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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第六章

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第66話 女傑 (Side:シャロン)

 足を踏み入れた夜会会場は、まるで現実味のないような世界だった。

 天井から放たれる煌々としたシャンデリアの灯りは、昼間と錯覚するほどに明るい。さりげなく周囲を見渡せば、誰も彼もが奇異の視線を隠しもせずにこちらに向けて、ざわざわと何かを囁き合っている。貴族たちの入場を邪魔しない程度のバックグラウンドミュージックが、心無い噂話を程よくかき消してくれた。


 覚悟を決めてゆっくりと広場に歩み出ると、少しずつ言葉が耳に入ってくる。


「見て。あれが例の、シャロン・フロスト嬢よ」

「まぁ……社交シーズン直前に、カルロ・ファレス卿と婚約を破棄したという?」

「破棄、なんて言っても本当は、ファレス卿に捨てられたのではなくて? そうでなければ、フロスト家の令嬢ともあろう方が、これ見よがしに大きな宝石をぶら下げ、この歳で婚約者も付けずにデビューだなんて……」

「そもそも、本当にフロスト家に令嬢がいたことが驚きですわ。存在だけは噂されているものの、頑なに公の場には出ていらっしゃらない引きこもり令嬢との噂が――」


 悪意が混じった言葉が飛んだ途端、チラリと父が視線だけを動かすと、ピタリと声が止む。

 露骨に制止するほどではないが、下位貴族に無礼を許すつもりはないという意思表示だ。

 

「シャロン。気にするな」

「えぇ。大丈夫です」


 やはり、カルロとの婚約破棄の話は、社交界で格好の話題となっていたようだ。父母が今日までに根回しはしてくれただろうが、覚悟はしていた。

 

「耳をわずらわせる妄言は、全てお前が美しすぎるあまりの嫉妬だ。誰が何と言おうと、今日この場にいる令嬢たちの中で、シャロンが一番美しいよ」

「ふふ……お父様は、本当に親馬鹿ですね。お兄様といい勝負です」

「……流石に、アルヴィンには負けるさ」

 

 鼻の頭に皺を刻んで、父は苦い顔をする。

 そのまま、自然にエスコートをして歩き出した。


「ダンスが始まる前に、挨拶をしておくべきところを回ろう。貴族名鑑は頭に入っているか?」

「はい」


 ぐっと胸を張って答える。胸に輝くドロテアの涙に恥じない、凛とした次期女当主としての顔を見せなければいけない。


「お前に声を掛けようと待ち構えている男たちがいる。余計な男には構うな。付け入る隙を与えるなよ」

「わかっています」


 小声でやり取りをして、歩き出す。

 男性優位でダンスの相手が決まってしまう夜会では、意中ではない男性には隙を見せてはいけない。逆に言えば、誰に声を掛けられる隙を演出するかが重要だ。


 父は、まずは同格の貴族たちが集まるエリアに足を向けようとして――


「――フロスト卿。少し、話を、いいかい?」

「――!」


 横手からしゃがれた声が飛んで、思わず息を呑む。

 父も驚いたようだ。目を見開いて、声の主を振り返る。


 そこに立っていたのは、かなりお年を召した女性だった。皺の刻まれた顔は、これまでの人生の苦労を物語るようだったが、鋭い眼光は権謀術数渦巻く社交界を生き抜いてきた百戦錬磨の光を宿している。しゃんと伸びた背筋も、年齢に相応しい威厳を醸し出す装いも、彼女が名門の出であることを容易に想像させた。


「これは……マダム・ガードナー。貴女からお声をかけていただけるとは、思っていませんでしたよ」

「――!」


 父の口から飛び出した言葉に驚きながらも、何とか顔には出さないように努める。

 それは、ついさっき、会場に入る前に噂していた東部貴族の名門の名だ。


「私だって、アンタが奥方か嫡男を連れていつも通りにしてたなら、声なんてかけなかったさ。……今日は、珍しい相手を連れてるようだから、ちょいと、ね」


 年齢とともに低くなった中性的な声だが、凛とした強さが滲む不思議な響きは衰えを知らない。

 私は貴族名鑑で見たガードナー家についての記載を思い出す。

 マダム・ガードナーの伴侶は、確か若くして流行病で亡くなっている。彼女は再婚もすることなく女手一つで幼い息子を育て上げた。その間に幾度か起きた国境をめぐっての小競り合いも、一度も譲ることなく全てを退けたという女傑だ。

