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後宮の調香師 ~白蛇様の、愛弟子のいい仕事~  作者: 相良徹生
後宮の呪

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22/28

第22話 暗鬼

 後宮からの泥棒騒動の次の日。

 私室で杏璃が服を畳んでいると、雲華がひょっこりと扉から顔を出した。


「杏姐、白蛇様がお呼びです。官吏の方がいらしているとか」

 

 白蛇を訪ねてくる客といえば、友人の隼星か、後宮からの使者や行商人がほとんどだった。内府の官吏が来るのはめずらしい。

 杏璃は畳みかけていた上衣を置き、工房へ向かった。

 工房の入り口で、ふと足が止まる。灰色のひんやりとした香りを見たのだ。


 この香りは……なんだろう。どこかで見たことがある。

 知り合い? まさか。


 杏璃はそっと工房を覗き込んだ。 

 白蛇の客は、若い文官だった。

 黒髪はゆるく結い上げて濃紺の官服に身を包み、首には官吏の証である布を掛けていた。

 白蛇の向かいに座り、のんびりとした様子で茶をすすっている。

 杏璃に気づき目礼する姿は穏やかで、物腰の柔らかそうな青年だった。

 そんな彼はわずかに灰色の香りを纏っている。


「あなたが、白蛇様のお弟子さんですね。噂はかねがね」


 明るい口調とは対照的に、栗色の瞳が鋭く光った気がした。

 赤毛の娘が嫌いなのだろうか。

 杏璃は居心地が悪いのを隠して、深く拱手の礼をした。


弦明慈シエン ミンジと申します」


 切れ長の瞳を更に細めてシエンは続けた。


「なんでも……白蛇様が、お弟子を取ったと聞いたので。どんな方かと思いまして。こちらへ来られる前は、どちらに?」


曜河ようがの寺院にいました」


「いつから弟子入りを?」


「……一ヶ月半程前に」


「どのようなご縁で白蛇様の元へ?」


 畳み掛ける詰問に思わず杏璃の言葉は詰まった。

 なんだろう、この方が怖い……。

 シエンの探るような眼から逃げるように、顔を伏せる。


「なんだ、なんだ、シエン殿。嫁でも探しに来たのか?」


 白蛇が割って入る。

 シエンは薄っすらした笑みを浮かべて、白蛇に向き直った。視線は杏璃の髪に置いたままだ。


「失礼しました。李都リトでは曜飛ようひ族はめずらしいですからね。ご存知ですか? 宮でも、曜飛ようひ族の証たる赤毛を染める娘も多いとか。なんでも、布用の染料で髪を染めてしまうそうですよ」


 私のことだ。ゾクリと躯が泡立つのを感じた。後宮にいた頃は、毎月のように染坊へ行き、染料を分けてもらっていたのだ。


「嘆かわしいことだ」


 生まれ持っての白髪を白蛇は見せびらかすように払った。まるで、髪の色など何だというのだと言わんばかりに。


「ええ、嘆かわしいことでございます」


 シエンは肩をすくめると、また呑気な顔でお茶をすする。それ以上は踏み込む気は無いという現れだろうか。

 杏璃はそっとシエンの横顔を見つめた。

 私の事を探っているのだろうか。それにこの灰色の香り。どこかで見たことがある。


シエン殿は内侍省ないししょうの官吏でな。瑶華宮ようかきゅうの毒事件を調べている」


 杏璃は頷いた。内侍省ないししょうがなんたるかは、後で白蛇や雲華に聞かねばならない。たぶん内府のどこかの部署だろう。


「白蛇様、()()ではなく、()()でございます。()()()()


「事故……ねぇ。ところで、芳蘭妃ホウランヒの使った毒は一つではないのでは?」


 突然白蛇がなんて事のないように言う。


「おやおや」

 シエンがかすかに目を見開いた。しかし次の瞬間には、いつもの柔和な笑みが戻っている。


「そうですねぇ」


 シエンは苦笑を浮かべると、観念したように続けた。


「毒については我々も調査済みです。街の薬師から買って下女を通じて持ち込んだようですね。いかせん市井のものですので、粗悪な物か……またはかさ増しをされていたのか……」


「ほほう、それでもう一つは調べが付いたのか? なんなら、私が当ててやろうぞ」


 シエンの柔らかな笑みが、わずかに薄れていく。

 穏やかな相貌の裏で、思考がせわしなく巡っている気配がする。


「あの夜、宦官共には烏頭根トリカブトとだけ伝えたが、どうも見落としがあったようでな。少々心苦しかったのだ」


「……」


「街の薬師はなんと言っているのだ?」


「夜逃げしたところを捉えましたが、芳蘭妃ホウランヒ様との取引については否認しています。証拠は処分済みでした。ですがね、薬師の娘によれば『後宮の使いは二種類の薬を買っていった』そうですよ」


