第38話 香織からの相談事
昼休憩になり、春陽は生徒達の間をすり抜けて、理科準備室へと歩いて行く。
理科準備室は、理科の授業の時に、実験をしたり、スクリーンを使った授業をする時に使う特殊な部屋で、常は鍵が閉められている。
春陽は周りに気づかれないように、周囲を見回してから理科準備室の中へと入る。
鍵はかかっていない。
理科準備室の中に入った春陽が小さな声で呼びかける。
「おーい! 綾香! いるかい!」
綾香が長デスクの下に隠れていた体を起こす。
「ハーイ」
今では理科準備室が春陽と綾香の密会の場所となっている。
今までは保健室を使っていたのだが、春陽と綾香のイチャイチャ度が激しくなり、京香先生が保健室の使用を禁止したのだ。
そのため、綾香がこっそりと職員室にあった理科準備室の鍵を持ち出して、この部屋を使うようになった。
毎日、お弁当を作って綾香が学校に持ってきてくれている。
「「最初はグー、ジャンケン、ポン」」
毎日の日課となっているジャンケンをする。
今日は春陽が負けてしまった。
綾香はガッツポーズをして喜んでいる。
春陽が長デスクに座ると、綾香が嬉しそうには春陽の膝の上に頭を乗せる。
そして春陽のお腹に頬をスリスリと擦りつける。
春陽はお弁当を開け、用意してあったスプーンでお弁当をすくいあげる。
「はい、綾香、あーん」
「はい、あーーん」
綾香は小さくて可愛い口をひな鳥のように開けて、春陽のスプーンを待っている。
その姿がとても春陽には愛らしく映る。
見ていて飽きない。
スプーンを口の中へ入れると、美味しそうに、綾香がお弁当をモグモグと食べる。
両手をグーに握って、美味しそうに食べる綾香は、24歳の大人の女性がする姿勢とは思えないぐらい愛らしい。
「美味しい?」
「春陽君に食べさせてもらっていますから、美味しさ倍増です」
形の良い眉をハの字にして、蕩けるような微笑みを浮かべて綾香が答える。
ジャンケンで負けたほうが、食べさせる役、勝ったほうが、膝枕をしてもらいながら食べさせてもらう役となっている。
はじめは遊びでしていたのだが、春陽も綾香も気に入って、毎日のように繰り返している。
この遊びをするようになって、綾香の春陽に対する甘えが増したが、春陽はそのことが嬉しかった。
水筒に入ってる麦茶は口移しで飲ませる約束になっている。
水筒に入っている麦茶を春陽は口に含み、綾香の可愛い口にキスして麦茶を飲ませる。
「冷たくて気持ちいいです」
「今日も静かで気持ちがいいね」
「ここは2人っきりになれるから最高です」
甘い時間が過ぎていく。
2人は安心しきっていた。
春陽が理科準備室の内側から鍵をかけるのを忘れていることに気づいていなかった。
「綾香先生も春陽もイチャイチャし過ぎ、アマアマ過ぎて見てられないわ」
油断しきっていた春陽がハッとなって理科準備室のドアへ顔を向けると香織が立っていた。
「内側から鍵をかけるのを忘れてるわよ。先生と生徒なんだから、もっと警戒しないさいよ」
部屋に入ってきたのが香織だと知って春陽はホッと安堵の息を吐く。
綾香は長デスクで隠れていて香織からは姿は見えていない。
膝枕状態で綾香は体を硬直させている。
香織がスタスタと歩いてきて、春陽の隣に座り、綾香の顔を眺める。
綾香は香織と目が合って、恥ずかしくなり頬を真っ赤に染めるが、まだ体が硬直していて動けない。
「本当に2人はラブラブね。ずっと見せてもらったわ。恥ずかしいぐらいアツアツなんだから」
香織がブツブツと独り言を呟く。
さすがの春陽も学校で綾香とイチャついている場面を見られて恥ずかしく、目が泳いでしまう。
「はー、私も優紀に、綾香先生がしてもらってるみたいに食べさせてほしいー!」
「今日はそれを言うために俺を尾行してきたの?」
「違うけど……違わない!」
「どういう意味かな?」
「春陽から見て、優紀は私のことをどう思ってると思う?」
「優紀のことか! じゃあ、ゆっくり相談に乗るよ! 綾香に食べさせながらでいい?」
綾香が急に慌てて、春陽の膝枕から起き上がろうとする。
それを春陽が手で止めて、優しく綾香の頭を膝の上に置く。
