━━━案件98 空気を読む狸と空気を読まない男たち━━━
リルヴィアを外につまみ出したイルゼは、音高くパンパンッと、手をはたいた。
「お騒がせしました皆様」
イルゼは完璧な礼で場を鎮めると、何事もなかったかのように業務に戻っていった。
カウンターまでの道すがら、西風団の半個室を見て軽く頭を下げる。イルゼの口元が笑っていたのを、モリンは見逃さなかった。
「……さっき会ったよな、リルヴィアさん」
「うん、会った……」
竜司郎とマリーナはウンザリ顔で顔を見合わせた。
教会でご近所さんなど歯牙にもかけず竜司郎とマリーナを煽って、たぶん”例のスキル”で先回りし、そのままこの冒険者ギルドに潜伏していたということか。まったくもって恐ろしいバイタリティである。
それともあの後、バイク通勤の後をつけて来たのか。教会の近場に一旦身を潜め、安心した竜司郎たちの出勤を尾行して冒険者ギルドに潜伏する、というわけだ。こちらもまったくもってあり得る話である。
「本っ当に! 何ですのあのお方は!」
セリーネも憤慨している。
もしかしたら先日の夕刊記事に対する感情も上乗せされているのかもしれない。
そんなセリーネに、竜司郎とマリーナはウンウンと同調したが、セリーネの憤慨と竜司郎とマリーナのウンザリは必ずしも同一ではない。
セリーネの憤慨は主に「あのような煽り記事を書いて、よくもまあ自分の近辺をウロチョロできるものですわ!」という報道同盟軽視の言動からくるものであった。
無論、セリーネと護衛団団長ヴェスタ以外はそのことを知らない。
なおも憤懣を語ろうと拳を握って立ち上がろうとしたセリーネに、やや慌てたようにヴェスタが耳打ちした。
(お嬢様、これ以上はリルヴィア記者との契約に言及するおそれがあります。ご自重を……)
ハッとしたセリーネは、わざとらしく咳払いして座り直した。先日からの傍若無人をみるに、リルヴィアは思った以上に奔放な野良猫のようである。
果たして自分に御しえるだろうか……。セリーネは彼女らしくもなく、漠然とした不安を感じていた。
「みなさま、冒険者ギルドと暫定契約を締結してまいりました」
半個室に総代理のボルトンがやってきた。バイテンをやや細めにし、やや長身にしたような体格で、バイテンのシェブロン髭と対を成すように、ボルトンはカイゼル髭である。
服装と髭、立ち居振る舞いから、竜司郎が執事さんと勘違いしたのもむべなるかな。
「お早い対応ありがとうございますボルトンさん」
「なんのなんのルークさん。これもメルクス商会のため、お嬢様のため、そして西風団のみなさまのためでございます」
上品な表情と声色と言葉遣い。
……実はボルトンは、この調子のままで、皇都や近隣諸国の商人たちともバチバチに交渉する凄腕の商人である、とは、セリーネの紹介で得た情報である。
「後方担当はボルトンに任せて間違いありませんわ」と語るセリーネお嬢様の信頼は、確かな実績に裏打ちされたものだった。
「ありがとうボルトン。それじゃあそのまま進めていってちょうだい。私とヴェスタはメルクス商会の窓口として、しばらく西風団と行動を共にします」
「かしこまりましたお嬢様」
ボルトンと手代さんはメルクス商会へ帰って行った。半個室には、ドヤ顔のセリーネと、落ち着いた表情のヴェスタ。そして呆気にとられた西風団の姿があった。
「あの……セリーネさん……。しばらく西風団と行動を共にしますとは一体……?」
「あら、ルークさん。今回の依頼はメルクス商会主導によるものですわ。私が同行しないと今後の行動がやりにくくなりますわよ?」
セリーネはすまして言う。ルークは納得したように唸った。
計画を顧みるに、西風団の役目は大海蛇退治という最終的な段階での戦力である。それまでの行程、各ギルドとの調整、船と人員と物資の調達、往復の航路計画などは全てメルクス商会の管轄である。
であれば、メルクス商会から逐一進捗状況を知らされるだけよりも、計画の全体像を把握している者が身近にいて、現場で連携できるほうが確かに心強かった。
商会との連絡役というだけではない。セリーネがいれば、メルクス商会の権限を背景に、現場での確認や判断を即座に行えるという利点も大きかった。
「……それに、私もいささか精霊術師としての心得があります。決してみなさまの足手まといにはなりませんわ」
チラリとマリーナを見るセリーネ。わずかに眉を顰めるマリーナ。尻尾をぶるりと震わせるモリン。確かにその通りだ、と、言葉のまま受け取る竜司郎。その竜司郎が……。
「セリーネさんの精霊魔法は凄いんだよ。こう……水を空中で操って、船の水を外に出してしまうくらいなんだ」
半個室の温度が下がった。
ルークですら「おいおい……」という顔をしている。竜司郎は純粋にセリーネを褒めて、戦力になる裏付けを披露したつもりなのだろうが……。
(ごっっしゅじ~~ん……!)
