第72話 往生際 (Side:カルロ)
シャロンが頷いた瞬間、頭の中でファンファーレが鳴り響く。
「シャロン――!」
衝動に任せて、力任せにシャロンの身体を抱きしめる。ちょうど曲が終わったタイミングだったからよかったが、仮に曲のど真ん中だったとしても、フロアの中央で立ち止まり、俺は同じようにしただろう。
「か、カルロ――!ひ、人目が――」
胸の中で真っ赤になって抵抗するシャロンの言葉も耳に入らない。他人なんて放っておけばいい。数年越しの念願が叶ったのだから、少しくらい感動に浸らせてくれ。
だが、さすが生粋の貴族令嬢は、こんな時にも貴族としての体面を気にするようだ。
「カルロっ……次の曲が始まってしまいます。早く移動しないと――」
「!」
次の曲、と言われてハッとする。夜会では、同じ相手と連続して踊るのはマナー違反だ。
もしここでシャロンを解放したら、彼女はあっという間にまた男たちに取り囲まれるだろう。
――そんなことは、させない。
「わかった。移動する」
「え? ――きゃ!?」
有無を言わさずシャロンを横抱きに抱え上げると、予期せぬ展開に彼女は目を白黒させた。
当然、周囲からはどよめきが起こったが、気にしない。シャロンが混乱で言葉を紡げぬうちに、当たり前のような顔をして、出口へ向かって颯爽と歩き出す。
今はただ、長年の恋の成就に浮かれさせてほしい。
大股で出口を目指すと、異様な光景に、自然に人垣が割れていく。
視界の端に、会場の端で一連の出来事を見守っていたであろうフロスト卿の姿が映る。
会場中の注目を集めている俺たちの様子に、額に手を当ててやれやれと疲れたような、呆れたようなため息をついているのがわかった。
俺は、フロスト卿にむけて、ニッと片頬で笑ってみせる。
――賭けは、俺の勝ちだ。
◆◆◆
あれは、シャロンの口から正式に婚約破棄を言い渡された日――指輪を突き返されてから後の記憶は、定かではない。
気付けば通夜みたいな空気の馬車の中でアーノルドと二人だった。さすがのアーノルドも、顛末を考えれば、声の掛けようもなかったらしい。車中には、石畳を踏み鳴らす蹄の規則的な音だけが無情に響いていた。
ぐるぐると、現実を受け止めきれない頭が、シャロンに浴びせかけられた言葉を反芻する。
ぐっと拳を握ると、冷たい指輪の固い手触りが掌に食い込み、これが夢ではないことを否応なく知らしめた。
――夢じゃない。現実だ。
フラれた。これ以上なく、きっぱりと。縋りつく余地など微塵もなかった。
元から、奇跡みたいな偶然が重なって持ち上がった婚約話だった。本来、俺みたいな身分の男が、結婚を望んでいい立場の相手じゃない。声を掛けることすら許されないような、そんな相手だった。
だから、仕方ない。
本来の関係に戻っただけだ。
シャロンは、家のために一番”利”のある男と結婚する。俺は、魔法職としては誰にも負けるつもりはないが、貴族社会で生き抜く力は皆無だ。今の俺に、シャロンが求める”利”は何一つ提供できない。それはついさっき、本人からも直接、滔々と説明されたばかりだ。
持ち得ないものを悔やんだって仕方ない。今更、生まれは変えられない。人は、生まれながらにして不平等なものだ。
本来は逆立ちしても叶わない相手を婚約者として過ごせた数年の思い出だけを胸に、これからは生きていくのだろう。
そう。だから――
「――仕方ない――?」
ぼそりっ……と口から零れ落ちた低い声音は、ぞっとするほど空虚に響いた。
「カルロ……?」
不穏な響きを感じ取ったアーノルドが、怪訝な顔で俺を覗き込む。
――仕方ない、の、だろうか?
――――本当に――?
ぐっと力を込めた拳の中、指輪が食い込む痛みで、思考がクリアになっていく。
「……身分」
「ん?」
「貴族としての身分。人脈。社交の力。領地運営。あとは――なんだ? 何があればいい?」
「か、カルロ……? ついに、気でも触れたか……?」
アーノルドが、引き攣った顔で心配するが、知ったことではない。
あまりの衝撃に、呆然としたまま意味あることを考えられなかった頭脳が、急速に回転を始める。
仕方ない――なんて言って、諦められるような想いなら、とっくの昔に切れていた。
シャロンと共に命を狙われた冬の日。
アルヴィンが竜になった日。
シャロンが自暴自棄に命を投げ出そうとした日。
ダミアンの暗示が揺らいだ日。
王都でフラッシュバックに苦しむ中、俺ではなくアルヴィンに助けを求められた日――
シャロンと共に生きることを諦める選択肢は、常に俺の傍に用意されていた。
そのたびに、一瞬たりとも迷うことなく、シャロンと共に生きることだけを選び続けて来た。
相手に好かれていた自信なんてない。魔法しか取り柄のない、粗野で礼儀知らずな移民の男など、用心棒としてしか見られないと言われて当然だった。
それでもよかった。シャロンと生きるために、偶然手にした奇跡を手放さないように、足掻き続けた。
だから――シャロンに直接フラれたからって、足掻きをやめない理由にはならない。
いつだって、俺が一方的に惚れこんで、勝手に守っていただけだ。婚約だって、無理矢理俺から持ち掛けた。
元々、叶うはずがない恋だったのだから、今更本人から別れを告げられたところで何も変わらない。
だから――足掻く。出来ることはすべてやる。どんなに無様でも、滑稽でも、それくらいしないと届かない高嶺の花なのだ。初めて逢ったときから、そんなことはよくわかっていた。
「とりあえず、叙爵を受ければ貴族位だけは手に入れられる。誰を後ろ盾にするか――人脈、影響力――すぐに使えそうなのは、ダミアンか」
「お前、何を言っ――」
「御者! すまない、行先変更だ! 今すぐ急いで魔塔に向かってくれ!」
「カルロ!?」
動揺したのは事実だ。積み上げて来た月日は、そんなにも簡単に崩せるものなのかと、俺に情のひとかけらもないのかと、目の前が真っ暗になった。
一瞬だけ、諦めかけた。
だが――指輪を握り締めたときに、気づいた。
あんなにも危険に巻き込まれやすい体質のくせに、彼女の身を完璧に守ってきた魔道具は今、俺の掌にある。
今のシャロンは、無防備極まりない状態だ。
このまま俺が引き下がれば――誰が、シャロンを守るのだろう?
