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━━━案件92 竜司郎とモリン 肩透かしを食らう━━━


 会食が終わり、グラスに注がれた芳醇な酒の香りと、山海珍味の肴がテーブルを彩っていた。


 竜司郎は繊細なカットのグラスに注がれた琥珀色の液体を、ちびりと口に含んだ。OS物流時代に、上司たちに連れられて行った酒場で飲んだ、高級ブランデーの味を思い出す。


 モリンの前には、南国果実の果汁が注がれたグラスと、タヌキサイズのフルーツの盛り合わせが置かれていた。


 山場を超えたと脳細胞が判断したのか、竜司郎の味覚と脳は本来の機能を回復し、異世界蒸留酒の芳香と酒精の刺激が心地よく竜司郎を包み込んだ。




 話題は竜司郎とモリンのスキルから、メルクス一家の話題に変わっていた。


 バイテンの曽祖父が事業を起こし、祖父と共に拡大させ、バイテンは父と共に海運業を発展させたこと。カイロンとセリーネが皇国学院を卒業した俊英であること、アイラが皇国学院進学に向けて勉学に励んでいること、などが語られた。




(これだけお金持ちの家系でも、しっかり努力してるんだなぁ。……いや、これだけお金持ちの家系だからこそ、努力してるのか)




 竜司郎は中学校、高等学校時代を思い出してわずかに恥じ入った。いくら父龍三郎に「勉強なんてほどほどでいいんだ。それより友達とは仲良くしろよ」と言われたからといって、少し真に受け過ぎたのではないか、と。


 それでも、赤点がかさんで追試、退学、などという失態をさらし、自分を引き取ってくれた叔父叔母夫婦に心配や迷惑はかけぬよう、高等学校時代はそれなりに勉学に励んだ気はする。受験勉強に励むテルさんの姿を身近に見ていたことも大きかった。


 おかげで竜司郎は、異世界に来ても「平民に似つかわしくない学識を身につけている」などという過分な評価も貰うことができたのである。




 もっともこの世界の子供たちは、私塾に通っていれば上出来なほうで、大抵は家族から最低限の読み書き算術を教えられてすぐに、家業の手伝いを始めたり、職人の徒弟として奉公に上がるのが一般的であった。


 農村では特にその傾向が強く、アルド、ノルド兄弟のように、都市部に出稼ぎに来て重機作業の才能を開花する、というのはレアケースであった。


 フィーズ教の地方巡礼で、いくらかはましになっているとはいえ、貴族と平民、富裕層と貧困層では、教育機会の不均衡と不平等は、竜司郎が育った前世界とは比較にならないほど深く大きな落差があるのであった。




 教育制度の改革も滞っており、平民に余計な知識を与えるべきではない、という貴族たちが、平民の教育水準を底上げする改革に抵抗している、とはローファインとの雑談……ではなく、取り調べの時に得た情報である。


 一応それなりの規模の町には私塾のほかにも、国や領主が経営する学院もあった。それは教育格差を是正するための機関ではなく、都落ちした知識層の再就職先としての機能が強く、教育機関の本分を全うしているとは言い難い。




 濃厚で、それでいてまろやかな異世界蒸留酒を味わいながら、日本の教育制度と、その教育制度を十分に享受できた環境に、改めて感謝する竜司郎であった。






(……そろそろッスかね?)


(ああ。腹いっぱいご飯を食べて、お酒も入って、俺たちは緩み切ってるからな)




 スマホ念話で話しながら、竜司郎とモリンは静かに身構えた。


 ちらりと腕時計を見る竜司郎。そろそろ20時。仕掛けてくるならここらが最後の機会だろう。




「竜司郎さま。モリンさま。折り入ってお話したい件がございまして……」




((そらきた!))




 竜司郎とモリンは緊張と警戒を、努めて笑顔の下に隠した。




「私たちの手に負える案件だとありがたいのですが……」


 言ってから竜司郎は、表情を隠すためにグラスをゆっくりとあおった。稚拙な誤魔化し方だ。たぶんバレている。




 バイテン商会長は、手元のベルを鳴らす。奥からボルトンとヴェスタが現れた。二人は冒険者ギルドの銅二級昇級で見た、仰々しい赤布が敷かれたトレーを運んできた。




「些少ではありますが、この度のヴィクトーリア号救出のお礼をご用意しました。我々メルクス一家の気持ちとして、是非、お納めいただきたいと思います」






 ……思っていた流れと違った。


 竜司郎とモリンの前にトレーが差し出される。メルクス一家の紋章が刻印された革袋の隣に、大金貨が12枚、大銀貨も12枚、それぞれのトレーに合計24枚、きれいに並べられていた。大金である。




「……えっ、私にもッスか?」


 モリンは、当然のように自分の前にも置かれたトレーと、乗せられた大金に目を丸くして固まっている。




「いや、こんな大金……。俺たちは勝手にしゃしゃり出て手を貸しただけで……それに、お金が目当てで救助の協力をしたわけでもありませんし……」


 竜司郎は言葉も表情も目に見えて動揺していた。勧誘があると身構えていた一人と一匹に、不意打ちにも似た礼金の提示は、まさに声東撃西の様相を呈していた。




「飛野さまと聖獣さまがいらっしゃらなければ、我々は、信用、船、荷物、そして下手をすれば娘も船員も失っていたかもしれぬのです」


 遠慮しようとする様子の竜司郎に、バイテンは真剣な表情で身を乗り出した。


「我々メルクス一家が被るはずだった損失を思えば、本当に些少な額でございます。私は札金貨を何枚か、と思ったのですが、倅がそれでは御二方は受け取らないであろう、と言いましてな」


 バイテンからカイロンに視線を移した竜司郎に、カイロンは知的な微笑を浮かべた。


「御二方が恭謙で誠実であることは、かねがね窺っております。ですが我々メルクス一家としても、多大なるご助力を頂いた御方の御礼が晩餐だけ、というのでは沽券にかかわるのです」




「……我々に関するギルド間の紳士協定、金品、接待による利益誘導の禁止に背くものではありませんか?」


 竜司郎のささやかな抵抗は、カイロンの知的な微笑を一ミリたりとも揺るがすことはできなかった。




「御心配にはおよびません。こちらはあくまで、ヴィクトーリア号救出の御礼としてお納めいただくものです。そして竜司郎さんも、モリンさんも、今回の御礼を気にして当家に靡くような方々ではない、と心得ております」


 こちらの気質を把握したうえで、さりげなく決定権を渡してくるあたりが、カイロンが俊英と称される理由であろう。竜司郎は降参することにした。




「……分かりました。御厚情、ありがたく頂戴します」


「頂戴します」




 頭を下げる一人と一匹の隣で、セリーネとアイラが金貨と銀貨を丁寧に革袋に納めた。遠慮がちに革袋を受け取る竜司郎とモリン。こうして、晩餐会は終わりを迎えようとしていた。



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