「ハワワワ、香織さんの前では緊張して食べられません」
「今日は綾香が勝ったから、膝枕は綾香でしょ。だから今日は俺が綾香に食べさせる番だから」
「春陽君の意地悪! 恥ずかしいよ」
恥ずかしがっている姿も、体をモジモジさせている姿も可愛い。
春陽はスプーンでお弁当をすくって綾香の口へと持っていく。
綾香は恥ずかしがりながらも、口を開けてスプーンを受け入れる。
その姿がたまらない。
「はあー、見せつけてくれるわね。それより相談に乗ってよ」
香織がたまらず口を挟む。
「優紀のことだろう。香織のことが1番に決まってるじゃないか」
あまりにサラリと春陽が答えたため、香織は一瞬、春陽が何を言ったのか理解するために時間がかかった。
そして理解して頬を真っ赤に染める。
「そうかな? 春陽のように優紀は優しくしてくれないよ」
「それは幼馴染だから、照れ臭いんだよ。優紀は色々と文句を言うけど、香織の近くを離れないじゃん」
「うん、それはわかってるんだけど……」
「だけど?」
「私も綾香先生みたいにしてほしいの……」
香織は優紀に甘えたいのだ。
「優紀に寄り添えばいいじゃん。優紀の自宅の部屋に行った時なんてチャンスじゃない」
「私だって頑張ってるわよ。でも優紀がすぐに離れちゃうのよ。私もそれ以上は甘えられないし」
優紀は香織のことが好きだ。これは優紀と香織を知っている皆の共通認識だ。
しかし、優紀は恥ずかしがり屋な面があり、なかなか香織に近づこうとしない。
香織は勝気なところがあり、優紀に甘えきれない。
春陽はそこに問題があると思った。
「今は、それなりに天秤が上手くバランスを取ってしまってるんだと思う。幼馴染の距離でね」
「それをどうすればいいのよ?」
「香織から優紀にキスをして、天秤を壊すのが近道だと思うよ」
春陽の提案に香織の口がパクパクするが、言葉がでない。
「例えば、こうすればいいんだよ」
春陽は水筒から麦茶を飲んで、口に含むと綾香の唇に自分の唇を合せる。
そして口移しで麦茶を飲ませる。
「綾香、美味しい?」
「香織さんの前でキスするは、とても恥ずかしいですー」
春陽が香織を見て微笑む。
「簡単だろう」
「そんなこと私ができるはずないじゃない!」
綾香が首まで真っ赤にして、春陽に声を荒げる。
「できないんじゃない。するんだ。香織にキスされすれば優紀の奴も驚いて、気が動転するはずだ。その隙に甘えればいい。これは成功するよ」
「本当に?」
「綾香を見て見なよ。素直にお弁当を食べているだろう。イチャイチャも慣れだよ。優紀も香織もイチャイチャすることに慣れていないから、反発してしまうんだ」
「それはそうだけど……」
「ちゃんと優紀、愛してるって言わないとダメだよ」
「そんな恥ずかしいこと言えないよ」
初めは春陽も恥ずかしくて言えなかったし、あやかも恥ずかしくて言えなかった。でも今は違う。
「綾香? 俺のこと大好き? 愛してる?」
「はい。春陽君のことが大好きです。いっぱい愛しています。もっと甘えたいです」
綾香はそういうと春陽のお腹に顔を隠した。
香織が呆れた顔をして2人を見る。
「私にはレベルが高すぎるわ。もっとレベルを落としてよ」
「香織が早く優紀とイチャイチャしたければ、遠回りはダメだよ。優紀にキスするくらいの度胸がないと、前に進まないと思うよ」
香織が体を小さくして頷く。
「お互いに両想いなんだから、どちらからでも好きって言ってもいいじゃん。キスをしてもいいと思う」
優紀が突然、香織にキスされて動揺している姿を想像する。
なかなか楽しそうだ。
「私、頑張ってみる。春陽、相談に乗ってくれてありがとう」
そう言って香織は闘志に燃えて、理科準備室から出ていった。
「内鍵をかけ忘れるなんて、俺のミスだね」
綾香を横にしたまま、春陽は理科準備室の内鍵を閉めて戻ってくる。
そして綾香に膝枕する。
「まだお弁当、食べ終わってないから、一緒に食べようね」
綾香は香織がどんな行動に出るか心配だったが、そのことは頭の隅に追いやった。
今は春陽とイチャラブしているほうが大事だ。
綾香は幸せそうに、春陽からお弁当を食べさせてもらった。
昼休みのチャイムが鳴る。春陽が先に理科準備室から出ていく。