将来の夫が、俺の代わりに守ると言うのか。
――冗談ではない。何も信じられない。
もしそれでシャロンが命を落としたら、俺は、一生後悔する。アルヴィンにだって、二度と合わせる顔がない。
「冗談じゃねぇ……俺は、往生際が悪いんだよ!」
持ち得ないものを悔やんだって仕方ない。それはその通りだ。
だが――これからそれを得るための努力をしない理由にはならない。
困惑するアーノルドを無視して、俺はどうしたら再びシャロンに結婚を申し込めるのかを全力で考えていた。
◆◆◆
そこから先は、目まぐるしかった。
魔塔でダミアンを呼び出し、レーヴ家の後ろ盾を得て叙爵を受ける算段を付けた。
当然、最初はベアトリスと結婚するように言われたが、それは突っぱねた。俺が結婚したいのはあくまでシャロンだ。結婚をしないでレーヴ家の後ろ盾を得るにはどうしたらよいかを話し合った。
勿論、無償でというわけにはいかない。俺の出せる交渉用のカードを幾らか場に出した。
まずは、今までフロスト領に独占させていた魔道具製造の権利の一部を、レーヴ家に移譲させることにした。フロスト家からすれば既得権益の譲渡だが、一方的な婚約破棄の慰謝料代わりだと言えば、話は変わる。
――案の定、フロスト卿は俺の案を飲んだ。
それから竜討伐における協力の約束も盛り込んだ。国一番の黒魔法使いが、何かあった時に領内を最優先に守ってくれるというのは、領主としても安心だろう。俺という強力な戦力を抱き込めることは、レーヴ領にとって”利”が大きい。
この有事に、この二つの”利”の提示は、十二分に強力な交渉カードだった。
その上で、俺は条件を付ける。
――これらすべては契約書で決められたビジネス上の取り決めとして行い、俺の結婚についてレーヴ家が口を出す権利は認めない。
トビアスは最初、渋った。ベアトリスと結婚させて、子供でも出来れば、関係性はより強固になる。契約書で縛るより、血筋と情でも縛り付けた方が、盤石だからだ。
だが、没交渉となるならば、俺は別の貴族を頼るだけだ。利権を他家に取られ、政界での勢力図が塗り替わる未来は、トビアスにとって悪夢だろう。
悩みに悩んだトビアスの背中を最後に押したのは、まさかのベアトリスだった。
レーヴ領に滞在したときから、シャロンのことを一方的にこっそりと「お姉さま」と呼ぶほど慕っていたベアトリスは、俺とシャロンの仲を応援してくれていた。ベアトリス自身も、俺と結婚することは本意ではなかったのだろう。これまでに仲を育んできた第三王子との婚約を復活させたいとトビアスに訴えた。
結果として、フロスト卿が身元保証人として立ち、レーヴ家が後ろ盾となることで、俺は叙爵を受けることになったのだ。
「……本気で、まだ、シャロンと結婚する気なのか?」
「勿論です」
王都入りをした直後のフロスト卿を呼び出して話をまとめたときに、呆れたように問われたが、俺は真剣な顔で答えた。
「シャロンは、既に別の縁を探している。叙爵を受ければ君自身にも、たくさんの縁談が舞い込むだろう。わざわざ、”利”のない相手を選ばなくても――」
「俺は、シャロンがいいんです。たとえ何度フラれたって、死ぬまで言い続けますよ。俺は本気です」
か弱く見えて、実は誰より芯が強いシャロンが好きだ。
底抜けに優しいシャロンが好きだ。
彼女の生涯で唯一無二の存在になりたいと、心から思う。
「……協力は、出来ないぞ」
「わかっています。自力で口説くつもりですから、ご心配なく」
きっぱりと言い切った俺に、フロスト卿は大きくため息をついてから、首を振って呆れたようだった。
「シャロンは、ああ見えて生粋の貴族だ。幼いころから、貴族の心得を叩きこんだ」
「存じています」
「そんなシャロンが、この期に及んで君を選ぶとは思えない。随分と、分の悪い賭けを好むのだな」
「人生を賭けた博打ですから、勝算が低いことなど百も承知です」
俺はまっすぐにフロスト卿の目を見て、一枚の書類を差し出す。
「その代わり、賭けに奇跡的に勝てたら――もう、反対は聞きません。シャロンが俺と結婚してもいいと言ったなら、必ず認めると、約束してください」
将来の義父になるかもしれない男に差し出したのは、誓約書。――シャロンが結婚に同意するなら、決して異を唱えないという内容だった。
「まったく……度し難い男だ」
フロスト卿は何度目かの呆れたため息をついてから、観念したように誓約書にサインをしたのだった。




