弐
双子の妊娠がわかって・・・。
妊娠八ヶ月の時、妊婦検診で看護士さんに大笑いされました。
「きゃあ~、アハハハハハハッ。腹囲が一メートル超えちゃったわっ!」
どうもあまりこういうことはないようです。
お腹の子が双子だとわかってから、義母が言い出したのは三人分の栄養です。お腹の赤ちゃん二人と私の三人分食べさせなければならないと「もっと食べろ。」と強要してきました。
双子の二人のうちの一人が、逆子体操のおかげで正常位になったのですが、もう一人が頑としてひっくり返らないので、このままだと帝王切開になると言われました。インターロッキングと言って、出産時にお互いの顔と顔がぶつかって出てこられなくなるそうです。最悪な場合、息が出来なくて死んでしまうと言われました。
それを聞いた義母は「もう帝王切開をしてもらいなさいっ。そうしたら好きなだけ栄養を取れるじゃない。双子は小さく生まれて育たないことが多いんだから、大きく産まないとっ!」と鼻息荒く言ったのです。
義母は、知り合いの双子が二人とも栄養失調になったり、一人が育たなくて亡くなったりしたのを見てきていたので、そう言ってくれたのでしょうね。
夏の間、食べに食べてお腹がパンパンに育った私は、立つのもつらい寝ているのもつらい状態になりました。
お腹の皮は伸びきっています。下腹部には太い妊娠線が何本も走っていました。おへそはひっくり返るところまでひっくり返っていましたので、とうとう底が表面に出てきています。
この頃、私はゴムに入っている羊羹のことばかり想像していました。
あの丸いゴムに爪楊枝を突き刺すとプチッと割れてクルリンと羊羹が出てくるあれです。
手術でお医者さんが「メス」を突き刺すと、私のお腹の皮もプチッと剥けてしまうのではないかと思っていたのです。
用心してあまり運動もしないようにしていたので、早産することもなく9月5日の手術予定日の前日に、入院することができました。
看護士さんたちには「よく頑張ったねぇ。」と褒めてもらいました。
身体があまり大きくない私が、早産にならなかったことに皆さん驚いていました。
ところが手術前検査をして、夕食を食べて早めに休んだ夜11時ぐらいのことです。
何やら違和感がして目が覚めました。足の辺りがビショビショです。
「破水だっ!」
私は慌ててナースコールを押しました。インターロッキングのことがあるので、私の破水は緊急事態です。
そこからは看護士さんが二人飛び込んでくるし、担当のお医者さんも自宅で寝ている所を叩き起こされたようです。指導医の医院長先生も駆けつけてくれました。申し訳ないことに交代の時間だった助産師さんは超過勤務を余儀なくされたのです。その節はお世話になりました。<(_ _)>
看護士さんが呼吸の確保のために鼻から管を突っ込もうとするのですが、夕食を食べているために吐きそうになります。
「これは、麻酔をかけてからの方がいいわね。」
と突っ込むのを止めてくれたので助かりました。
しかしこの管を通した感触が気持ち悪くて、その後一週間ぐらい喉が変な感じでした。
麻酔をかけられて、次に目が覚めた私は薄暗い病院の廊下をストレッチャーに乗せられて移動中でした。
頭は経験したことがないくらいの酷い頭痛です。お寺の半鐘台の中に頭を突っ込んで四方八方から強く叩き続けられているような状態でした。
「秋野さんっ。秋野さんっ!」
としつこくお医者さんに呼ばれて、やっと意識が先生の方へ向きました。
「よく頑張ったね。おめでとう、女の子が二人だよっ。」
先生のその声を聞いて一気に力が抜けました。
長男の嫁さんなので男の子二人を期待されていたのです。戌の日に腹帯をいただきに行った観音様のご神木にも、男の子の数の節があったので、義母は男の子だと言い続けていました。
そこで私がもう一度意識を手放してしまったのも仕方がないでしょう? (笑)
後で目が醒めた時も、頭痛と吐き気で死にそうでした。よほど麻酔との相性が悪かったようです。