 現在は息子が家督を継いでいるはずだが、マダムの威光は未だ衰えず、社交界での影響力は大きいと聞く。


 実は昔から、フロストとガードナーは仲が良くない。

 発端は、ドロテアの時代――王国がフロスト領に振りかざした軍事力が、ガードナー家のものだったからだ。以来、近年の魔道具の利権を巡る対立まで、理由は多岐にわたるが、関係が好転したことは一度もない。

 マダムから見れば、父など子供みたいなものだろう。家格は同格程度だとしても、少し乱暴な口調で父に話しかけたのは、彼女の性格だけではないかもしれない。


「娘なんだろう?」

「はい。……シャロン、ご挨拶を」

「はじめまして、マダム・ガードナー。シャロン・フロストと申します。以後、お見知りおきを……」


 ドレスを軽く摘まんで礼をする。まさか、夜会で最初に挨拶するのが、国内で最も対極にいる――敵対していると言ってもいい――ガードナー家の女傑だとは思わなかった。

 内心の動揺を悟られないよう、貴族の仮面をしっかりと被り直して顔を上げる。

 マダムは、値踏みするように私を頭からつま先まで眺めた後、胸元で視線を止めた。


「フン……デビューしたての小娘が身に着けるには、分不相応な首飾りじゃないかい? そんなギラギラした宝石、一度見たら忘れないが、奥方が着けているのも見たことがない。わざわざ、娘のデビューのために買ってやったのかい?」


 歯に衣着せぬ言葉には、この国の非常時に娘のために散財する愚かさをなじるような響きがあった。

 父は笑顔のまま一瞬どう切り返そうか迷ったようだが、正直に話すことにしたようだった。


「これは、我が家に伝わる家宝なのですよ」

「家宝?」

「はい。初代当主ドロテアが大切にしていたという歴史ある首飾りです。女当主となる者だけが身に着けることを許される特別な宝飾なので、今回、シャロンに譲り渡しました」

「初代の女当主……」


 なおも宝石に注がれる視線に、私も笑顔で言葉を添える。


「私のような若輩者に相応しくないというのは、おっしゃる通りです。少しでも早く、この宝飾に見合う女当主になれるよう、研鑽を積んでまいります」

「……フン。アンタみたいな小娘に何が出来るか知らないが――まぁいい。せっかくの夜会だ。こっちも、一人、紹介をしておこうか。……おいで、ハロルド」


 マダムがくいっと顎で後ろに合図をすると、それまで気配を消して立っていた男が、ぬっとあらわれた。

 急に現れた壁のような大柄な男に、思わず目を瞬く。


「……ハロルド・アシュビーです」


 低い声で言葉少なく名乗り、礼をする。

 顔に刻まれた複数の古傷と身体の分厚さから、生粋の貴族ではないことはすぐに分かった。

 傭兵として各地を回っていたからよくわかる。この筋肉の付き方は、実戦で鍛えられたものだ。相当な手練れだろう。


「ぁ……シャロン・フロスト、です……」


 一瞬あっけにとられた後、急いで挨拶を返す。父も、予想外だったのだろう。珍しく驚いた様子で息を呑んでいた。


「ハロルドは優秀な戦士でね。数々の武勲を打ち立てた褒美に、数年前、叙爵された男だ。いい女を探してるんだが、この顔と武骨な性格、出自のせいか、全くモテない。せっかく叙爵のときにガードナー家の庇護下に入れてやったっていうのに、不甲斐ない限りだよ」

