どうしてこんなことに?
次の日、わたしは尋常じゃないほどの緊張感を抱きながら、学院に登校した。
正直なところ、ほぼ徹夜状態だ。
なぜなら、アデラインさまが今日どういう行動に出るのか必死で考えていたからだ。
『あなた明日からわたくしのそばにいなさい、いいこと?』
昨日裏庭で、アデラインさまはわたしにそう言った。
『そばにいなさい』の意味がまったくわからないが、確信できるのは淑女の鏡であるアデラインさまにとって、昨日の独り言の暴言をわたしが言いふらしたりしないか見張りたいということだろう。
(つまり、秘密を守ると信じてもらえれば、わたしの平穏な学院生活は守れるはず──!)
わたしは拳を握りしめた、はずだったのだが──。
(……どうしてこんなことに?)
朝から何度この言葉をつぶやいただろう。
真正面には、今日も完璧な美貌を誇るアデラインさま。
そしてわたしの右側を見れば、アデラインさまの取り巻きで切れ長の目元が印象的な気の強そうな令嬢その一、左側を見れば同じく取り巻きで、かわいいものが好きそうなピンク系の小花柄のドレスを身にまとう令嬢その二、さらにその隣には高級そうな扇子を片手に人一倍気位が高そうな令嬢その三……。
その令嬢たちが円卓をぐるりと囲むように、わたしの周りに着席している。
わたしはごくりと唾を飲み込む。
令嬢その一は、代々騎士を輩出する武力で有名な北部侯爵家の息女で、高位貴族の筆頭であるアデラインさまのウェイレット侯爵家に次ぐ家門。
令嬢その二は、王国内でも有数の穀倉地帯を誇る西部の伯爵家の息女。
令嬢その三は、貿易が盛んな南部の伯爵家の息女だ。
いずれも昨日ミレイさまを取り囲んでいた令嬢たちである。
(まさか、わたしも同じ目に遭うとか──⁉︎)
先ほどからわたしは気が気でない。
ここは高位貴族の中でもかぎられた方々のみが昼食をとるための特別な個室で、当然ながらわたしは今日初めて入室した。
見るからに高級そうな家具や調度品、朱色のふかふかの絨毯。
しわひとつない白いクロスがかけられた円卓の上には、繊細な絵柄のティーカップに注がれた紅茶とパイ生地のおいしそうなケーキが置かれている。
手元のティーカップからは上品な甘い香りが漂っていて、普段のわたしなら手も出ないような高級な紅茶であることは疑いようもない。
つい先ほどまでは彩り豊かな豪華な食事がずらりと並んでいたが、それを味わう余裕などなく、何をどう口に運んだのかも覚えていない。
今だって手にしたティーカップをうっかり落としてしまわないか、冷や汗が止まらない。
取り巻き令嬢たちはこの場にわたしなどいないかのように、先ほどから三人で会話を楽しんでいる。
アデラインさまは普段から口数が少ないようで、令嬢たちは時折アデラインさまに話題を投げかけるものの、基本的には三人の令嬢たちで会話が進んでいる状態だった。
しかし、ふとした拍子に会話が止まる。
わたしが顔を上げると、令嬢たちが鋭い視線をこちらに向けていた。
気の強そうな北部の侯爵令嬢が、
「アデラインさま、この者はなんですの?」
おそらくずっと気になっていたが、アデラインさまから何も説明されないのでしびれを切らしたようだ。
「そうですわ、何者ですの?」
とかわいいものが好きそうな西部の伯爵令嬢が言い、続いて人一倍気位が高そうな南部の伯爵令嬢が、
「あまり見かけない顔ですが」
とチラリとわたしをねめつける。
再び北部の侯爵令嬢が口を開き、
「なぜここにいるんですの?」
とアデラインさまに尋ねる。
しかしアデラインさまは紅茶をすすっているだけで、令嬢たちの質問にはいっこうに答えない。
居た堪れなくなったわたしは、ひとまず自己紹介する。
「……リゼ・ヨークと申します」
アデラインさまやこの取り巻き令嬢たちは第三学年で、第二学年のわたしとは学年が違う。そもそも家格差があり、接点もないのだから、令嬢たちがわたしのことを知らないのも当然と言える。
しかしすぐさま、
「あなたには訊いていなくてよ」
とピシャリと言われ、
「……すみません」
わたしは小さくしぼむしかなかった。
その間にも令嬢たちはアデラインさまに視線を向けるが、答えてくれないと判断したのか、諦める代わりに、
「ヨークなんて聞きなれない家門ですけれど」
とわたしに質問してくる。
「……東部の端にあるヨーク男爵家です」
わたしは仕方なく答える。
「男爵⁉︎ 男爵家の者がどうしてここに?」
「まあ、男爵家ですって!」
「ここにいる者は全員、伯爵家以上の爵位を持つ者ばかりですのよ!」
と大げさなほど大きな声を上げる。
わたしは愛想笑いをしながら、
(わたしだって、なんでここにいるのかわからないんです!)
