わたしにできることがあるなら 2
それは、前世の記憶があると言われる以上に信じられない話だった。
アデラインさまいわく、わたしたちがいるこの世界は、前世のアデラインさまが読んだある小説の世界そのままだという。
その小説の中にはこのイーズデイル王国と同じ名前の王国が存在し、国の領土や都市、歴史など、ありとあらゆるものがまったくそっくりらしい。
さらに、この世界と同じく王国の第一王子であるベイジル王太子殿下、”ヒロイン役”の子爵令嬢、そして”悪役令嬢役”のアデラインという侯爵令嬢が登場するとのことだった。
偶然とするには奇妙なほどの一致だが、幼いころのアデラインさまは流行り病で高熱にうなされ生死の境をさまよったときに、この前世の記憶を思い出したという。
わたしは考え込む。にわかには信じられない。けれど、アデラインさまがこんな突拍子もない嘘をわたしにつく理由もないし、嘘をついているとも思えない。
わずかに視線を上げて、アデラインさまをうかがい見る。
いつもは何事にも動じないように見えた金色の瞳は不安げに揺れ、キュッと唇を噛みしめ、指先は小刻みに震えている。
おそらく、相当の勇気を出して打ち明けてくれたであろうことは明白だった。人によってはこんなあり得ない話を聞けば、怒り出したり拒絶したり、呆れたりする可能性もあることをアデラインさまは理解しているように思えた。
わたしは迷った末、口を開く。
「その、”ヒロイン役”とは、いったい……?」
まずは情報を整理しようと思った。
アデラインさまははっと顔を上げ、わたしが耳を傾けたことに安堵したのか、わずかに表情を和らげる。
そして少し言葉を探したあとで、
「そうね……、王子さまと恋に落ちる女性のことかしら」
(なんとも抽象的な……)
わたしは心の中でつぶやいたものの、ひとまず疑問は脇に置いておき、続けて質問する。
「その子爵令嬢の名は、なんというのですか?」
しかしアデラインさまは、困ったような複雑な表情を浮かべ、
「それが所々あいまいで、思い出せないの……。たしかに小説には名前が書かれていたはずなんだけれど、すっぽりと抜け落ちたようにどうしても思い出せないの」
「そうですか……」
”悪役令嬢役”の名が”アデライン”だと覚えているなら、”ヒロイン役”の子爵令嬢の名も当然知っているものだと思ったが、そういうわけではないらしい。
「では、”悪役令嬢役”とは?」
言葉の意味のとおり、”悪役”の”令嬢”なのだろうが、念のため確認する。
アデラインさまは自分と同じ名前の令嬢ということもあるのか、やや言いにくそうにしながら、
「王子さまとヒロインが結ばれるのを阻止する悪役の女性のことよ。王子さまの婚約者ね。王子さまとヒロインは貴族学院で出会って運命的な恋に落ちるのだけれど、それに嫉妬した婚約者の悪役令嬢がヒロインにひどい仕打ちをするの。それがもとで学院の卒業パーティーで、王子さまから婚約破棄を言い渡されて、ついには断罪されるわ」
「だ、断罪⁉︎ 大ごとじゃないですか⁉︎」
思ってもみなかった展開に、わたしは声を上げる。
「そうね、そして王子さまは悪役令嬢の代わりに、ヒロインを新しい婚約者にするのよ」
「ひど──っ!」
続いて、アデラインさまはさらりと、
「同じような内容の別の小説では、悪役令嬢は首を切り落とされる結末もあったけれど」
「ひっ──‼︎」
わたしは思わず、自分の首に両手を当てる。
アデラインさまは目を丸くしてから、小さくふふっと笑う。
よほどわたしの反応がおかしかったらしい。
(……あ、そんなふうにも笑うんだ)
初めてアデラインさまが同世代の令嬢に見えて、わたしは親近感を覚える。
アデラインさまはわたしを落ち着かせるように、
「心配しなくても大丈夫よ。この小説では国を追放されるだけだったはずだから」
「追放──⁉︎」
わたしは再び声を上げる。
もうびっくりが止まらない。何度心臓が止まりかけたかわからない。
追放だってかなりの大ごとだ。
貴族の身分を剥奪されるなら、平民として生きていくしかない。
しかしアデラインさまほどの高位貴族が右も左もわからない異国で、平民として暮らすなどできるものだろうか。想像するのも難しい。
ややあって、アデラインさまは馬車の外に目を向け、
「……そうね、自分だけが国を追放されるだけならいいわ」
(──え、いいんですか⁉︎)
わたしは思わず声に出しそうになったが、なんとかこらえる。
アデラインさまはわたしに向き直ると、とても悲しげな表情をして、
「……家族全員、国を追われることになるの」
ぽつりと吐き出すように言った。
「家族を巻き込んでしまうことだけは避けたいの。弟はまだ小さいし、それにわたくしが知っている未来になるなら、悪役令嬢の家族は追放された先ではろくな立場もなく、お父さまはお酒と賭博に溺れて莫大な借金をしてしまい、お母さまは病気で亡くなり、弟は養子にもらわれた先で虐待されて惨めな死を迎えることになるわ……」
わたしはなんと声をかければいいのかわからなかった。ただアデラインさまの話にじっと耳を傾ける。
「もちろん前世を思い出してから、わたくしなりに回避しようとしたわ。そもそもベイジル殿下と婚約しなければすべてを回避できると思って、仮病を使ってずっと顔合わせを避けていたけれど、ある日、殿下自らウェイレット侯爵家にお見舞いにいらしてくださって、そのあとはとんとん拍子に話が進んでしまって、結局、婚約は成立してしまったわ」
アデラインさまは過去を思い出すように遠くを見つめる。そのあとで、
「その次に、貴族学院に入学しなければいいと思ったけれど、入学しない貴族令嬢はいないとお父さまとお母さまから泣きながら説得されて、さらには学院の学院長からも直々に入学を懇願されることになって、気づけば入学する段取りになっていたの」
わたしですら、その光景はなんとなく想像できた。
この国の高位貴族の中でも権力と財力が抜きん出ているウェイレット侯爵家の息女なら、なおさら入学しないという選択肢はないだろう。
アデラインさまは続ける。
「不安はあったけれど、ベイジル殿下はとくにお変わりないご様子だったし、その後もヒロインらしき子爵令嬢は現れなかったから、もしかしたらわたくしが知っている未来はあくまで小説の中だけの話で、実際には違うのかもしれない、そう思い始めていたのだけれど……」
そこで少し言葉を区切る。
わたしははっと思い出す。
貴族学院は三年間学ぶことで一人前と見なされる傾向にあるため、よほどのことがないかぎり、ほとんどの者が第一学年から入学する。
しかし中には、学力が突出していて飛び級したり、留学から戻ってきたり、体調面による問題だったりなどのさまざまな理由で、途中入学する者もごくまれにいる。
子爵の家門で最近現れた令嬢となると、ひとりしかいなかった。
「もしかして、ミレイさまですか……?」