第64話 デビュー (Side:シャロン)
高位貴族の社交デビューは、王家への謁見から始まる。
王家に謁見するためには、準備と人脈と信頼が必須だ。成金貴族は莫大な金を動かして地位にそぐわぬ機会を得ようとするが、フロスト家のように歴史ある家は、娘のデビューだと言えばすんなりとお目通りが叶う。とはいえ、最近ずっと両親が忙しそうにしていたことを考えれば、そう簡単なものでもないのだろうが。
今日は、王家主催の大掛かりな夜会がある日だ。娘のデビューをそこにしようと考える貴族は多かったのか、広間で謁見を待つ者たちは、エスコート役も含めると百人はいたのではないだろうか。
謁見を終えれば、夜会会場へ移動だ。結婚相手探しの場は、夜会が本番。
会場へ移動する際、隣の父がそっと声をかける。
「緊張しているか?」
「お父様……」
謁見の時から、言葉少ない私を案じたのだろう。
いつもは娘に甘い一人の父親だが、社交の場で見る彼は、風格と威厳が満ち満ちている。隙を見せるな、という彼自身の言葉を体現しているかのようだった。
「少しだけ……でも、大丈夫です」
「そうか?」
「はい。奇異の目で見られることは、覚悟しておりましたから」
謁見の間に赴いたときのことを思い出しながら告げる。
名前を呼ばれた瞬間、ざっとその場の全員の視線を集めたのが分かった。
この一年、社交界を様々な話題で楽しませたであろうフロスト家――竜騒動の元凶となった、娘のデビューだ。
しかもそれは、これまで名前しか表に出てこなかった、引きこもりの令嬢。
その上、十六にもなって、婚約者の一人も立てられないまま父を伴ってデビューするという格好の話題を提供したばかりだ。
じろじろと不躾な視線を向けられることは覚悟していたが、実際にその視線を受けたときは、一瞬足が竦みそうになった。
隣で父が支えてくれていなかったら、俯いてしまったかもしれない。
「奇異……か」
「えぇ。きっと、この後の夜会でも、同様の視線を受けるでしょう。でも、今度は大丈夫です」
「ふむ……」
父の言葉を再び心に刻んで、前を向く。
私は、良い伴侶を見つけなければならないのだ。この先待っているであろう心無い噂話や、下劣な策略に翻弄されている暇はない。
――かつての婚約者が視界に入ったとて、心を揺らすこともない。
「お前を箱入りに育ててしまったことは自覚しているが――先ほどの視線を、”奇異”と捉える感性は、少し心配だな」
「え……?」
「老若男女問わず、皆、お前を見て美しさに声を失っていただけだよ。今日のシャロンは、本当に、世界で一番、美しい」
感慨深そうに目元を緩める表情は、いつも家で見る優しい父親の顔だった。
一瞬驚いて――私の緊張をほぐそうとしてくれていることを悟り、ほっと心が緩む。
「まぁ……お父様ったら。親の欲目にも程があります」
「そうだろうか? アルヴィンがいたら、こんなにきれいなシャロンを、狼の巣窟とも言える夜会に放り込むなど絶対に嫌だと、暴れたと思うが」
「もう……ふふっ……ありがとうございます」
父の言葉に呆れながらも、気持ちだけはありがたく受け取る。
とはいえ、こんな行き遅れの令嬢に見惚れる者などいるはずがない。
レイアをはじめとした侍女たちが精いっぱい着飾ってくれたのは事実だ。私史上最高に美しくしてもらったと思っている。それでも、先ほど謁見の間で見た少女たちは皆、結婚適齢期の初々しい愛らしさを備えた可憐な花ばかりだった。こんな、しおれかけの花を気に入ってくれる者など本当に存在するのかと、心がくじけそうになったほどだ。
私が本気にしていない様子を見て取り、父は少し困った顔をしたが、一つ咳払いをして話題を変えた。
「夜会会場に着けば、気を抜くことは出来ない。父として声を掛けられるのは今だけだ。だから、聞こう」
「はい、お父様」
