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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第六章

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第63話 軽い左手 (Side:シャロン)

 目の前で広げられたドレスも見事だったが、実際に身に着けてみると、驚いた。

 鏡越しに映るそれは、見慣れた柔らかな色合いのドレスとは明確に違う。伏し目がちな私が身に纏うとちぐはぐになるのではと思っていたが、ひやりと触れた深紅のシルクは、思いのほか優しく肌に馴染んだ。

 幾重にも重ねられた足元に静かに広がるシルクも、その上に淡い影を落とす黒のチュールも、胸元を縁取る繊細なレースも――下品なほどに主張することはなく、ただ静かに、私という輪郭を整える。

 夜の底で仄かに灯る焔のようなドレスは、社交界という荒波に立ち向かう私を支え、守る優しさを備えていた。


「やはり――想像以上です。本当に、言葉にならないくらいにお美しい……」

「あ、ありがとう……」

 

 試着した姿を見たリンダは、感動に声を震わせる。一世一代の仕事の集大成を見たような気持ちだろう。さすがに水を差すのは憚られて、謙遜することなく、照れながらも礼を言った。

 

「さぁ、殿方たちの部屋へ戻りましょう。きっと、あまりのお美しさに驚かれますよ」

「え、えぇ……そうだと、いいけれど」


 鏡の中に映る自分の姿は、誰が見ても明らかな、カルロの色を纏った女だ。

 少しだけ、期待はある。

 これを見たら――彼も、私を褒めてくれるだろうか。


 いとも簡単に口を衝く他の女への賛辞を、いつも羨ましく思っていた。

 外見だけでも、一度くらい、彼に女性として見てほしい。「綺麗だ」「美しい」と褒められてみたかった。


 リンダについて、兄とカルロが待つ部屋に向かったときだった。

 

「だからそれは、お前のせいだろうが。どうせもうあと一か月なんだ。いい加減、好きに思ってること言わせろよ」

「いやいや、何を言っているんだい。駄目に決まっているだろう。正式な婚約が成立したわけでもないのに、そこら辺の有象無象に向けるのと同じ軽薄な言葉なんか投げたら、締め上げるよ?」

「何をだよっ!?」


 兄とカルロが何かを言い争っている気配がする。


「だ、大丈夫でしょうか……?」

「え、えぇ……たぶん……」


 リンダの窺うような声音に、戸惑いながら頷く。

 本気で喧嘩をしているというよりは、じゃれ合っているようなものだろう。内容はよくわからないが。


 リンダは気を取り直して、部屋の中の者たちにも気づいてもらえるようわかりやすく咳払いをした後、扉を叩く。

 言い合いはピタリとやんで、入室を促された。

 リンダが扉を開けて軽く挨拶をして、私を通す。

 ドキドキと緊張しながら、足を踏み出した。


「わぁ――! すごいよ、シャロン! 想像の何倍も美しい! 本当にきれいだ……!」


 顔を輝かせて歓声を上げたのは、兄だった。すぐにこちらに近寄って来る。

 

「もっとよく見せて? ……うん。さすが、僕の天使。こんな格好で夜会に現れたら、その日は月も星も君の輝きを前に拗ねて姿を消してしまうね」

「そんな……」


 にこにこと、心からの惜しみない賛辞を次から次へと送られて、恥ずかしくなってしまう。兄の溺愛は自覚しているが、歯の浮くような賞賛を何度も浴びせられると、どう反応してよいかわからない。

 照れくさくて、顔を赤くして俯くと、兄は何やらボルテージを上げた。


「あぁっ……! だめだよ、シャロン。そんな可愛い仕草をしては。女神が嫉妬してしまうから、控えめにして?」

「お兄様っ……!」


 留まることを知らないほめ殺しに、さすがに抗議の声を上げる。

 兄の肩越しに、カルロの姿が目に入った。


「……ぁ」


 驚いたように目を瞬いてこちらを見ている彼もまた、職人が惜しみなく情熱を注いだ衣装に袖を通していた。


 漆黒の礼装は無駄な装飾を持たず、静かに彼の長身を縁取っている。動いた拍子に、ベストの深紅が覗いた。

 胸元で端正に結ばれたクラバットは、普段の粗野な印象など微塵も感じさせない。袖口には、私のドレスと同じ蔓草の刺繍が、ひそやかに施されている。

 近づかなければ気づかない。けれど確かに、私と対になるために仕立てられた装い。


 いつもは適当に流されているだけの前髪は、正装に相応しく上げられセットされている。異国風の端正な顔立ちが際立ち、普段と異なる紳士的な風貌に、思わず胸が大きく高鳴り、走り出した。


「まったく……本当は、こんなに可愛い妹を誰にも見せたくない気持ちなんだけど、仕方ないね。ほら、シャロン。カルロにもよく見せてあげて?」


 渋々というような茶目っ気のある表情で言って、兄は道を開ける。

 まっすぐ、正面にカルロが立っていた。

 

