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━━━案件09 マリーナ・ローズウッド 樽を投げる━━━

閲覧ありがとうございます。意欲がわきます。

ブックマーク登録ありがとうございます。励みになります。


ようやくヒロインの登場です。

今回は崖から飛び出した竜司郎たちのシーンの、マリーナ視点となります。

 「見てお父さん、ロナ川の水、いい感じよ」


 マリーナ・ローズウッドは小ぶりな樽を肩に担いだまま振り返った。肩まで伸びる鮮やかな赤い髪と、生き生きとした深い藍色の瞳が印象的な少女である。


「うむ。先日の雨でどうなるかと思っていたが、荒れていなくてよかった」


 マリーナの視線の先には190センチを優に超える大柄な男性。

 マシウス・ローズウッドは、マリーナの父親で、娘と同じ深い藍色の瞳と、娘と違う濃い金色の髪の、落ち着いた雰囲気の壮年男性である。


 二人は揃って同じデザインの服装を身に纏っていた。

 濃紺色に白いラインをあしらったベレー帽に似た帽子と、立ち襟のゆったりとした濃紺色の上下。その上から貫頭衣のような袖なしの法衣と帯を纏い、首にはふたつの太陽と月がデザインされたペンダント。

 腰帯には革のベルトポーチと、同じく革の鞘に納められた50センチほどの長さの六角棒。


 模範的なフィーズ教神官の装いである。


 明確な違いは貫頭衣の模様と帯の色で、これらは神官の階級、役職を表すものである。

 マシウスの貫頭衣はやや複雑な主司祭を表す模様。帯の色は地方教会の主、教会主[きょうかいしゅ]を表す青と水色であった。

 マリーナの貫頭衣はマシウスのそれに比べて簡素で、主司祭より二階級下位の助司祭を表す。帯の色は教会主補佐[きょうかいしゅ ほさ]を表す黄と白であった。


 腰に帯びた六角棒の正式名称は、六聖杖[ろくせいじょう]といい、フィーズ教神官が野外活動、戦時下、冒険中に使用する護身具である。聖属性と魔法発動補助、そして伸縮の魔法が付与されていた。




 フィーズ教はアイル・グレスト皇国の国教である。


 初代皇帝の”女帝ミリラヴァーラ”が、一地方国の王妃だった時代から協力し、皇国の建国と安定に寄与すること大としてその功績を称えらえれ、女帝ミリラヴァーラの長子にして二代皇帝ローベルート一世によって国教と定められたのだ。


 フィーズ教はふたつの太陽神、シュナーヴァとトロフィカ、そして月の神ウールカの三大神を主神と崇める多神教である。

 三大神の下、山の神、海の神、戦の神、火の神など、多くの神々がヒエラルキーを形成し、その重層的な構造で多くの信徒を獲得するに至っていた。


 教義の解釈やら戒律の定義やら階級闘争やらで忙しい上位神官たちはさておき、全体的な教義、戒律はそれほど厳しくなかった。神官ではない一般の信徒ならば、日々の祈りと定期の寄進、そして季節ごとの祭礼に参加すれば十分であった。

 一般の信徒からすれば、その程度の浅く緩い信仰と帰依でも、それなりの御利益に与かることができる有難い神々なのである。この点も、多くの信徒を獲得できたゆえんであった。




 マリーナとマシウスは、ロナ川に水を汲みに来ていた。


 近隣村落への定期巡礼の帰り、馬車の軸が破損してしまったのだ。

 先だっての雨で汚損、破損していた街道を進むために、馬車に無理を強いてしまったのが原因であった。


 馬車の軸が破損したタイミングで御者を担当していたのは、マシウスを”先生”と慕う戦士ルークであった。

 ルークは雨後の遅れを取り戻そうとした強行軍を謝罪したが、馬車も馬も教会の所有である。マシウスは自らの管理監督が行き届かなかった責任であるとして、ルークの責任感をむしろ賞賛したのだった。


 馬車は街道とロナ川の間にある見晴らしのいい丘に、巡礼団一行と馬と総出で押しあげた。万が一の水害対策と、モンスター、賊徒に対する見張りのためである。




 順調に進めば、今日の日没前には彼らの在住都市、アンセル伯爵領都ロナーシアに到着できるはずであった。


 その予定を変更して、今日の所は丘の上で一泊し、翌日ルークが馬を飛ばして領都ロナーシアへ赴き、クラフトマンを連れてくるか予備部材を取り寄せる手はずとなっていた。

 ルークと仲間たちは丘の上で野営の準備中である。父マシウスは水汲みを買って出たのだが、娘マリーナが、


「教会主さまが出るまでもないですわ。ここは教会主補佐の私めに是非!」


 と、マシウスの手から半ば強引に樽を取り上げたのだ。よってマシウスは、苦笑しつつ水汲み担当マリーナの護衛を担当することになったのである。




 ロナ川の水は澄んでいた。


 水が汲めそうな場所を探して歩くマリーナ。


 雨で増水と濁水が懸念されたが、これだけ水が澄んでいるなら、汲み上げた水を魔法的に濾過する生活魔法『浄化』も一度の行使で済ませられそうだった。




 生活魔法とは、素質と知識と修練を必要とする魔術師ではない一般大衆でも利用可能な魔法である。

 冒険者たちが古代文明の遺物を発見し、魔術師たちが書物を繙き、長年にわたる研究を重ね、魔法を安全化、簡略化、最適化したこの生活補助手段は、アイル・グレスト皇国だけでなく世界中に広く普及していた。

