━━━案件94 マリーナの男性観 マシウスの親心━━━
マリーナはそわそわと落ち着かなかった。子供たちを寝かしつける役目を、なかば母のルミーナに押し付け、子供たちの寝室と玄関を行ったり来たりと忙しかった。
気もそぞろな理由は、実はマリーナにもよく分からない。竜司郎と腕を組んだセリーネと会ってから、どうも気分がすぐれない、というか何となく面白くない。原因を突き詰めると、どうもセリーネに行きつく。
といっても、セリーネは別に敵や仇というわけではなく、竜司郎の発言と、セリーネ自身の発言から言えば、間違いなく味方である。
それでいてセリーネがあれやこれやと、まるでマリーナを意識しているかのように振舞うたびに、マリーナの心は不本意に波立つのだ。だからなおの事よく分からない。
「落ち着きなさいマリーナ。竜司郎さんは、別に戦地へ赴いたわけではないんだよ」
何度か目の往復の帰り道、落ち着いた声が居間から聞こえた。父のマシウスだった。テーブルに置かれた『光源』のランプのそばには、分厚い本が広げられていた。
「だって、お父さん……!」
心配げなマリーナの声色に、マシウスは苦笑いを浮かべた。今の入り口で困ったように佇む娘に、マシウスはやや表情を改めた。
「竜司郎さんと一緒に冒険者を登録したお前が、そんな風では竜司郎さんも困るだろう。今少し落ち着いて、彼の帰りを待ちなさい」
マシウスは、子供たちを寝かしつける役をルミーナに一任するように、マリーナに席を促した。父の意思に不本意ながら従うマリーナ。
実の所、マシウスは気もそぞろな娘の心情をほぼ理解していた。マリーナは、竜司郎を、男性として意識し始めている。
そしてそれを自身の心の中で明晰化できていないことも。
そもそもマリーナは、男性との交際経験が豊富な娘ではなかった。
マリーナの男性観、恋愛経験が今一つ健やかに育たなかったのは、マリーナが修行と巡礼と冒険に忙しく、同世代の男性と身近に接する機会が少なかったせいもある。
その点に関して言えば、よくできた娘の才覚に甘えて、修行に身を入れさせ、巡礼に連れまわしたマシウスにも一定の責任があるかもしれない。そしてマリーナは父の期待によく答える優秀な娘でもあったのだ。
もう一点。
マシウスに責任があるとすれば、マリーナの男性観に影響を与えた存在が、他ならぬマシウス自身であったことだ。
ごく身近に、完成された男性がいる。
その完成された男性が、年頃の少女が育む男性観醸成の基準となれば、男性に対する評価基準が、著しく上昇してしまうのは自然な成り行きであっただろう。
しかも年の近い兄貴分として、戦士としてずば抜けた天賦を持つルークまで身近にいた。マリーナの、同世代の男性に関する評価が辛くなるのも止むを得ない、というべきか。
一方で、マシウスは父として、マリーナの心情に、あれやこれやと差し出口を挟むつもりは無かった。
娘があまりにも間違った方向に進もうとしているのならともかく、意識している相手は、飛野竜司郎である。
彼の善性は、三鑑定の儀で翠玉光を放ったことで証明されているし、聖獣と、神締契約すら結んでいる男性である。マシウスとしてはこれ以上ない娘の交際相手といえた。
……もっとも最大の理由は、マシウス自身が、娘マリーナの恋愛事情に関する接し方をもてあましている、というのが主たる理由である。マシウス自身も、娘に対してどうしてやればよいのか、心中で明晰化できていないのであった。
マシウスとマリーナは、間違いなく親子なのであった。
(ルミーナに相談しようか……)
マシウスが父親の責任感と、マリーナの母親たるルミーナへの信頼感を想起した時、教会の門前から馬蹄の響きが聞こえた。マリーナが立ち上がった速さといったら。
マリーナは駆け出し、マシウスはしおりを挟んで本を畳むと、ゆったりとした動作で娘の後を追った。
「竜司郎さん!」
「帰りましたマリーナさん」
馬車から降りたばかりの竜司郎に、マリーナは猛然と、といっていい勢いで駆け寄り、後ろから降り立ったセリーネを見て急停止した。
「あら、ごきげんよう、マリーナさん」
セリーネの一部の隙も無い礼。余裕たっぷりのセリーネに、マリーナも負けじと一部の隙も無い礼で返す。それを馬車の中から恐る恐る見守るモリンとヴェスタ。
帰りの門前でも緊迫する空気。風穴を開けたのは今度はマシウスだった。マリーナの背後で存在感を示すマシウスに安心したモリンは、ようやく馬車から降りることができたのだった。
「マシウス先生、マリーナさん、お出迎え感謝します。そしてヴィクトーリア号の船員たちを治癒していただいた件、私からも改めてお礼申し上げますわ」
「改めてのお礼、痛み入ります。とにかく皆さん御無事で何よりでした。……晩餐会はつつがなく?」
「はい。竜司郎さんも、モリンさんも、お噂通りの誠実なお方で、家族ともども楽しい時間を過ごさせていただきました」
マシウスの態度は、まるで息子の帰宅と成果を確認する父親の風であったが、その場にいた者でそれに気づく者はいなかった。
「セリーネさん、本日は何から何まで歓待いただき、まことにありがとうございました」
竜司郎の、ぎこちないボウ・アンドスクレープに、マリーナはやはり余裕たっぷりに返礼する。そしてやや表情を改め……
「この場で申し上げるのは、いささか礼を逸するかもしれませんが、竜司郎さん、モリンさん、マリーナさん。西風団の方々として、みなさんにお伝えしておきます」
西風団の名を出され、セリーネに呼ばれた三人も表情を改める。マリーナも、原因不明の面白くなさを払拭し、セリーネに相対した。
「本日、日中のうちから既に、兄カイロンが紳士協定を元に、大海蛇退治の依頼を各ギルドに話を通しております。近いうちに冒険者ギルドに、西風団を指名した大海蛇退治が依頼されるかと思います」
仕事の話ということで、セリーネも表情を引き締めていた。
西風団を動かすのは、竜司郎とモリンとのコネクションを強化する意味ももちろんある。
それ以上にメルクス商会は、ロナーシアでもトップクラスの勢いと実力のある西風団に、今回の大海蛇退治の依頼を是非とも受諾してもらいたかった。
大海蛇は銀級冒険者を充てるべき難敵でもある。銅級冒険者を数だけ揃えたところで、討伐の決定打にはなりえない。西風団のメンバーに、セリーネと、メルクス商会の護衛団が加われば、現状用意しうる最大級の戦力で討伐に臨めるのだ。
「重要な情報ありがとうございます、セリーネさん。では早速明日、西風団のメンバーと合流して、冒険者ギルドにて作戦を協議したいと思います」
流石は銀級冒険者マリーナ先輩である。銅級の竜司郎とモリンがあたふたと事態を咀嚼しているうちに、マリーナは模範的な回答をセリーネに返していた。
「……明日、ですね。かしこまりました。では私も明日、冒険者ギルドに伺いまして、作戦会議に参加したいと思いますわ」
セリーネは真剣な表情から一転、ニッコリと笑った。特にマリーナの方を向いて。




