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━━━案件91 兵法三十六計 第六計と第三十一計━━━


 晩餐会の会場は庭が見渡せるホールであった。


 部屋の各所に飾られた彫刻や絵画はいずれも控えめな材質、デザイン、装飾で、成金趣味を想起させる派手な調度品は無く、華美な内装でもなかった。


 その代わりに大きな円卓、円卓を囲む椅子、テーブルクロス、食器に至るまで、素人の竜司郎でも高級品だと分かるものが選ばれていた。




 元々の家風なのか、主賓の竜司郎とモリンに合わせてくれたのかは、現時点では分からなかった。もし、竜司郎とモリンの性格に合わせて、この会場を演出したのだとすれば、相当な力の入れようだと思わざるを得ない。




 給仕を取り仕切るのはボルトンで、彼が指揮する給仕たちはホールの入り口に整列していた。ボルトンに先導されて入場してきた竜司郎とモリンに、全員が揃って恭しく頭を下げる。


 目に見えて動きが硬くなる竜司郎。腕を組んでいるセリーネには、はっきりと伝わっているだろう。竜司郎がこういう場に慣れていない小市民だということが。




 八人掛けの席。


 上座に位置する奥に竜司郎とモリンが座り、向かい側にバイテンとカイロンが座る。セリーネは竜司郎の右側、アイラはモリンの左側だ。


 モリンの席には子供用の補助椅子が用意されていた。




 給仕に丁寧に持ち上げられ席に案内されるモリン。その目は泳ぎ、四肢は脱力してされるがままだ。




(……めっちゃ場違いッスよ私たち)




 モリンがスマホから竜司郎のタブレットへ話しかけてきた。モリンも不安なのだろう。平静を装い念話を返す竜司郎。




(俺だって同意見だよ。でもお礼がしたいって招待を断るわけにもいかねーだろ)


(そりゃそうッスけど……)


(とにかく、油断はするなよ。当たり障りのない会話で引っ張って、できるだけ早くに切り上げるんだ)


(上手く行きますかねぇ~? 相手は海千山千の商人っスよ)


(……お前、なんか化かせるスキルとか無いの? タヌキだけに)


(あるわけないじゃないッスか。いくら私がチート狸でも限度ってもんがあるんスよ)




 人語を話せて、異世界の魔法を習得して、魔導二輪車を展開するチート狸は、至って真面目に竜司郎の一縷の望みを絶ち切った。


 席に着くまでに繰り広げられた竜司郎とモリンの緊急会議は、何ら実りも無く時間切れとなった。ホールの奥の扉から、給仕たちが料理を運び始めたのだ。






 晩餐会は和やかに進んだ。




 勧誘の話は意図的に避けているようで、メルクス一家の誰も、十代前半と思われるアイラすらおくびにも出さない。話題はもっぱら竜司郎とモリンのスキルであった。


 バイテンは興味深そうに、アイラは無邪気に、竜司郎とモリンのスキルを聞きたがった。竜司郎はできるだけ嫌味や武勇伝にならないように語った。


 時折、若旦那のカイロンが、竜司郎の為人を探るように話題を投げかけて来た。竜司郎は記憶喪失の設定を徹底し、こちらは慎重に受け応えた。




 竜司郎は彼らの会話に、意識してなるべく丁寧に、ゆっくりとした間と語り口で応答した。


 おかげで受けた言葉も咀嚼できたし、返す言葉も吟味して選ぶことができた。




 元請けの監督や関係者、下請け会社、協力会社、役所の担当者、資材関連の業者、重機レンタル屋、現場ご近所さん……。土木建設業は思った以上に社外の人間との対話が多い。


 彼らとの対話に苦手意識を持っていた竜司郎は、地元の大学を卒業し、中堅商社でバリバリ働いていたテルさんからアドバイスをもらったのだ。


 なるほど。前世界でも王侯貴族の皆さんがゆったりとした語り口なのには相応の理由があるのだ、と竜司郎は感心したものだ。




(……でもやっぱり、しんどいなぁ)