チャコに抱かれているモリンは、チャコすら状況を把握して身を固くしているのが分かった。
チャコさんですら空気読んでるというのに、さらに……。
「おお、それはまさに『水流踊操[すいりゅうようそう]』ですね! 精霊魔法の中核魔法として位置づけられている水魔法です! さすがは皇国学院出身の英才! これは頼りになりますよセリーネさんは!」
レアな精霊魔法と聞いて、今度はマーカスが食いついた。表情がレアな魔法紋を見た時のあれに似ている。
御主人もマーカスさんも空気読め。
そう、モリンはくりくり目に力を入れて訴えたが、肝心の相手には届かなかった。
「いたたた……。私としたことが……」
首をゆっくり振りながら、這う這うの体で冒険者ギルドの斜向かいの路地に身を隠したのは、小柄な商人風の男……ではなくリルヴィアである。
奥には後輩のジェフトがいて、リルヴィアのあまりに早い帰りに不安げな顔をしていた。
「どうしたんっすか姐さん、こんなに早く……」
「あぁジェフト。……これ、お土産」
リルヴィアは右手の蓋つきエールジョッキと、左手の油紙に包まれたテイクアウト焼き物おつまみセットをジェフトに手渡した。
「まさか、姐さん……」
「イルゼさんにつまみ出されちゃった……」
てへぺろとでもやりそうなリルヴィア。
しかし、いつもなら二度も姐さん呼びをすれば即座に嗜めてくるリルヴィアが何も言ってこない。ジェフトはリルヴィアの心境を察した。
リルヴィアは路地裏の木箱に腰かけ、変装を解いてトートバッグに詰め込み始める。その動作がどことなく悔しげに見えたのは、さすがにジェフトの深読みであろうか。
「リルさんの変装を見破るなんて、イルゼチーフ、めっちゃやり手じゃないっすか!」
「っていうか、どうも、この間のギルド会議の時からバレてたみたい」
「ええぇっ!」
リルヴィアの手腕を信頼している、というより尊崇しているジェフトは本当に驚いているようである。
ジェフトの信頼は嬉しいが、御覧の通り、リルヴィアと手完璧ではない。ジェフトが向けてくる熱烈な感情は、彼の純粋さという美点から発するものなだけに、矯正すべきか修正すべきか、リルヴィアも手をつかねていた。
ともかく、今回は相手が悪かったとみるべきであろう。何しろ冒険者ギルド勤務30年のイルゼと、金級冒険者”大剣のファリソン”が相手だったのだから。
「……でも、西風団の行動はある程度把握したわ。ここから巻き返すから協力してちょうだい!」
腰ポーチに納めていたメモ束を自慢げに目線に掲げるリルヴィア。
「さっすがリル姐さん!」
「だから姐さんは止めなさいって!」
リルヴィアはジェフトからジョッキを取り戻して、気を取り直すようにエールを一気に飲み干した。