 深い夜を纏ったようなカルロは、いつも気安く隣に寄り添ってくれた彼とは別人のようで、緊張してしまう。

 先に動いたのは、カルロだった。一歩前に踏み出す。


「シャロン」

「は、はい」

「驚いた。すごく――」


 カルロが、熱に浮かされたような声で、言葉を選びながら紡ぐ。

 トクン、と胸が音を立てて、期待が高まった。


「……カルロ? わかってるよね?」

「ぅぐっ……」


 横にいた兄から、何やら冷ややかな声が飛ぶ。顔はいつも通りニコニコしているが、手元で布を絞るようなジェスチャーをしているのは何故だろうか。

 疑問符を浮かべる私の前で、カルロは「あー」とか「ぅー」とかしばらく呻いた後、観念したように絞り出す。


「すごく――似合ってる」


 ドキン……と甘く胸の奥がうずく。

 カルロは、ふっと表情を緩ませて、優しく微笑った。


「本当に、似合ってる」

「は、はい……」


 ――嬉しい。

 頬に熱が灯る。

 兄が並べ立てたような、直接的な言葉ではなくても、カルロが優しい瞳で、私の外見を褒めてくれた――その事実が、浮足立つくらいに、嬉しい。


「カルロも……とても、似合ってます」

「そうかぁ? いや……まぁ、そう言ってもらえるならありがたいけど」


 自分が褒められるのは慣れていないのか、酷く居心地が悪そうに答えるのも、なんだか愛しい。

 今までカルロが軽率に口説いた女性たちは、彼がこんな出で立ちをしたらこんなにも格好いいことを知らないだろう。

 自分だけに見せてもらえる一面を知ったようで、胸の奥に火が灯るようだった。


「でも……そうだな。改めて、実感する」

「え……?」

「結婚するんだな。――俺たち」


 しみじみと噛みしめるように告げられた言葉に、心臓が跳ねた。


「貴族社会の慣習なんて、よくわからないと思ってたが――こうやってお揃いの衣装を着て、これが俺の婚約者だって内外に知らしめられるんだろう? ここまで随分長かった気がするが、やっと、実感が湧いてきた」

「は……はい……」


 恥ずかしくなって、うつむいてしまう。

 たとえ自分から吹聴しなくても、この珍しい色合いのドレスを纏って公の場に出るだけで、カルロの唯一の伴侶は自分なのだと主張することになるのだ。

 

 社交界にそれが伝われば、カルロは叙爵され――次は、本当の結婚式だ。

 その時は、今日とは打って変わって、穢れ一つない純白の衣装をまとって、彼の隣に立つのだろう。


「待ち遠しいな。すごく――たのしみだ」

「はい。……はい、カルロ。私も……同じ、気持ちです」


 上機嫌な様子で笑うカルロに、気持ちが溢れないよう抑えながら、控えめに同意する。

 この時の私は、彼と共に歩むバラ色の人生に、何の疑いも持っていなかった――


 ◆◆◆


 ふ……と瞼を押し上げると、見慣れた天井が目に入った。

 ゆっくりと身体を起こす。朝日が差し込んで、窓の外では鳥が鳴いていた。


「……夢……」


 ひんやりとしたシーツを見つめ、呟く。

 何となく頬に手を遣れば、乾いた涙の痕があった。


「っ……」


 もう戻らない、愛しい日々。――愛しい人。

 二度と袖を通すことはない、幸せな思い出の詰まったドレスは、衣裳部屋の奥へと隠すように仕舞われてしまった。


「カルロっ……」


 シーツに顔を埋めて、湿った声を押し殺す。

 侍女が起こしに来る前に、早く、いつもの”私”に戻らなければいけない。

 強い女当主は、こんなことで蹲り、泣いている場合ではないのだ。


 頭ではわかっているのに――カルロがくれた言葉が、温もりが、忘れられない。

 私との結婚を、待ち遠しいと言ってくれた。楽しみだと笑ってくれた。

 そこに私が抱いたのと同じ愛があったかはわからない。それでも、有り余る優しさを与えてくれた。

 兄がいなくなっても、フロスト家がかつてのような威光を失っても、変わらず寄り添い続けてくれた。最後まで、私と歩む未来の約束を、果たそうとしてくれた。


 そうして伸ばされた手を、拒絶したのは、私自身のはずなのに――


 指輪がなくなった左手は、酷く軽くて、寂しくて。

 もう二度と、カルロの隣で、彼の色を纏えないのが、哀しくて。

 その権利を、他の誰かに譲り渡してしまったことが、悔しくて――


「身勝手な女……」


 弱い自分に、嫌気がさす。

 本当に、私は、私が一番嫌いだ。


 早く、早く、忘れなければ。

 前を向いて、独りでも強く生きていくと、決めたのだから――


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