素直に返事をすると、切り出しにくそうに逡巡した後、父はゆっくりと口を開いた。
「……カルロのことは、本当に良いのか?」
「――……」
声を押さえて問われた言葉は、どこかで予測していた気がする。
タウンハウスでどれほど強がっても、気丈に振舞っても、周囲はいつもどこか腫れ物に触るように私に接した。必死に見て見ぬふりをしてくれる従者たちの間には、ぎこちなさが常に流れていたし、母はいつも私の本音を窺うような視線をしていた。
心配をかけていたのだろう。
私は静かに首を振った。
「もう、終わったことです」
「シャロン……」
「先ほど、謁見の場にベアトリス嬢の姿はありませんでした。もう、社交デビューを済ませているのでしょう?」
「……あぁ。社交シーズン開幕直後の大きな夜会で、すぐに」
「やっぱり」
吐息だけで笑おうとするが、気が抜けた情けない音がするだけだった。
社交シーズンが始まってすぐに――つまり、私がカルロに正式に別れを告げてから、僅か二週間足らずで話をまとめたということになる。
移民を大貴族の家系に組み込むなどという、前例のないはずのことを。
カルロはきっと、私に別れを告げられた瞬間、すぐさまレーヴ家に以前の話を進めてほしいと申し入れたのだろう。
「カルロは昔から、貴族の後ろ盾を必要としていました。私にも、ビジネスの関係だと言い放ったくらいに」
「何……!?」
「いいのです。当然だと思います。……より良いビジネスの相手が見つかったのなら、本当によかった」
目的がはっきりしたら、相手が誰だろうと頭を巡らせ、取れる手段すべてを取って、あっという間に最短の道をまっすぐに進む。その強さは、昔から変わらない。
私との婚約破棄は、彼の歩みを一時的にでも止めるようなものではなかったのだ。
自分から手酷く別れを告げたくせに、ベアトリスとすぐに婚約をしたと知れば動揺するような私とは、前提が違う。
貴族の結婚なんて、そんなもの――偉そうに何度も彼に説教した癖に、今更私が、何を言うのだろう。
「私は自分の意志で、彼と共に歩む道を選ばなかった。彼も、今は別の道を歩んでいる。わだかまりなどありません。……ベアトリス嬢と、少し気まずくなるかもしれないのは、寂しいですが」
「シャロン……」
引き籠っていた私は、令嬢同士の横のつながりなど無かった。”アルヴィン”として振舞っていたとはいえ、ベアトリス嬢は初めて対等に、気安く話が出来た貴族令嬢だ。気が強いところや少し幼さが残るところはあるけれど、貴族令嬢としては尊敬すべきところも多かった。恋敵だとわかっていたはずなのに慕ってくれて、勝手に、妹が出来たみたいに思っていた。
「今日、もしも二人を見かけても、もう動揺はしません。言葉を交わすような場面はないかもしれませんが――もしあっても、心から『おめでとう』と新しい門出を寿げます」
ベアトリス嬢は、黒と赤の、この国では珍しい色合いのドレスを身に着けるのだろうか。この国では奇抜な色だが、勝気な彼女ならばうまく着こなすだろう。
カルロは、そんな頼もしいパートナーの隣で、いつものように自信満々な様子で、練習した通りの礼儀作法を完璧に披露するのだろうか。
――レーヴ家を象徴するような、紫水晶の装飾を身に着けて。
想像するだけでお似合いの二人だ。力強く互いの輝かしい未来に向かって歩き出す二人に、私が口を挟める余地などない。
夜会会場の扉の前には、名前を呼ばれるのを待っている貴族たちが列を作っていた。
最後尾に並び顔を上げた私は、きちんと貴族の仮面を被っている。
凛とした強い横顔を纏った私に、父は諦めたように首を振った。
「お前が心からそう言うならば、私は何も言わない。お前が思うように、お前の人生を生きればいい」
「はい。ありがとうございます、お父様」
これから赴くのは、きらびやかな戦場。
硬い声音になる私に、父は苦笑してから口を開いた。