「おやおや」

 白蛇は肘掛けに持たれて頬杖を付くと、ニヤリとした。

 まるで白狐と栗狐の化かしあいのようだ。と杏璃はひっそりと思った。どちらも腹の中に何を隠しているのやら、見当もつかない。


「もう一つの毒。見つかっていないようだな。杏璃、妙だと思わんか?」


「え?」急に話を振られ、杏璃は間の抜けた声を漏らした。


芳蘭妃ホウランヒが買った二種類の薬。一つは烏頭根トリカブト。人を殺すだけなら、これだけで十分だ。なぜもう一つも求めたのだろうな」


 たしかに、烏頭根トリカブトから漂っていた、もう一つの香り。火花のような紅い香り。

 烏頭根トリカブトに混ぜて使うものだとしたら、最初から薬師に一つにまとめてもらうはずだ。

 あれは混ぜられたものではなく、二つの薬が近くに置かれていて香りが移ったのかもしれない。

 では、もう一つは何のための薬だったのだろう。

 後宮の医官ではなく、街の薬師に頼むのであれば、内密にしたいものだったはず……。


「別の用途で使ったのですね? なにか表に出せない事に」


「別の用途とは?」


 シエンは身を乗り出して杏璃を見た。続いて白蛇に視線を移し、ふと何かに気づいたようにため息をついた。


「まったく」


 椅子にぐったりと身をもたせると、シエンは茶を飲み干した。


「してやられましたな。もう一つの薬、当たったらぜひとも教えてください」


「案ずるな。実は後宮に蔓延る呪いも祓ってやろうと思ってな。これで太子の憂事も一つなくなるな。シエン殿も安心なされよ」


 白蛇が唐突に言うのに、シエンは気にもとめないように茶菓子を食べている。


「私の担当は事故の調査ですからねえ。後宮の呪いなんて関係ありません……」


「そうか? 廃殿の呪術使いの貴人とやらに手を焼いてるのではないか?」


「なんのことやら」


 白蛇様はなぜ急に話題を言ったのだろう。


「なんだ、杏璃まだ気づかないのか? この男、会ったことがあるのではないか」


 会ったことがある? 杏璃はまじまじとシエンの横顔を見つめた。

 男性の文官に知り合いなどいない。まして若い青年となれば、まったく見当がつかなかった。

 だが、最初に顔を合わせた時から気になっている香りがある。灰色の、冷えた香り。

 記憶を辿ると、後宮の寒々しい外廊下が脳裏に浮かんだ。

 冬の曇り空、外廊から吹きすさぶ風の吹き溜まり。焚かれた喪香。


 ――狐面の宦官。


「あっ……!」思わず声が漏れた。


狐飛フーヘイ様?!」


 シエン、狐面をした宦官の狐飛フーヘイは感情の読めない笑みをまた浮かべた。

 こんな顔立ちだったのか。仮面で隠す必要などなさそうなものを。

 杏璃の驚きを気にもかけない様子で狐飛フーヘイは茶菓子を黙々と食べている。


「いやはや、私は内侍省ないししょうのただの官吏でございます。なんのことやら」


 狐飛フーヘイは茶のおかわりを自分で注ぐと猛烈な勢いで飲み干して、席をたった。

 笑みを浮かべて深々と頭をさげる。表情とは対象的に言葉には鋭さがあった。


「それでは、白蛇様、杏璃殿。あまり深入りされませぬよう。忌み事は我々にお任せし、華やかな香りの世界こそ貴女方にはお似合いですよ」


「最後に一つ、シエン殿は独身か?」白蛇が茶化すようにいう。


 シエンはもう一度礼をすると、答えもせずに去っていった。

 男の姿が見えなくなると同時に、杏璃は白蛇に向き直った。


「あ、あの方は、後宮の宦官で、狐の面を付けた……」


 白蛇は混乱気味の言葉を手を降って退けた。


瑶華宮ようかきゅうで見かけたのだろう?」


 杏璃は無言で頷く。

 内侍省ないししょうの官吏を名乗る男が、太子の後宮の宦官としているのだろうか。しかも、顔を隠して。全く意味がわからない。


「あの男はな。宇峻ユージュン様の暗鬼アンキよ」


「あ、暗鬼アンキ?」


「密偵だ。狗とも影とも呼ばれている。太子の手駒の一人だ。そういった連中は王宮中にいて、情報を集めている」


「ど、どうして白蛇様の元へ?」


「どうやら、太子も事件を気にかけているようだな。私たちが嗅ぎ回っていたのに気づいたか、探りを入れに来たのだろう。なに、とぼけた男よ」


 白蛇はお茶のおかわりを注いで、茶菓子を食べ始めた。


「彼奴らの目的は太子の耳目となること。なに、害さえなければ茶をタカりにくるだけだ」


 杏璃は曖昧に頷いた。

 シエンが杏璃自信を探るような質問をしてきたことも気にかかる。

 本当に彼の目的は毒事件だけが目的だったのだろうか。


「そういえば、白蛇様。後宮の呪いを解く香はできたのですか?」


 白蛇は最近お馴染みになった不敵な笑みを浮かべた。


「もちろん、できたとも」

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