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【連載版】竜の器と囚われの贄姫  作者: 神崎右京
第六章

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第62話 赤と黒 (Side:シャロン)

 それは、あの悪夢みたいな事件が起きるよりも、少し前のこと――


 私はその日、兄とカルロと一緒に、王都の有名デザイナーが営む衣装店を訪れていた。

 王都は昔からなるべくなら近寄りたくない場所だったが、カルロと婚約してからは、彼が隣にいてくれれば安心できた。


 社交デビューの夜会で着るドレスが完成したというので、試着のために赴いたのだった。


 令嬢の社交デビュー衣装には、エスコート役の男性の髪や瞳の色に合わせてドレスを仕立てるのが慣例だ。男性の礼服の配色に沿ったドレスを仕立てる――男尊女卑が根強い貴族らしい風習だが、由緒ある一族の令嬢として、慣習には従わなければいけない。

 そこで問題になるのが、移民のカルロの風貌だった。黒い髪に赤い瞳――庶民の間でも滅多に見かけない色合いは、色素が薄い遺伝子が多い貴族社会ではまずありえない。

 前代未聞の配色に、当初話を持ち込んだほとんどのデザイナーは、尻込みしてしまった。


 そんな中、唯一前のめりに大胆なデザイン画をいくつも用意して、絶対に自分にやらせてほしいと熱量を持って訴えてきたのが、ここ、ティレル衣装店のデザイナー、リンダ・ティレルだった。伝統にとらわれない柔軟な発想力で社交界のトレンドを作ると言われる新進気鋭の若いデザイナーで、昨年、王女様の社交デビューのドレスを手掛けたことで、その評価は揺るぎないものになっていた。


 衣装店に着くと、上客向けの特別室に案内された。店主夫妻の挨拶に続いて、最後にリンダが歩み出てお辞儀をする。


「ついに、私の全てを懸けた衣装が完成しました。最高の自信作です。お嬢様のドレスの話題が社交界を席巻し、今シーズン以降、ドレスのトレンドが大きく変わることでしょう」

「そ、そんな……」


 それは言い過ぎだろうと恐縮するが、隣で兄が「当然だろう」と尊大に頷いた。

 リンダが合図をすると、奥の扉が開かれて、宝物を運ぶように大切に、完成した衣装が持ち込まれた。


「まぁ……!」


 最初に目を引くのは深紅――でも、炎のような苛烈さはない。熟した果実のように深く落ち着いた色に、黒のチュールが密やかな影のようにやわらかく重ねられている。

 胸元は控えめなボートネックで、縁をなぞる繊細な黒のレースは、肌を透かしながらも決して主張しすぎない配慮がされている。

 ウエストには、熟練の職人が施したであろう、蔓草を思わせる見事な刺繍。間に散らされた小粒のビジューは、会場の強烈なシャンデリアの光も強く跳ね返さず、静かに星が瞬くように煌めくはずだ。

 スカートも見事の一言だ。幾重にも重ねられた深紅のシルクの間に忍ばせた黒のオーガンジーは、歩けばひそやかに揺れるだろう。

 本来なら互いに主張し合うはずの強い色合いが、上流貴族が纏うに相応しい品の良さへと昇華された、見事な一着だった。


「これは凄いね。打ち合わせの時から、感じていたけれど――うん。素晴らしい、力作だ」


 兄も珍しく手放しで褒めている。私たちの反応に満足げな笑顔を見せてから、リンダはもう一着を披露した。


「こちらは、ファレス様の礼服です」

「――!」


 広げられた衣装に、息を呑む。


 カルロの礼装は、深紅のドレスとは対照的に、夜そのもののようだった。

 漆黒のフロックコートは余計な装飾を持たず、長身の線を静かに拾う仕立てだ。

 一見シンプルに見えるが、ひとたび近づけば、襟元の縁に深紅の糸で蔓草の刺繍が施されているのがわかる。――私のドレスの模様と、同じ意匠。

 胸元を飾るワイン色のクラバットは、動くたびに黒の中から密やかな赤を覗かせるのだろう。

 黒が私の紅を引き立てるように――私と並ぶために仕立てられた、唯一無二の装いだった。


「改めて思うが――俺、こんなの、着こなせるか? 貧乏人の移民が滑稽だって笑われるだけじゃないか?」

「そんなっ……絶対に、大丈夫です! きっとっ……!」

「いや、まぁ……今更どうにもならねぇから、着るけどよ……」


 必死に訴えるが、カルロは渋い顔を崩さない。

 カルロは、わかっていない。成長期を経て一気に伸びた長身も、学園で鍛えられた筋肉質な体格も、異国風だがしっかりと整った顔立ちも――全て、女性を色めかせるばかりなのに。

 こんな素敵な衣装を身に纏ったら、カルロの方こそ、社交界で話題になってしまうだろう。


 無自覚な婚約者に不安を募らせていると、私が暗い顔をしたのに気付いたのだろう。隣の兄が低い声を出した。


「……カルロ?」

「っ!?」

「まさかとは思うけれど、文句でもあるのかい? こんな愛らしい世界一の美女のエスコート役を賜っておいて?」

「い、いや、それは……」

「君がうだうだ言うなら、今からでも、僕がシャロンのエスコートをするけど? ねぇシャロン?」

「えっ!?」


 驚いて顔を上げ、うろたえる。


「構わないだろう? 僕の礼服に合わせたドレスも仕立てている。あの伝統的なドレスも、絶対に君を社交界の主役にしてしまうよ。天使が王都に舞い降りたと、教会に貴族が列をなすに違いない」

「お、お兄様……」


 兄が言っているのは、彼をエスコート役に別の夜会へ出るためにリンダに追加で注文したドレスのことだろうが、今それを持ちだすのは意地悪だ。

 急に始まった兄とカルロの対立に、ティレル衣装店の人たちも困惑している気配がある。

 私がなんとかしなければ――とオロオロしていると、カルロが割って入ってくれた。


「誰も、嫌だなんて言ってないだろ」

「そう?」

「第一、社交デビューのエスコート役として夜会に出ることが、正式な婚約発表になるんだろ? それなのにお前に役を譲ったら、俺はどうなるんだ」

「そりゃ勿論――シャロンとの婚約なんてなかったってことに――」

「お兄様……!」


 慌てて兄の服の裾を掴んで言葉を制す。

 兄には、カルロに恋をしていると自覚してから、私の気持ちをこっそりと打ち明けていた。何故か打ち明けた瞬間にその場に倒れ、一週間ほど寝込んでしまったが、回復してからは私の恋の進展に真摯に耳を傾けてくれていた。

 兄は、私の本当の気持ちを知っているはず。――なのに、なんてことを言うのだろう。


 今更、彼との婚約を無かったことになんて、そんな哀しいことを言わないでほしい――


「ふざけんな。やるに決まってる。誰にどれだけ滑稽だって笑われたって、構うか。婚約を破棄されることに比べたら、そんなことどうだっていい」


 カルロは怒気を発しながら言い返す。

 彼も、私との婚約が正式に成立しなければ、爵位を得られず、魔塔にも黒騎士団にも入れない。死活問題なのだろう。

 初めて出逢った日に、この婚約を『ビジネスの関係』と言い切ったカルロの言葉を思い出して、わかってはいても、胸に切なさが押し寄せる。


「試着するんだろ。さっさとしようぜ」


 やけくそのように吐き捨てるカルロに、ほんの少しだけ胸を痛めて、私は試着室へと移動したのだった。 


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