 もちろん、本業の魔術師たちも生活魔法を大いに活用し、日々の生活の中で生活魔法の恩恵に与かっていない者は皆無といってよかった。




 対象の汚損、廃物を四散せしめる『浄化』

 火の魔法を極限まで安全化した『着火』

 風の魔法を高効率に簡略化した『乾燥』

 光の魔法を日常生活に最適化した『光源』


 などが代表的な生活魔法である。




 そしてこれからマリーナが水汲みで利用しようとしているのが、物質の重量を軽減する『軽量』である。

 概ね100kg以下の物質に対して効果を発揮し、対象物質の重量を三割ほど軽量化が可能である。


 加えてマリーナはフィーズの神々の力を借りる神依魔法[しんい まほう] の使い手で、神依魔法を基礎として魔術師の知識にも心得があった。

 彼女は『軽量』の魔法に対して、さらに『強化』の補助魔法を併用し、五割以上の軽量化も可能なのだ。


 小ぶりな樽、と言っても水が入ってしまえば相当な重さになる。

 マリーナよりはるかに大柄なマシウスが、水汲みをマリーナ一人に任せているのは、マリーナの意を尊重しているだけではなく、そうした理由もあるからであった。




 先に対岸の異変に気付いたのはマシウスだった。




「……お父さん?」


「対岸が騒がしい」


 マシウスはマリーナを護るように対岸とマリーナの間に割って入った。油断なく六聖杖を鞘から抜き放つマシウス。


 マリーナが父の大きな背中越しに対岸を見ると、崖の上の森から鳥たちが飛び立つのが見えた。


 森の中から聞こえるざわめきは次第に大きくなり、崖近くからも鳥が逃げるように空へと飛び立つ。その後を追うように──




 二輪車に乗った黒づくめの人間が崖から飛び出してきた。




「えっ……何!?」

「……!」




 マシウスはとっさに六聖杖に魔力を込めた。50センチの六聖杖はたちまち2mを超える長さに延びる。そのままマシウスは神依魔法を唱えるべく六聖杖に魔力を込めたが……。




「うおおおおおおおおっ!」

「わああああああああっ!」




 二輪車に搭乗する黒衣の人間は、声と体格からして男性かと思われた。


 だが、一人しか乗っていないはずの二輪車からは、明らかに切羽詰まった様子の叫び声が複数聞こえた。訝しむマリーナとマシウス。二輪車は対岸の父娘など眼中にないかのように綺麗な放物線を描いてロナ川に落下した。


 マリーナとマシウスは顔を見合わせ、すぐに水面に視線を移した。ややあって水中から先ほどの黒衣の男性が一人、獣を肩に抱いて浮かび上がってきた。男性は何よりもまず獣を肩車するように乗せ、視線を四方に自らの位置を探っていた。




「助ける!」


「うむ!」


 マシウスはマリーナの言を汲み、伸ばした六聖杖を構えたまま、周囲の索敵に徹した。




「『護障壁』!」


 マリーナは樽に掌を当て神依魔法の一つ、護障壁[ごしょうへき]を応用して魔法的被膜を付与した。

 キンッ、という子気味のいい音と共に、樽に薄い魔力の幕が形成された。これで樽の中に水は浸透しない。そしてさらに……。


「『軽量』!『強化一段』!」


 マリーナはさらに樽に軽量の魔法を一段階強化して付与した。軽量魔法の強化は樽が水に間違いなく浮く程度でいいと判断し一段階の強化だ。

 そしてわずかな躊躇もなく、樽の取っ手につけられた荒縄を両手で持つと、ハンマー投げの要領でぐるんぐるん身体を回し──




「っせえぇぇぇいっ!」




 小ぶりな樽は二輪車に負けず劣らずの綺麗な放物線を描いて、黒衣の男性の上流数メートルのところに着水した。




「そこの方ーーーーっ!樽に掴まりなさーーーーい!」




 声と樽に気づいた黒衣の男性は泳ぎ慣れているのか、すぐに樽を掴まえた。無事を知らせるようにマリーナに向かって片手を振る。肩車されていた獣も、片足を振っていた。


 マリーナとマシウスも黒衣の男性に手を振った。




「見事だマリーナ」


「ロナーシアに寄港してた水夫さんがね、あんな感じで錨を投げてたのを見たの。それでいつか何かに使えるかなぁ……って」


「日々の学びが人助けになったか。さすが私の娘た」


「ええ。さすが”豪拳マシウス”の娘ですから」


 マリーナは誇らしげに父を見上げた。マシウスは微笑み返し、すぐに顔を引き締めると水面で樽に捕まる黒衣の男性に視線を転じた。


「さて……あとはあのお方次第だが……」




「マシウス先生ーーーーっ!マリーナーーーーっ!」


 川岸で、樽を抱えて泳いでくる黒衣の男性の様子を窺うマリーナとマシウスの後方から、男の声がした。振り返ると乗馬した大きな男が槍を小脇に抱えて、大慌てと言った様子で丘を駆け下りてくるのが見えた。

次回は崖から飛び出した竜司郎たちのシーンの、竜司郎視点となります。

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