第67話 笑顔 (Side:シャロン)
婚活の場でもある夜会では、相手を探す必要のない者は後から入場してくるのが常だ。
入場者の顔ぶれが既婚者ばかりになってきて、そろそろ夜会が始まる予感がする。
正直なところ、既に逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだが、そうも言っていられない。
「シャロン、大丈夫か?」
「はい、お父様」
笑顔が引き攣ってきたのか、心配そうに父が私を覗き込む。
フロスト家は今、政界で微妙な立ち位置にいる。数々の陰謀が渦巻く社交界の波にのまれぬよう、気を張り過ぎているのかもしれない。
父と共に、結婚適齢期の相手がいない貴族令息たちを狙って挨拶を繰り返したが、誰もが、私を見て少し驚いたような顔をしてから、ペラペラと軽薄なお世辞を口に出した。
「フロスト卿も人が悪い。これほど美しい令嬢を、これまで一切表に出さずに隠しているとは」
「まさかこの歳になって一目惚れというのを信じる日が来ようとは――ぜひファーストダンスの栄誉は私めにお任せを」
貴族は二枚舌を使い分けるのが当たり前。歯の浮くようなお世辞も、社交辞令とわかっていれば流せる。
だが、礼節の裏にある男たちの下卑た視線を敏感に感じ取るたび、身体は強張った。父はそれを察すると、さりげなく挨拶を早く切り上げ、その場を離れてくれた。
「めぼしい家の男にはだいたい顔を売れた。ダンスが始まるまで、少し休もう」
「申し訳ございません……」
「構わないさ。人見知りで男性に苦手意識のあるお前が、今日はよく頑張っている」
父は手を挙げて合図を送り、飲み物を確保してくれる。
手渡されたグラスに口を付ければ、アルコールの入っていない果実水だった。酸味が喉を通り抜けると、いくらか気がまぎれた。
見知らぬ男性は、怖い。――何か危害を加えられそうで。
だが、父の影に隠れてばかりいるわけにはいかない。女当主となった暁には、一人で彼らと渡り合わなければいけないのだ。
私はそっと胸元の首飾りに手を当てて、深呼吸する。
――その時だった。
「――これは、フロスト卿。それから、シャロン嬢も」
後ろから掛かった声に聞き覚えがあり、一瞬、背筋が伸びる。
急いでグラスを置いて振り返った。
「御挨拶が遅れて申し訳ございません。レーヴ卿におかれましては、ご機嫌麗しく――」
「そう畏まらないでくれ。知らぬ仲ではないのだから」
深々と礼をする私を制したのは、紫水晶の瞳を持つ北の大領主――トビアス・レーヴだった。
美しい奥方を連れて、かっちりとした礼服に身を包み、優しく微笑んでいる。
父も礼をして挨拶をすると、すぐに先日のレーヴ家滞在の礼を述べた。
「先日は、娘が大変世話になりました」
「こちらこそ。御令嬢と一緒にカルロが滞在してくれたおかげで、我が家と彼との縁が出来たのだから、感謝してもしきれない」
ズキンっと胸の奥が痛むが、顔には出さない。
――もう、カルロは、ベアトリスのものだ。
彼らの関係は公のもの。元婚約者の存在など、疎ましいだけだろう。
かの大貴族レーヴ家を敵に回してよいことなど、何もない。
私は幾重にも仮面をかぶって笑顔を保った。
「シャロン嬢の男装は、うちの愚兄が魔法をかけたせいと聞いていましたが――男装でも隠し切れない美しさでしたが、今日のように華やかな装いをしていると、改めて彼女がフロスト卿が必死に守って来た深窓の令嬢であることを実感します」
「勿体ないお言葉です」
父の恐縮に合わせて私はもう一度頭を下げる。暗示のせいで家格が上の方にまで茶番を強いてしまったことは本当に申し訳なく思っている。
そのまま当たり障りのない時候の挨拶を経た後、その話題に触れないのもいかがなものかと思ったのだろう。
父は、タイミングを見計らって切り出した。
「ところで――カルロは、うまくやっているでしょうか?」
ドキリ、と心臓が音を立てた。
「あぁ――そうですね。今は、レーヴ家のタウンハウスに滞在していますよ」
チラリ、とレーヴ卿の紫水晶の瞳がこちらを向く。
わかっていたから、凪のような静かな微笑みで受け止めた。
一拍置いて、レーヴ卿は続ける。
「レーヴ家の庇護下に入るわけですから、相応の振る舞いを身に着けてもらわなければならない。以前は粗野な言動も多く見られたので心配していたのですが――驚きました。貴族社会に急に放り込んでも違和感がない程度の礼儀作法は、完璧に身に付いていましたよ。尋ねれば、シャロン嬢との婚約期間に、彼女の隣に立つ男として恥ずかしくないようにと、御子息に徹底的に叩き込まれたのだとか」
……笑え。
「叙爵を受けると決めてからすぐに貴族名鑑を見せるよう要求されたのですが、わずか一晩で完璧に暗記してみせたのには、舌を巻きました。建国史上類を見ない天才と評判を更新し続けているだけのことはある。魔道具の話、恐化の話、竜の話――フロスト家との婚約破棄の噂も含め、彼に直接聞きたい話は山ほどあるので、社交場に連れて行っても大人気ですよ」
――――笑え。
背筋を伸ばし、胸を張って。
私は一分の隙も無い笑顔を保ち続ける。
「彼の性格上、社交など煩わしいと一蹴するかと思いきや、貴族名鑑を片手にベアトリスに各貴族の勢力図を解説させて、社交界を上手く渡り歩いています」
「そうですか。まぁ……元来、コミュニケーション力のある男ですからな。目的達成のためには脇目もふらず尽力出来る男でもあります」
