第75話 虎穴 (Side:カルロ)
馬車の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ごくりと唾を飲み込む。
貴族の華々しいタウンハウスが並ぶ一角――その通りの、突き当り。
俺たちを迎えたのは、華美とは対極にある、重々しい鉄門だった。
装飾は最低限。壁面を彫り込む意匠も、門を縁取る鉄細工も、実用の域を出ない。美しさを求めるのではなく、威圧のために存在している――そういう種類の建物だ。
「ここが……」
シャロンが小さく呟いた。答えを求めているわけではないとわかって、俺は黙ってうなずく。
そう。ここが、謎の呼び出し状に記載があった住所――
東の名門、ガードナー家のタウンハウスだ。
◆◆◆
案内された応接室は、広くも狭くもなかった。
屋敷はまさに質実剛健。応接室だというのに、壁に絵画のひとつもない。調度は上等だが最小限で、居心地のよさを演出しようという気配が感じられない。それがここの流儀なのだろう。俺たちを案内した使用人は「しばらくお待ちを」と言い、扉を閉めた。
「とりあえず、座ろうぜ」
蒼白い顔のシャロンに声をかけ、促す。
気持ちはわかる。俺だって、柄にもなく緊張している。
夜会の休憩室に差し込まれた、差出人不明の呼び出し状。
竜の”器”。秘密。異形となった兄――初めて目にする、”神器”という言葉。
どう考えても、竜騒動について、俺たちが知らない何かを知っていると匂わせる表現だ。
事件の黒幕と思しき竜神教の上層部には、国内の貴族が関与しているはずと突き止めたのは記憶に新しい。
だから、夜会の手紙にタウンハウスが並ぶ一角を指定されたのは納得した。
だが住所を調べて、俺もシャロンも言葉を失った。まさか――誰もが知る名門・ガードナー家が関与しているだなんて、予想もしていなかった。
俺は視線を巡らせ、室内を一通り確認する。
窓は一か所。扉は入ってきた一枚のみ。壁に余計な出入口はない。
暖炉にはかろうじて息をつないでいる程度の火。長椅子と卓、壁際に書棚。
距離、高さ、重さ、材質――黒魔法は演算の魔法だ。万が一に備えて、全てを頭に叩き込む。
ここは黒幕につながる手がかりでもあり、同時に敵地のど真ん中である可能性が高い。
それも、国で一番の戦力を保有している貴族の腹の中だ。
「……落ち着いて待てばいい」
息の仕方さえ忘れていそうな横顔に向かって、根拠のない言葉を紡ぐ。
やっと、シャロンと正式に婚約出来ることになったんだ。何があっても、守り通す。
覚悟を示すように、膝の上で固く握られた拳に、掌を重ねる。
シャロンは少し息を詰めた後、そっと口を開いた。
「何故――……」
「ん?」
「どうして――ガードナーが……」
重ねた掌の下で、拳が小さく震える。
フロスト家とガードナー家が建国以来犬猿の仲だったことは、周知の事実だ。
もしも、一連の事件にガードナー家が関わっているとしたら、事件の発端となったあの日、シャロンが狙われた理由に意味が出来てしまう。
「……さぁな。まだ、ガードナーが黒幕と決まったわけじゃない。政争の延長の策謀にしては、影響力がデカすぎる。世界を混乱に陥れ過ぎだ。各地の恐化現象だけを取っても、被害が尋常じゃない。第一、ガードナー領にも現在進行形で被害が出てるんだろ」
「でも――」
「一応、今日はアルヴィンを救う方法を教えてくれるって口実で呼び出されたわけだしな。敵だと決めつけるには早いだろ」
もちろん、嘘の可能性も大いにある。それでも今は、シャロンを落ち着かせたかった。
「虎穴に入らずんば――ってな。大丈夫だ。俺がいる。お前を危険には晒さないと約束するし、アルヴィンも必ず助けてやる。言っただろう。絶対に、お前たちを生きて再会させてやるから」
「申し訳ありません。フロスト家のいざこざに巻き込んで――私はいつも、カルロに迷惑をかけてばかり――」
瞼を震わせ、か弱い声で謝罪するシャロンを笑い飛ばす。
「惚れた女の頼みを聞くのは、男の甲斐性だろ。俺はむしろ、どんどん頼ってもらえた方が嬉しい。大丈夫だって。ガードナーが私兵団を差し向けて来ようが、竜神教の禁術を使って攻めて来ようが、俺には効かねぇから」
シャロンはなお申し訳なさそうな顔をしていたが、小さく頷いた後、俯き口を噤んだ。
俺もそれ以上は何も言わず、ただ、婚約者の震える拳を包み続ける。
暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。
小さく弾けた火の粉は、すぐに消えた。息をつなぐのがやっとだった炎が、さらに細くなっていく。
――誰も、薪を継ぎ足しに来ない。
シャロンは俯いたままだ。時折、長い黄金の睫毛がかすかに揺れる。
何かを堪えているのか、あるいは頭の中で必死に整理しようとしているのか。
だが、その横顔は、緊張と不安を湛えてはいたが、芯の強さも同時に孕んでいた。
それもそうだ。呼び出し状に従い、誰にも告げずに一人でここに来ると決めたのはシャロン自身だ。
当然、俺は同行を主張した。
差出人は、俺とシャロンが休憩室にいると知っていたはずだ。当然、手紙の開封時に俺が立ち会うことなど織り込み済みだろう。ならば「誰にも言わず」という文言に、俺は含まれないはずだ、と説得した。
相手もシャロンに会いたい用事があるから呼び出したのだ。今や、フロスト家の次期女当主となったシャロンが、護衛もなしに来るわけがないと承知しているだろうし、俺の同行くらい目をつぶると踏んだ。
まったく、変なところで強い女だな、と小さく嘆息する。
そういうところにも惚れているから、強く苦言を呈することができないのが悔しい。
――どれくらいの時間が経っただろうか。
永遠にも思える静寂が、打ち破られた。
「――!」
廊下に足音が響く。複数ではない。
歩幅の間隔から察するに、小柄な人物――重さはないが、迷いのない、確かな足音だ。
――扉の向こうに、誰かが立った。
シャロンと二人、固唾を飲んで扉を見守る。
ゆっくりと扉が開かれ――
「……何だい、その顔は。失礼な奴らだね。別に取って喰ったりしないよ」
こちらの顔を認めて、来訪者は鼻で嗤い、しゃがれた声で言い放つ。
「マダム……ガードナー……!」
絞り出すようなシャロンの声が、狭くはない応接室に、震えながら響いた。