集中治療室に母や旦那様が一人ずつ顔を見せに来てくれたことはなんとなく覚えているのですが、頭の中が霞がかかったようになっていて、とても出産の喜びなどが湧いてくるような状態ではありませんでした。
この時、不思議なことがあったのです。
お仲人さんの家のおばあちゃんはちょっと霊感が強い人だったのですが、その日の夜中に目を覚まして「女の子二人だわ。」と言いながらカレンダーに赤丸を二つ描いたそうです。
無事に生まれるようにとずっと心配してくださっていたようで、その思いがそんな予感を運んできたんでしょうね。
ありがたいことです。
何十年も前の手術なので、私のお腹はたくさんのクリップで留められていました。その上に大きなガーゼが貼ってあったのです。
産後に困ったのがくしゃみです。どうも風邪をひいたのか、くしゃみが止まりません。
大きなくしゃみをするたびにお腹のクリップが弾けて飛んで行きはしないかと心配でした。そこで、介護に来てくれていた母親や旦那様に頼んで、くしゃみのたびに一緒にお腹を押さえてもらっていました。
(;´Д`)
一度、旦那様が母親を昼食に連れて行くというので、言い合いになったことがあります。
だって一緒に押さえてくれている人がいなくなって、お腹が弾けて開いてしまうのが怖かったのです。(爆) 妄想が暴走する性格は昔からだったのですね。
お医者さんには「アレルギーはありませんっ。」ときっぱり言い切っていましたが、どうも出産と同時にアレルギー性鼻炎を発症したようです。
点滴を変えてもらったら、あっという間にくしゃみがおさまりました。やれやれ。
雨が降る日に義母が一歳七か月の長女を連れてお見舞いに来てくれました。
おばあちゃんに買ってもらったデニムのスカートを着て、急に赤ちゃんからお姉さんになったように見えました。その成長の瞬間を見逃したようで、ちょっと寂しかったです。
「おかあしゃん、ぽんぽん(お腹)いたい?」
と優しくお腹をさすってくれたのです。ジーンときて涙が出ましたね。
「木星ちゃんが入院した途端に涼しくなったよー。」
と義母が教えてくれます。
大きなお腹でふぅーふぅー言っていた間中、寝苦しい暑さが続いてました。それなのに、お腹が凹んだ途端に秋が来るとは・・・。
双子の第一子、最後まで逆子のままひっくり返らなかった次女は長女の出産時体重より重くて、3130グラムありました。
双子の第二子、クルリンと身軽にひっくり返った三女は2670グラムの未熟児で五日間保育器に入っていました。
次女にお乳を飲ませた後に、搾乳機で三女用のお乳を搾ります。
三女を抱っこ出来ないのが寂しかったですが、看護士さんが「お乳をよく飲んでるから大丈夫だよ~。」と言ってくれていたので安心しました。
退院も三人揃って一緒にできたのです。
ただ、保険の関係で退院までに双子の名前をつけなければなりませんでした。旦那様はだいぶ考えたらしく、意気揚々として私と母に双子の名前を告げたのです。
しかしその名前は「何となくパキパキした名前だねぇ。」と私にも母にも不評でした。
結局、もう一つの候補の名前になったのです。
この名前の不思議もあるんですよ。
次女の名前と結婚した旦那様の名前が一字かぶっているんです。
何か超常では説明のつかないご縁があったのかもしれませんねぇ。
双子を家に連れて帰って座敷に寝かせたら、長女がパニックになって二人が寝ている布団の周りをぐるぐると走り始めました。(笑)
急に何かわからない生き物が一気に増えて、お母さんとおばあちゃんがかかりっきりになっているのです。一歳児の長女にしたら無理もない行動ですね。
ここから先の子ども達の様子は拙作「星を拾う日」に書いています。
現代の医療技術がなかったら、私も双子も三人とも亡くなっていたでしょう。本当にありがたいことです。医療従事者の方に感謝を捧げます。
そしてこの話を書く機会をくださった長岡更紗さんに敬意を表して、今回はこの辺りで筆を置きたいと思います。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。