父が控えめに肯定する。それはきっと、父の本音だ。
私と婚約してからの彼の振る舞いを見てきた父は、カルロを高く買っていた。
そうでなければ、事件後もっと早く、父は強引にカルロとの婚約を破棄していたはずだ。
彼が努力を欠かさない天才であり、評価に値する一人の男だと認めていたからこその、一年の猶予だったのだ。
「ところで、当のカルロ本人の姿が見えませんが――」
「あぁ、もうすぐ来るはずですよ。今日は、昼間にベアトリスが王宮に呼ばれていましたので、入場はギリギリになると言っていました」
相手に気付かれないよう、唾を飲み込む。
腹の底に石を詰め込まれたように気が重い。
レーヴ卿が何気なく入口へと視線を遣った時だった。
「カルロ・ファレス卿と、ベアトリス・レーヴ嬢のご入場です――!」
「――!」
タイミングを見計らったような声が響いて、一瞬、息が止まる。
ドクドクと不穏に喚く心臓を抑え、ゆっくりと入口へと視線を向けた。
開かれた大きな扉から入場した二人は、通例通り会場に向かって礼をする。慣れた仕草は、デビューしたての初々しさなど微塵も感じない。
顔を上げたカルロが身に着けている衣装に、胸が刺し貫かれるような痛みを覚えた。
「……ぁ――」
深い深い夜を閉じ込めたような衣装は――いつか、私とのデビューのためにと仕立てたもの。
動くたびに漆黒の合間に覗く深紅が目を引いて、長身の彼を華やかに彩る。
――見間違える、はずがない。
何度も、一緒に打ち合わせをした。完成した衣装を間近で見た。
この遠目ではわからないが、きっと襟元と袖口には、おそろいにした蔓草の刺繍があるはずだ。
「まぁ……見て、あれが噂のカルロ・ファレス様よ」
「嘘。思った以上の美丈夫だわ」
「漆黒の礼服なんて、初めて見たけれど――驚くほど素敵ね。彼のために仕立てられた一着だってわかるくらいに、似合ってる――」
ざわざわと令嬢たちが噂するのが微かに耳に届く。
――ほら、やっぱり。
心配することなんてなかったでしょう、カルロ。
貴方のその姿を嗤う人なんていない。
格好良さに見惚れて、ため息を漏らす令嬢がこんなにたくさんいる。
ベアトリス嬢をエスコートしながら階段を降りてくる彼は、堂々とした足取りだ。ロデスの上流階級出身の賓客だと言われても信じるくらいに。
エスコートを受けるベアトリス嬢もまた、臆した様子もなく、自然な足取りで彼に寄り添っている。
彼女が身に纏うのは、瞳に合わせた美しい紫色の衣装だった。動くたびにふわふわとチュールが揺れて、まるで妖精のような可憐さを演出する。
男性に合わせた色のドレスを着るのは、デビューの時だけの通例だ。
今日、紫色の衣装を選んだということは――もう、カルロとは数え切れないくらい、夜会に参加しているのだろう。
「……シャロン」
隣の父が、少し気遣わしげな声を上げる。
私は、再び頬に力を入れて笑顔を作り、レーヴ卿に向き直った。
「レーヴ卿がおっしゃる通りですね。誰も、文句のつけようのないお二人です」
「シャロン嬢――」
「ですが、そうですね……早く、新しい礼服を仕立てるように、彼にお伝えください。女心のわからない無粋な男、と揶揄されてしまいます」
わかっている。私との婚約破棄からの期間を考えれば、一から衣装をオーダーして作る時間など無かった。王家主催のシーズン一番の夜会に、既製品で参加するなど出来なかった事情はわかる。
だが――だからといって、元婚約者とのデビューのために仕立てた服を、本人が参加するとわかっている夜会に着てくることはないだろうに。
「御心配をおかけするといけませんので、改めてお伝えします。私とファレス卿との間には、もはや何の繋がりもありません」
「……」
「束の間、レーヴ領に滞在させていただいた御恩もあります。ベアトリス嬢にも大変良くしていただきました。お二人を心から祝福することはあれど、何か思うところなどあるはずもございません。私も、今宵は別の良縁を探しておりますから」
きっぱりと言い切る。――私はちゃんと、笑えているだろうか。
「やましいことなど何一つございませんが、とはいえ、私が視界に入れば、ベアトリス嬢の御心を煩わせるでしょう。ファレス卿も、気まずい想いを抱かれるはず。……ご安心くださいませ。決してお二人には近づきません」
一方的に告げて、私は頭を下げる。
「私はこちらで失礼いたします。直接申し上げられず恐縮ですが――お二人の幸せを心より祈っていると、お伝えください。……参りましょう、お父様」
レーヴ卿は、少し驚いた顔をしていたが、構わず父を促す。
ぐずぐずしていては、ベアトリス嬢とカルロがレーヴ卿のところへ来てしまうかもしれない。
鉢合わせるのは御免だ。――誰も幸せにならない。
「そうだな。……では、レーヴ卿。これにて失礼いたします」
「あ、あぁ……」
踵を返した視界の端に、会場中に注目されている二人を捉える。ちょうど階段を降りきったところへ、彼らに話しかけたい貴族たちが押しかけていた。
階段を降りたカルロは、押し寄せる貴族たちに少し面食らったように目を見開いた後、せわしなく周囲に目を走らせる。
貴族名鑑と政界の勢力図を全て頭に入れたというくらいだ。自分にとって一番利のある人間から話をしようと考えているのかもしれない。
私は、すっと視界から彼を締め出す。そのまま、彼らに近づこうとする人の波に逆らうようにして、彼らの視界からも逃れるのだった。