 予想通り竜司郎は、味覚にまで脳細胞のリソースをつぎ込めず、料理の味はあってないようなものになっていた。チャコやルミーナが作る料理よりはるかに、砂糖も香辛料も使われていることは分かったが……。


 そのおかげか、今の所、受け答えはそつなくこなしているはずだ。失礼もボロも齟齬もないはずだ。言質も取られていないはずだ。……たぶん。


 テルさんは商社マンとして、こういう折衝を毎日のように繰り広げていたのかと思うと、尊敬の念を禁じ得ない。


 竜司郎にそう言われたテルさんは、暑い時も寒い時も雨の日も風の日も、野外で仕事をこなす竜司郎のほうこそ尊敬に値する、と言ってくれたのだ。




(いや、やっぱり尊敬しますよテルさん……)


 竜司郎が、もう会うことができない友人に敬意を表していると……






(御主人、コレ完全に私たちを油断させる流れッスよ。私たちの意識を別の所に向けておいて本題に切り込む、声東撃西ってやつッスよ)


 モリンがまたスマホで話しかけてきた。兵法三十六計まで持ち出し、いつになく真剣な口調である。だが……。




(クッキー両手で頬張りながら言っても説得力ねーよ……)




 ウグっと、モリンは喉を詰まらせた。




(だ、だって、折角御馳走してくれてるんですし、このクッキーめっちゃ甘くて美味しいですし……)




「まぁ大変! はい、モリンちゃん、温かいミルクをどうぞ」


 アイラがモリン用の小さなグラスにミルクを注ぐ。




「あ! これはどうもご丁寧に……」


 酌を受け、美味しそうにミルクを飲み干すモリン。




(まったく、この食いしん坊タヌキは……!)




 竜司郎は折角の白パンを味わう余裕もないまま一口食べながら、呆れ顔になりそうな表情をごまかして、天井を見上げた。






「私も乗ってみたいですわ。竜司郎さまが展開する魔導車に」




 水上バイク、クレーンが、竜司郎とモリンのスキルのほんの一部だと聞いて、セリーネは目に見えて食いついてきた。


 竜司郎のグラスに果汁水ワインを注ぎながらセリーネが微笑む。青いストールはボルトンに預けられ、大胆に開けられたデコルテが眩しい。


 銀のネックレスに仕込まれた小さな宝石の光が、竜司郎の視線を一層誘導しているのも、セリーネのコーディネートの妙技である。




 実年齢は32歳で、実務経験も豊富な竜司郎だが、人並みに女性に対して興味も抱くごく健全な男性である。


 しかも肉体は二十代の若さで転生し、健康そのもの。そんな竜司郎にとって、セリーネのこの兵法三十六計の第三十一計は実に効果的な戦術であった。




「お……お安い御用ですよ。お互い仕事がない日が合えば、ぜひ、ご一緒しましょう」


「本当ですか!? 嬉しいですわ!」




 セリーネの嬉しそうな笑顔は三割方営業スマイルで構成されていた。逆に言えば七割は本気で喜んでいるのだ。


 経験豊富な父バイテン、才気煥発な兄カイロンを向うに回して、少なくとも目に見える失態なくこの場で立ち回っている竜司郎に、セリーネは一層深い、興味と魅力を見出したのであった。




(このくらいの社交辞令なら、まあ……。”行けたら行く”ってやつだ)




 竜司郎は目のやり場に困り、果汁水ワインのグラスに目線を逃がすと、なるべくゆっくりと飲み干した。




 ……後日、この社交辞令が新たな騒動の火種となるのだが、竜司郎もモリンも知る由もなかった。


 知っているのは兵法三十六計の第三十一計、美人計で竜司郎の心を乱し、竜司郎から魔導車デートの言質を取ったセリーネだけであった。



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