綾香はお弁当を片付けて、そっと周辺に生徒達がいないのを確かめてから、理科準備室を後にした。
春陽が教室へ戻ると、ちょっとした騒ぎが起きている。
優紀は放心状態になっていて、動揺しているようだ。
香織は一体、何をしたんだろう。
春陽が自分の席に座ると、和尚と信二がやってきて、それぞれの椅子に座る。
信二が呆れたような声を出す。
「香織、とうとう我慢ができなくなって、優紀にキスしたぞ。優紀は今も動揺していて硬直している」
しまった! キスは2人っきりの時にするように言うのを忘れていた。
勝気な香織は、闘志の赴くままに、教室に戻って来て、いきなり優紀にキスをしたんだろう。
優紀が動揺している心がわかる。
今まで幼馴染として、なるべく意識しないように香織と接してきたのだ。香織から積極的にキスなんてされないと思っていただろう。
優紀にとっては思ってもみない奇襲攻撃だ。
和尚が小さな声で呟く。
「これで優紀殿も行動をおこさねばならなくなった。優紀殿がどういう行動にでるか」
春陽もそのことが気にかかる。
優紀は恥ずかしがり屋だ。皆の前でキスをされれば相当に恥ずかしいだろう。
これからは香織に近づかないかもしれない。
それでは逆効果だ。春陽の助言が招いた失敗になる。
そうなれば香織の怒りは春陽に向けられるだろう。今のうちに対処しなければ、春陽まで火の粉が飛んでくる。
春陽は慌てることなく、自分の席から立って、優紀の席の隣に座る。
「香織からキスされたんだってな」
「ああ、突然の出来事で、まだ頭が混乱している」
「すまない。俺の助言が足りなかったせいだ」
「春陽、お前、香織に何か言ったのか?」
「香織から相談を受けていた。今の幼馴染の関係を進展させたいって相談を受けた。だからキスして天秤を崩せと助言したけど、教室でキスをするとは思ってもみなかった。俺のミスだ。すまない」
春陽は正直に話をして、自分の非を優紀に詫びた。
優紀は困った顔をして春陽を見る。
「これから俺はどうすればいいと思う?」
「香織を避けることだけは止めてあげてくれ。香織も相当な覚悟をしてキスしたと思うから」
もし優紀に避けられたら、香織の心の傷が深まるだろう。
「優紀は幼馴染という立場以上に香織のことが好きだろう」
「ああ、否定はしない。香織は美少女だからな。それに俺の世話を良くしてくれる。気心もしれている。一番安心して一緒にいられる存在だった」
「その気持ちに素直になれよ。香織を1人の女子としてみてやれよ。香織は幼馴染を卒業したいんだ」
「ああ、そうみたいだな。俺も香織のことが好きだ。今度、家に帰ったら2人っきりで、ゆっくりと話し合ってみるよ」
「それがいい。2人きりの時、少しは香織を甘えさせてやれ。そのことで優紀の気持ちもはっきりするだろう」
「わかった。やってみる。春陽には世話になった」
優紀と香織が上手くいってくれないと、香織の機嫌の悪さの矛先が春陽に向く。
春陽も他人事で済まされない。
授業が始まり、教室に綾香が入ってきた。次の授業は国語だった。
綾香はいつもの通り、甘い可愛い声で教科書を読んで説明していく。
そして生徒の間を歩いて回る。そして春陽の横に綾香が立った。
春陽の机の上に小さなメモが置かれる。
『優紀君と香織さんは上手くいきましたか?』
素早く春陽は返事を書いて机の上に置く。
綾香は自然な仕草でメモを受け取り内容を見る。
『香織が教室で優紀にキスした。そのことで、かなり優紀が動揺している。アドバイスはしたけど、どういう結果になるかわからない』
綾香はメモを見て、眉をしかめる。
しかし、今は教師だ。授業を止めるわけにはいかない。
無関心のフリをして授業を進める。
そして綾香は優紀の隣に立つと、1枚のメモを優紀の机に置く。
優紀はハッとなってメモを読む。
『香織さんを大事にしてあげてくださいね。優紀君の大きな心で受け止めてあげてください』
メモを見た優紀が綾香を視線を合わせる。
綾香はフワリと優しい笑顔で、一瞬だけ優紀の頭を撫で、傍から去って行った。
優紀と香織がどうなるかは、今日、家に帰ってから2人がどういう相談をするかで決まるだろう。