心の中で叫ぶ。
北部の侯爵令嬢が嘲笑するような視線で、
「男爵家の方が、何をしに学院へいらっしゃっているのかしら?」
と言うと、
「ええ、本当に」
「将来のお相手でも探していらっしゃるのかしら」
と残りふたりの令嬢が続けて言う。
くすくすといやな笑いが部屋の中に響く。
わたしはさすがに頭にきて、
「あの──!」
言い返そうとしたとき、
「──リゼ嬢は、学年の成績上位者よ。常に三位をとられているわ。あなたたちは何位だったのかしら」
アデラインさまが口を開く。
ティーカップをソーサーに静かに置くと、冷ややかな視線を令嬢たちに向ける。
そしてわたしに向き直り、にっこりと笑うと、
「どんな学習法をされているのか、ぜひ教えていただきたいわ」
すると、令嬢たちは慌てふためいたように、
「成績上位でいらっしゃるのね!」
「そ、そうでしたの!」
「その学習法、気になりますわ!」
手のひらを返すように、口々に言葉を発する。
わたしは呆気にとられながらも、アデラインさまにちらりと視線を向ける。
先ほど見せた笑顔はすでになく、また静かにティーカップを傾けている。
(助けて、くれたんだよね……?)
そうとしか思えなかったが、アデラインさまの意図がまったく読めない。
「ただなぜいつも、あえて三位におさまっているのか気になるところだけれど……」
アデラインさまはすっとわたしを見やると、ぽそりとつぶやく。
わたしはびくりと肩を跳ね上げる。
(な、なんで、いつも三位って知ってるの──⁉︎)
学費が免除されるのは学年の成績上位五名にかぎられる。五位から脱落してしまえば、次の試験までの期間は通常どおりの学費を支払わなければならない。だから当然ながら、学費免除を狙う生徒は少しでも上位を目指す。
しかしわたしはというと、常に三位を維持している。
成績上位者は何も学費免除だけではない。学費など気にしなくてもよい家門の生徒はたいてい、学費免除は辞退し、名誉を得るためだけに上位を狙う。だから地方の貧乏男爵家のわたしが上位にいるだけでも、人によっては邪魔に感じるのだ。
一位、二位はとても目立つが、三位ならあまり記憶に残らない。目立たないことを優先するなら四位、五位のほうがいいのだが、それだと万が一脱落してしまったときにとても困るので、安全かつ無難な三位を心がけている。権力も財力もコネも何もないわたしが平穏な学院生活を送るために、無難は何よりも重要だ。
(そんなこと、今まで指摘されたことなかったのに──⁉︎)
別にズルをしているわけではないのだが、アデラインさまの妙な圧力のある視線を前にわたしは冷や汗を流す。
妙な沈黙が流れ、わたしがこの場をなんと答えて乗り切るか考えていると、
「──あ、そういえば!」
と北部の侯爵令嬢が焦り気味にパンッと手を鳴らし、
「周辺諸国をご遊学中の第二王子殿下が、つい先ごろ極東の国に自生する薬草に関する論文を発表された話、お聞きになりまして?」
強引ともいえる話の持っていき方で話題を変える。
「あら! それは本当ですの?」
「その話、わたくしも父から聞いたことがありますわ!」
ほかの令嬢は沈黙を回避できたことに安堵の表情を浮かべ、そちらの話題へすぐさま飛びつく。
北部の侯爵令嬢は頷きながら、
「昨年には、砂漠の国で古代遺跡から黄金の遺物が発見された件や、海南の国ではレッドダイヤモンドの偽物が出回っているのを見破った件にも、第二王子殿下がかかわっていらっしゃったという噂ですものね」
「まあ、そうでしたの!」
「そういう噂もありましたわね、本当に素晴らしいご活躍だわ!」
話題が完全に切り替わり、わたしはほっと息を吐く。
北部の侯爵令嬢がアデラインさまをうかがうように、
「第二王子殿下は幼いころにご遊学に出られて以来、我が国にはほとんどお戻りになっていないと聞いていますけれど……。わたくしたちもお顔を存じ上げませんが、アデラインさまはご存知なのですか?」
アデラインさまは淑やかにティーカップをソーサーにのせると、「殿下がご遊学に出られるまでにはなるけれど、何度かお会いしたことはあるわ」と静かに答える。
「まあ! さすがアデラインさま!」
「本当ですわ!」
「第二王子殿下と面識がおありになるなんて!」
令嬢たちはしきりにアデラインさまを褒めたてるが、当のアデラインさまの表情は変わらない。
その後も令嬢たちは、流行りのドレスやアクセサリーなどあちこちに話題を展開させ、話を盛り上げる。
そして昼食の時間が終わりを告げ、わたしはようやく解放されたのだった。