「ま、マダム……まさかとは思いますが――」


 父が、引き攣った声を出す。

 マダムはニヤリと笑って私を見る。


「ちょうどいい。アンタの娘は、元々ロデスの移民と婚約してたって言うじゃないか。出自なんて気にしないだろう?」

「っ……」

「一人で小国くらい滅ぼせるとまで言われた天才カルロ・ファレスほどじゃないけどね。ハロルドも小隊くらいなら一人で潰せる腕っぷしの強さがある。お嬢ちゃんを守るくらいなんてことはないさ」

「ま、待ってくださいマダム――」

「元平民だから、貴族の結婚適齢期なんて気にしない。十六にもなって相手もいない娘でも、気にはしないよ」


 アシュビー卿は、後ろで言葉少なくこくりと頷く。

 私は思わず父を横目で見た。


 マダムの言いたいことはわかる。アシュビー卿を私に押し付けることが出来れば、ガードナーにとってはこれ以上ない成果だ。

 軍事力を提供して、恐化現象の対処に力を貸すとでも言えばいい。代わりにフロスト領で製造を独占している魔道具を融通しろと要求すれば、見返りは十分すぎるほどだ。戦争が起きれば、フロスト領から優先的に兵糧を融通させることも出来る。

 それを、ガードナー家の庇護下にある男――一族の血を引く男ではなく、あくまで庇護下に置いた新興貴族という建付け――を差し出すだけで叶えられるなら、万々歳だろう。

 さすが女傑と呼ばれただけはある。建国以来険悪な関係の相手にも臆せず声をかけ、誰よりも早く話をまとめにかかっている。


「マダムも人が悪い。まだ夜会は始まったばかりですよ。娘の大事なデビューです。ゆっくりと選ばせてやってください」

「フン。このアタシの誘いを断るのかい? ガードナー家とつながる機会を、みすみす逃すと? 建国以来、初めて巡って来た、チャンスだろう?」


 ぐっと息を呑む。

 社交界でも影響力の大きなガードナー家を味方に付けられるのは大きい。フロスト領が最も弱い軍事力を補えるというのも、魅力的だ。


「はは、もちろん、拒絶しているわけではありませんよ。ですが、私はこう見えて、意外と親馬鹿なのです。世界一美しく着飾った娘をもう少し、自慢して回りたい。ダンスタイムになったら、その時にぜひ誘ってください」

「……フン。まぁ、いいだろう」


 鼻で息を吐いて、女傑はいったん引き下がってくれたようだった。

 内心でほっと息を吐いて、私は父と一緒にその場を離れる。


「お父様……まさか、例のクイズは、これを予見して……?」

「そういう男がいることは頭にあったさ。だが、声をかけて来るとは予想外だった。まさか、あのガードナー家が……」


 父の横顔は固い。まだ緊張が抜けていないようだ。

 マダムに声を掛けられることからして、本当に、寝耳に水だったのだろう。


「まさかとは思いますが、クイズの題材になった二人目の男にも心当たりが……?」

「……モデルにしたのは、いるな。今も、鼻の下をだらしなく伸ばして、お前を舐めるように見ている男が右手にいるだろう」


 父の押し殺した声に視線だけをさりげなく動かす。

 ――いた。本当に。


「……ぅ……」


 明らかに不埒なことを考えているとわかるだらしのない顔で、うずうずとこちらに声を掛けようと機を窺っている男に、思わず怯んだ声が出る。


「題材にしておいて何だが、実物を前にすると、酷く不愉快だな。アレは後回しだ。なるべくなら愛娘に近づけたくない部類の男だ。……アルヴィンなら、妹に下卑た視線を投げるなとこの場で斬りかかっていてもおかしくない」


 嫌な視線にさらされ、背筋が寒くなる。

 いつだって、私を危険な目に遭わせる男たちは、ああいう目をしてこちらを見てきた。少しでも隙を見せたら、乱暴をされてもおかしくない。

 パッと視線を外して相手の男の視界から外れるように背を向ける。

 

 危険には、なるべく近づかないことだ。

 どんなことがあっても傍で守ってくれる人はもう――兄もカルロも、隣にいてくれないのだから。


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