顎で本を指し示す。
「私が説明するより、読んだ方が早い。信じるかどうかはお前たちが決めればいいさ」
「……」
俺とシャロンは、一瞬だけ視線を合わせる。
ほんの少しだけ躊躇った後――
二人同時に、古びた表紙に手を伸ばした。




